夕刻の手紙


二章『シエルの居場所』


 
  

「依頼……、ですか?」
 白髪の男性――今はガーゼで頬を覆っているファクターが、事務室で目立っている掲示板を指し示した。
「あー……結社では、ギルド依頼というものが主な活動なのだ。各自、このクエストボードの中から依頼を選んで、毎回書類を書いてから現地に向かうように――って、聞いとるか?」
 途中で、メアリの顔を覗き込む。
 
「――きゃ!? ご、ごめんなさい、何の話だったかしら?」
 シエルはつい俯いた。
 間違いない。あの様子では、恐らく彼女も僕と同じことを気に病んでいる……。
「しっかりせんか。クエストボードの話だ」
「そうっ……! これが一覧表なのね」
 
 クエストボードに貼り出してある依頼内容は、実に多彩なものだった。
 自分たち以外の人はほとんど出払った後なのに、まだまだ十枚近く残っているから、少年は驚いた。
 
「うわぁ……。こういうのって、みんな一人でやるんですか?」
「一人でもべつに構わんが。ウチの者に声をかけ、ペアやチームを組むのもいい」
「誰と行ってもいいんですね」
「ああ。ただし、今日は私と行ってもらう。なるべく早う選べ」
「ええ……、そうは言われても……」
 依頼の紙をじっくりと読みふける。
 
 薬草を取ってきて欲しい、発破役派遣の希望、ベアー大量討伐の協力者募集。よりどりみどりなラインナップだ。
 
 ロネが口を挟んだ。
「ジジィが行くンかよ。大丈夫か?」
「なんだ青二才が、でしゃばるな」
「ハ? でしゃばってンのはソッチだろ」
「いや! 怪我人と喧嘩しないでくださいよ……!」
 
 突然始まった喧嘩にシエルがあたふたしていると、メアリがクエストボードに腕を伸ばした。
 
「これ――」
 彼女は一枚の紙を手に取る。
 シエルがそれを覗き込んだ。
「なになに……“農家で収穫のお手伝い”?」
「イチゴですって。シエル!」
「イチゴ!? え、気になる!」
 雪国では、イチゴは採れない。完全に共和国からの輸入頼りだった。
 実はどうやって成ってるかすら、知らないのだ。なんとも好奇心がくすぐられる内容だ。
 
「シエル、好きそうよね」
「へぇ、南町の農家かぁ。いいじゃん!」
 メアリの話題に乗っかって、下から依頼の紙を盗み見た少女が笑った。
「あなたは……」
「どちらさまの子なの?」
 今朝の茶髪の女の子だ。元気そうでよかった、なんて思ったのも束の間。
 少女は帽子を掴みながら、カッコつけて告げた。
 
「子じゃない。アタシ、カレサ! こう見えても“ロネの同期”なんだぜ!」
「えー!?」
 度肝を抜かされるシエル。
 レイミールが自身の金の髪を撫ぜながら問う。
「アラ、そういえば、初対面?」
「こんなちっちゃい子と同期ですか、先輩!?」
 もし本当に同期だというなら、この子が相当小さいときから結社にいないと辻褄が合わないと思うのだが。
 
「ソイツは放っとけ。チビだから」
 しかし、ロネは適当に流した。
「チビは今カンケーないだろ〜!? なー、ロネも一緒行くのか? この依頼」
 ボーイッシュな口調の少女が、ぴょこぴょこと青年のもとに駆け寄る。
 机で物を書いていた青年は、脚を組んで、一枚の紙を空中で仰いだ。
 
「いや。テメーらを見張りてェ気持は山々だがよ。今日はオレ宛の依頼が来てンだ」
 聞くや、少女はジト目になって上半身を引いた。
「うわ。ロネのってどうせアレだろ? スイキョー向けのバケモノ退治」
「ハッ! 大型討伐はオレの十八番オハコだかンな」
 
 尊大な態度で笑っているロネに向かって、「おっかなぁ〜」と引いている少女のやり取りが微笑ましい。そこだけ切り取っても、二人がかなりの仲良しだ、ということが見てとれた。
 もし僕とメアリの性格が今と違ったら、あんな感じの兄弟だったのかな? とか。シエルは思う。
 
「では、あれか。新入りどもに付ける若いのがおらんのか。弱ったな」
 ファクターの声を聞きつけ、少女は閃いたという顔で指を鳴らした。
「しかたないなぁ! ジジィだけじゃシンパイだし、いっちょアタシが行ってあげっか!」
「……お前さんも来るのか?」
 少女の提案にファクターは反応したが、ロネもまた立ち上がりながら答えた。
 
