二章『シエルの居場所』
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──……
「ヘェ。〈煌力鉱石〉の供給を、帝国軍に──本当によいのですか?」
ジルド港の真っ青な海に、鈍色の陽の光が泳いでいる。
とあるレストランの貸切室。黒い壁、赤いカーペット。大理石の机を挟んで向かい合わせに腰掛けるVIPふたりは、窓の外の美しい街並みには目もくれず互いを見つめあっていた。
「なに。フラーク氏も乗り気だったからね」
男女の相席──シチュエーションだけで言えば、色恋と思われそうなところではあるが、両者の薄暗な横顔に光る鋭い眼光と共に張り詰めた空気が、それを否定していた。軍服や制服に準ずるダークカラーを長身に纏っていることもあり、もしも、普通の感性の人間がうっかりこの場に鉢合わせたら、背筋が凍ってしまうだろう交渉現場である。
猫目の黒い髪の男が呟く。
「例の作戦とやらに必要だ、と言いたい訳ですか」
そうだ、と、ボスは短く答えた。
囁くように、しかし唸るように力強く、言の葉を紡ぐ。
「タンシー少佐。こちらの計画は、問題なく進んでいるよ」
「果たして……、どの程度なのでしょう、それは。例え共和国の望遠鏡で覗き込んでいたって、公国の遺跡くらいしか望めませんよ?」
「は──、面白いね」
彼女のハスキーな声音の笑みになにを拾ったのか、色黒の男は気をよくしたように大仰な抑揚で続けた。
「クフフ……! 事実でしょう。貴女がたのような民間人が、望遠鏡や大きな拠点を手にできるだけ、素晴らしいことだとは存じますが」
ボスが目を伏せ、ほとんど減っていないティーカップの中身を視界の端に映したのは、ほんの一瞬。彼女は口許に笑みを浮かべた。
「簡潔に答えよう──神歴三九八七年・夏のつき二日。我々〈結社〉は、テスフェニア公国へ遠征に赴き、エーデル家の世継ぎを手中に収めてみせる」
「…………エーデル家の次期王を……!?」
ガルニア軍少佐、ジェンモ・タンシーは息を呑んだ。
この結社のボスは、大陸の大国の一つである〈テスフェニア公国〉の王の家系を崩壊させると、そう言ってのけたのだ。
「その為の準備に万全を期している。今や、実行も目前だ」
「貴族の王政を根絶やしにしようと……、貴女はそう宣うのか」
ボスは机上で指を組みながら、「その通りだ」とひと言返した。
「これは、一本取られました。私がこれを報告したところで、あの人に素直に聞き入れて頂けるかどうか……」
少佐は細い目の奥で焦燥した。
──この女は、常軌を逸している。
ただでさえ、共和国の物流を握っている〈柿色の商会〉と懇意にしているギルドの長だ。それだけでは飽き足らず、国の政に手を出そうなどと……。
目の前のイカれた女は、薄く口角を上げ語りかけた。
「早く貴殿の『上官』と、直接話がしたいものだがね」
「あまり無理を仰らないでください、ギルド長。大将は多忙を極め、昼食もまともに取られないのですから」
「そうかそうか。これは失敬。貴殿のような切れ者の上官であるから、仕方のないことだったな」
「とんでもないことでございます」
タンシーが礼をする。
結社のボスは、作り物のような笑顔で不敵に笑んだ。
「だが、今回話したことが全てではない。計画実行の暁には、また、文を送らせてもらうよ。その節は何卒……例の件、ご検討の程、よろしくお願いする」
◆
昼下がり。
アルバののどかな農村部で、婦人が一人の女の子に寄り添っていた。
背中に手を添えて、さすりながら彼女に優しく声をかける。
「本当に大丈夫? 無理しなくっても、いいのよ?」
「いいえ、やらせてください。ご馳走頂いたら、元気が出てきました!」
薄紅色の髪を風に靡かせながら、メアリは愛らしい笑顔ではにかんだ。
「そう……! なら良かった。もしまたしんどくなったら、いつでも言ってね」
「ありがとう!」
メアリの返答を聞いた結社の面々が、思い思いに安堵の表情を浮かべる。ファクターは目を瞑り、首を窄めて。カレサは「よかったねぇ」と、彼女へとびきりの笑みを向けて。
