夕刻の手紙


二章『シエルの居場所』


 
  

 
 首都の街角を注視するシエルたち。
 高圧的な共和軍の軍人が、〈結社〉の少女と男性を詰めている。
 
「ガキだから許されるとでも?」
「あーもー、しつこいよ! 絶対、アタシじゃない! って言ってるじゃんか!」
「貴様らが事実を言わないから、こんな手間がかかるんだろう」
「そんなの――」
 追ってなにか言おうとしたセリフを、ファクターが少女の肩を押さえ遮った。
「ふう……、やれやれだ、まったく」
 前に出た彼は、わざとらしく首を振った。少し笑み、盛大にため息をついて見せた。
 
「我々は先程から、その事実・ ・しか、述べておらなんだが。お前さんは耳が遠いのか?」
「貴様!!」
 
 瞬間。軍人が拳を振りかぶった。
 硬い握り拳は男の痩せこけた頬に直撃し、ゴッ、と鈍い打撃音が響く。ファクターの白髪が風に煽られ、髪が乱れる。
 
「……!!」
 茶髪の少女が口元を押さえ絶句した。
 人混みがどよめき、人だかりに隙間ができる。
 
「なっ……、何してるんですか!?」
 シエルが叫ぶ。あの知的そうなファクターの足元が、千鳥足でふらついているではないか。相当痛かったことだろう。
 姉もまた怒りの声を上げた。
 
「軍が、町の人をつなんて――!」
 軍人は武装して帯剣しているのに対し、ファクターが身にまとうはインナーに白衣程度の軽装。どちらがやりすぎかなんてことは、一目見れば明らかだ。
 ロネがズカズカと割って入った。
 
「オーオー! クソ軍人サマよォ。〈結社〉の人間に手ェ出すたァ、イイ度胸してンな! オイ!!」
 今にも掴みかかりそうな気迫を纏って、青年は軍人を睨み付ける。軍人は平静を繕って返した。
「何を馬鹿げたことを。貴様ら〈結社〉は、〈逃亡者〉を匿っている、との情報が出ているんだぞ」
「…………え」
 共和国の軍人の言葉に、少年は頭から氷水を浴びせられたような表情になった。
 
「茶髪。紅髪。十代から二十代の若者――そうお達しが出ている。この餓鬼はどう見ても、茶・髪・だろ! 〈逃亡者〉じゃないだのと言うなら――」
「トウボウシャだァ!? ソイツは一体ドコの言葉だよ」
「ガルニア帝国のスパイの呼び名だ。証明するすべがない、というなら、一旦取調室に来てもらおうかって話にしかならねえんだよ!」
「ンだと!?」
 
 ――やめてくれ、みんな。
 その子は違う。〈逃亡者それ〉は僕だ。
 
 少年が何ひとつとして言えない間に、どんどん口論は苛烈になってゆく。
 
「し、シエル……」
 メアリが拳を強く握って歯を食いしばるのが見えた。
 
 帝国出身ではあるが、誓って『帝国のスパイ』なんかではない。しかし。
 僕が言えば、メアリが捕まる。
 私が言えば、シエルが危ない。
 
 ふたりはお互いを強く想えばこそ、何も言葉にすることが出来なかった。
 
 
 
「待って頂戴な」
 
 高い女性の声が曇天の空に轟いた。ブロンドヘアが鈍色を反射する。
「お話、聞いたわよ。おふたりとも、まあ大きな声だこと」
 幹部であるレイミールが、玄関口から出てきて、小さな口でそう笑っていた。
「結社の女が、なんの用だ!」
「そのアリバイなら証明できるわ。わたくしどもも先週、ジルド港に居たんだもの。あの日はボスの商談帰りだったから、相手も明かせる。そのコが馬車に居たことも!」
「……!!」
 軍人が初めて言葉につっかえる。
 
 小柄な秘書は手を広げ、高らかに歌うように言論を重ねた。
「第一、そんな罪人をかくまったって、〈結社〉には一リルの得にもならなくってよ?」
「いいから身分証を出せ!」
 結社の面々は、それぞれ身分証を出した。言われてシエルとメアリも、初日にボスに貰ったきりのその小さなファイルを差し出す。
「……確かに、この場にはおらんようだな。少なくとも二人は」
 それは身の潔白証明に足るものだったらしい。
 軍の男は、唯一証明書が無かった茶髪の少女をチラリと視線で刺したが、ひとまず溜飲を下げたようだった。
 
「もういいだろ。暇なテメェらがロクに働きやしねェお陰で、コッチは首がまわんねーンだ」
 
 ロネが腰の銃に手を添えながら、片手でしっしと追い払う仕草を取った。「また調査に来るからな」とだけ言い残して背中を向けた共和軍に、少女は小声で「べ〜だ」などと、あっかんべーをお見舞いしていた。
 
 
 
 
 ――――……
 ――……
 
「アナタ……、大丈夫!?」
 レイミールの憂慮の言葉が響く。
 一行は、結社二階の事務室に入っていた。
「……多少痛む程度だ。問題ない」
「すぐ手当するから、じっとしていて」
 歯は折れてないみたいね、と、ファクターの頬に消毒液の染み込んだ手ぬぐいを当てている。
 レイミールたちを見ながら、少年・シエルは言葉を捻り出した。
 
「た……大変、でしたね……」
 心臓が早鐘を打っていた。
 
 身分証の提出を迫られたとき――あのとき、初日にボスの作ってくれた共和国籍の身分証が無ければ詰んでいた。
 ボスのおかげで、助かった。
 けれど、以前僕らに優しくしてくれたファクターさんは顔に怪我をして、小さな女の子は冤罪で辛い思いをした。
 シエルの心は、今にも己の罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。
 
 レイミールは呆れた様子で眉を下げる。
「本当相変わらず、ね。共和軍は」
「全くだ」
 秘書は、少女たちに優しく声を掛けた。
「カレサも……怖かったでしょう。アナタに付いてもらって、よかったわ。ファクター」
「怖くないし!!」
「大した役には立たんかった」
「いいえ。勿論、ロネもね」
「オレは何もしてねェよ」
 ロネは億劫そうな顔で頬を掻いている。
 手当が終わったようで、彼の頬には清潔なガーゼが付けられている状態になっていた。
 
「これでよし、と」
「ありがとう」
 穏やかな笑顔で、ファクターが礼を言う。
 
 しかし、シエルの心が晴れることは無かった。
 
 ――こんなことなら、今のうちに、告げてしまったほうがいいのではなかろうか。己が〈逃亡者〉なのだと。
 言えば、先輩たちに嫌われてしまうかもしれない。もし、メアリと二人して結社を追放されたとしたら、他に行く宛も無い。それに、『言っちゃ駄目』と僕の身を案じてくれた姉との約束を、はっきり破ることにもなる。
 
「……あまり気に病まないでね」
 
 ちいさな耳打ちが聞こえてきて、現実に引き戻される。レイミールの声だった。
 すぐに目をそらした小柄な秘書が、ひとつ、手を叩いて皆に告げる。
 
「さ! 気を取り直して、今日も依頼の話をしましょうか!」
「えっ」
 隣のファクターが立ち上がって、続ける。
「そこの若いの。今日はお前さんらにも、ウチの依頼をやってもらおうと思うとる」
 彼らの態度は普段と変わりない。レイさんたちは、こちらに気を遣ってくれているのだろう。
 
 気に病むな、だなんて、土台無理な話だが、新しい一日は無情にも等しくやってくる。それを、少年はひしひしと痛感するのだった。