「オレも依頼終わったら南町アルバ寄ッてくからよ。ケガすンなよ」
「……おおい……」
 影の薄いファクターが微妙に抵抗しているが、皆そこまで聞いていない。
 
 シエルとメアリは察した。
 なんか、珍しいメンバーで、イチゴ狩り行く流れになってる……。
 
「アラアラ、道中気を付けてね」
 レイミールの見送りを受けて、少女は元気に腕を突き上げた。
「オッケー! じゃ、いざ、しゅっぱーつ!」
 
 
     ◆
 
 
 ゴトゴトゴト。
 遠景に森や山々が広がり、近くで小川が流れる音がする。結社の馬車は四人を乗せて、舗装された平原を走ってゆく。
 ファクターは小窓を開けて、葉巻を吸っていた。対して、紺色の制服を着た少女が二人の方にまっすぐ問いかけた。
 
「メアリと、シエルだっけ?」
「ええ、そうよ。カレサちゃん」
 メアリが優しく微笑む。
 シエルは、ロネの同期だ、と言っていた少女の言葉になぞらえて、この少女をロネと同じように呼ぶことにした。
 
「カレサ先輩! ですね!」
 すると、少女はパアッと明るい笑顔になって、ふふん! と腕を組んだ。
「そうだぞ! 敬え敬え〜!!」
「あ、仰せのままに……」
 シエルが頭を下げたところ、カレサはコロコロと笑った。
 
「なんてね! 冗談冗談」
 本来、明るくて勝ち気な子なのだろう。ブラウンのボブヘアに同じくブラウンの瞳、日に焼けた褐色の肌が健康的な少女が、二人に続けざまに話した。
 
「あのさ、南町・アルバって超近いんだぜ!」
「そうなの?」
「ああ! 川とか眺める暇もなく、すーぐ着いちゃうんだ」
 少女の胸元で、オレンジのリボンが風に揺れる。
 ファクターの開けた小窓の奥には、彼女の言った川が流れる自然豊かな景色が、広がっていた。
 
「カレサ先輩は、馬車がお好きなんですね」
「なんでわかった!?」
「僕も、好きなので。景色見るの、楽しい、ですよね」
 少年が眼鏡の奥で微かに目を細めて、はにかむ。
 きっとこの子は、こういうおでかけが好きなのだろう。そうでもないと、すぐ着いちゃう、なんて物言いにはならないはずだ。
 
「……うん! すげー楽しーよな!!」
 シエルの想像通り、少女は素直に頷いた。
 まるで同世代の友達にするような、純真そうな笑顔を浮かべていた。
 メアリがくすりと笑って、弟へ言う。
 
「船だとこうは行かないわよね。シエル、すぐ酔っちゃうんだもの」
「それ今言う……?」
「にゃはは! そうなんだ!? 変なの〜!」
「変なのって」
 ガックシと音が聞こえそうなくらい肩を落とすシエルに、少女は更にウケて大笑いしていた。
 
「ひー……そういや、キミたちって今いくつなんだ? アタシ、今年十五歳になったんだよ!」
「私、ちょうどハタチよ」
「僕は十七……あっ」
 改めて人に聞かれて、少年はやっと思い出したことがあった。
 
「んん?」
「そういえば、来週誕生日です僕。春のつき*五月六十六日五日なんですけど」
 聞くやカレサが嬉しそうに祝福した。
「おおっ、おめでとうじゃーん!」
「ど、どうも……」
 
 人に祝われるのって、慣れない。
 メアリとディオル叔父さんくらいにしか祝われたことのないシエルは、むずかゆい気持ちになった。両親は仕事でほとんど家にいなかったし……。
 
 姉はしみじみと噛みしめるように言った。
「シエルも十八歳になるのね。もしかしたら、今回の依頼が十七歳最後のおでかけになるかもね?」
「これは! いいこと聞いちゃったなぁ」
 カレサがしめしめと悪巧みしている様なポーズを取る。
「え、な、なに? なんですか?」
 
「へへ! 何でもないよ! ちなみにだけど、ロネが十九歳で、ジジィは三十五歳くらいな!」
「全然、じじいの年齢じゃない気が……」
「気づいたか……」
 
 葉巻を吸い終えて、携帯灰皿に戻したファクターがため息をついた。葉巻特有の煙たい香りが漂ってきて、カレサが無言で隣の窓を開け放った。
 そして、すぐこちらを振り返った。
 
「みんな! もう着きそうだよぉ!」
「まだ、半刻経ってないですよ!?」
 
 シエルがびっくりして半分席を立ち、小窓を覗き込む。
 少女の指差す方向を見れば、草原の中に、小さな集落が確かに見えていた。