シエルだけは、ほんの少しだけ気がかりな表情を浮かべていた。
農夫、ゲラルトが彼らに向き直って告げた。
「午後は出荷準備だな。みんなには作物の選別と、袋詰めを担当してもらう。ひとまずこの中から、傷になっているものや、極端に小さいものは、こちらの箱に避けてくれたら助かるかな」
見れば、幅の広い大きな入れ物いっぱいに、真っ赤なイチゴがずらりと並べられていた。イチゴの入った白い箱は、日陰の台の上にお行儀よく並べられていたが、表に出ているだけでもざっと十箱以上はある。
その光景に、少年は目をまんまるにした。
「わぁー……!」
「ものすごい量ねえ。これはお二人だけじゃ、大変なわけだわ」
「ああ。皆さんには毎年世話になって、申し訳ないやら、ありがたいやらだよ」
「イチゴっていい香りだよな〜♪」
「さて。詰め方なんだが──」
農夫が初めての三人へパックのやり方を説明していると、ファクターの背後に迫る一人の人影があった。
「あの……、〈結社〉の皆様ですね?」
ファクターが気だるげに振り向くと、そこには手に大きなメモに万年筆を持った、長い髪の女性が立っていた。
「……なんだ?」
「こちら〈アルバクロノス新聞社〉の記者、パメラと申します ……!」
アースカラーの髪色に茶色い肌の記者は、グリーンの瞳をふと細めた。
相手の名を聞いて、ようやく思い出したようで、壮年の男はゆったりとした動きで頭を下げた。
「新聞社のか。ウチのボスと秘書が、いつも世話になっとるな」
「すこし、取材しても、よろしいでしょうか?」
「まぁ、構わないが。依頼の後にして貰えると、助かるのだが」
「問題ありません! 暫くは、皆様の自然体を記録させていただきますから……!」
「そうか」
そこから、結社は農家の人々のイチゴの出荷作業まで、袋詰めを担当した。
アルバの農家の、イチゴの甘酸っぱいような香りが宙を漂って、鼻を抜けていく。
作業中、壮年の男がおもむろに少年に問うた。
「どうだ?」
「な、何がですか?」
「結社の依頼についてだ。お前さんは、今日が初めてなんだろう?」
「あぁ……」
袋に封をして、シエルが言葉を落とした。
「……僕、イチゴが盛り上がった土から生えて、実がなってるんだって今日、知ったんです」
「ほう」
「緑でいっぱいの町も、遠くに大きな山が見える景色も、ぜんぶ……初めてでした」
離れた作業台でどこか楽しそうに依頼をこなしている女子ふたりを見ながら、ファクターはつぶやいた。
「そんなことは、この先依頼をこなしていけば、いくらでも見られるぞ」
「思ったんです。──世界には、僕の知らないことが、たくさんあるんだなって。僕は、それをもっと知っていきたい……です」
そう思いました、と繰り返す少年。
少年の言葉に、壮年の男は微笑むでも、励ますでもなく、更なる疑問を投げかけた。
「それは──もしもそれが、仮に辛いことでもか?」
「え?」
冷たい風が頬を撫ぜる。
風に紙袋が飛ばされて、帽子の少女はわーわー言いながらそれを拾いに走った。
様子を見ながら、男は薄暗な表情で語った。
「この世界には、想像を絶するようなむごい事実も、山ほどある。夏のつきには、また“遠征”に出る話も出とるしな……。お前さんらが、それで潰れて終わんか、そう思うとるのだ」
ファクターの言葉に、シエルは「遠征って?」と首を傾げる。
軍人以外が発するには意外な、その言葉。
「大戦の前線に近づく訳だ。兵士との実戦は、当然予想される。……多分、最初はしんどいぞ」
「そう、ですか……」
──メアリと同じように、ファクターさんも、心配性なんだな。
シエルは素直にそう思った。
辛いことなら、すでにたくさん目にしてきた。誰かと戦わないといけない日が来るなんて、異国に来た時点で──否、紛争に巻き込まれた日から、とうに分かりきっていた。
僕はもう、幼い子どもではないのだ。現実と綺麗事の境目くらいは区別できるつもりだ。
心配いらないと、彼らにそう分かってもらえるように、自ら示していかなければなるまい。
思案の末、シエルは口を開いた。
「大丈夫です。僕、戦えます。遠征でもなんでも、やってみせますよ」