DR+20


二章『シエルの居場所』


  
 
 ────……
 ──……
 
「アナタ……、大丈夫!?」
 レイミールの憂慮の言葉が響く。
 一行は、結社二階の事務室に入っていた。
「……多少痛む程度だ。問題ない」
「すぐ手当するから、じっとしていて」
 歯は折れてないみたいね、と、ファクターの頬に消毒液の染み込んだ手ぬぐいを当てている。
 レイミールたちを見ながら、少年・シエルは言葉を捻り出した。
「た……大変、でしたね……」
 心臓が早鐘を打っていた。
 身分証の提出を迫られたとき──あのとき、初日にボスの作ってくれた共和国籍の身分証が無ければ詰んでいた。
 ボスのおかげで、助かった。
 けれど、僕らに優しくしてくれたファクターさんは顔に怪我をして、小さな女の子は冤罪で辛い思いをした。
 シエルの心は己の罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。
 レイミールは呆れた様子で眉を下げる。
「本当相変わらず、ね。共和軍は」
「全くだ」
 秘書は、少女たちに声を掛けた。天使が囁くような声音で。
「カレサも……怖かったでしょう。アナタに付いてもらって、よかったわ。ファクター」
「怖くないし!!」
「大した役には立たんかった」
「いいえ。勿論、ロネもね」
「オレは何もしてねェよ」
 ロネは億劫そうな顔で頬を掻いている。
 手当が終わったようで、彼の頬には清潔なガーゼが付けられている状態になっていた。
「これでよし、と」
「ありがとう」
 穏やかな笑顔で、ファクターが礼を言う。
 しかし、シエルの心が晴れることは無かった。
 ──こんなことなら、今のうちに、告げてしまったほうがいいのではなかろうか。己が〈逃亡者〉なのだと。
 言えば、先輩たちに嫌われてしまうかもしれない。もし、メアリと二人して結社を追放されたとしたら、他に行く宛も無い。それに、『言っちゃ駄目』と僕の身を案じてくれた姉との約束を、はっきり破ることにもなる。
 
「……あまり気に病まないでね」
 
 ちいさな耳打ちが聞こえてきて、現実に引き戻される。レイミールの声だった。
 すぐに目をそらした小柄な秘書が、ひとつ、手を叩いて皆に告げる。
「さ! 気を取り直して、依頼の話をしましょうか!」
「えっ」
 隣のファクターが立ち上がって、続ける。
「シエル、メアリ。今日はお前さんらにも、ウチの依頼をやってもらおうと思うとる」
 彼らの態度は普段と変わりない。レイさんたちは、こちらに気を遣ってくれているのだろう。
 気に病むな、だなんて、土台無理な話だが、新しい一日は無情にも等しくやってくる。それをひしひしと痛感する。
「依頼……、ですか?」
 白髪の男性──今はガーゼで頬を覆っているファクターが、事務室で目立っている掲示板を指し示した。
「あー……結社では、ギルド依頼というものが主な活動なのだ。各自、このクエストボードの中から依頼を選んで、毎回書類を書いてから現地に向かうように──って、聞いとるか?」
 途中で、メアリの顔を覗き込む。
「──きゃ!? ご、ごめんなさいね、何の話だったかしら?」
 シエルはつい俯いた。
 間違いない。あの様子では、恐らく彼女も同じことを気に病んでいる……。
「しっかりせんか。依頼のクエストボードの話だ」
「そうっ……! これが一覧表なのね」
 クエストボードに貼り出してある依頼内容は、実に多彩なものだった。
 自分たち以外の人はほとんど出払った後なのに、まだまだ十枚近く残っているから、少年は驚いた。
「うわぁ……。こういうのって、みんな一人でやるんですか?」
「一人でもべつに構わんが。ウチの者に声をかけ、ペアやチームを組むのもいい」
「誰と行ってもいいんですね」
「ああ。ただし、今日は私と行ってもらう。なるべく早う選べ」
「ええ……、そうは言われても……」
 依頼の紙をじっくりと読みふける。
 薬草を取ってきて欲しい、発破材の用意希望、ベアー大量討伐の協力者募集。よりどりみどりなラインナップだ。
 ロネが口を挟んだ。
「ジジィが行くンかよ。大丈夫か?」
「なんだ若造が、でしゃばるな」
「ハァ? でしゃばってンのはソッチだろ」
「いや、怪我人と喧嘩しないでくださいよ……!」
 突然始まった喧嘩にシエルがあたふたしていると、メアリがクエストボードに腕を伸ばした。
「これ──」
 彼女は一枚の紙を手に取る。
 シエルがそれを覗き込んだ。
「なになに……“農家で収穫のお手伝い”?」
「イチゴですって。シエル!」
「イチゴ!? え、めちゃくちゃ気になる!」
 雪国では、イチゴは採れない。完全に共和国からの輸入頼りだった。
 実はどうやって成ってるかすら、知らないのだ。なんとも好奇心がくすぐられる内容だ。
「シエル、好きそうよね」
「へぇ、南町の農家かぁ。いいじゃん!」
 メアリの話題に乗っかって、下から依頼の紙を盗み見た少女が笑った。
「あなたは……」
「どちらさまの子なの?」
 今朝の茶髪の女の子だ。元気そうで良かった、なんて思ったのも束の間、少女は帽子を掴みながら、カッコつけて告げた。
「子じゃない。アタシ、カレサ! こう見えても“ロネの同期”なんだぜ!」
「えぇ!?」
 度肝を抜かされるシエル。
 レイミールが自身の金の髪を撫ぜながら問う。
「アラ、そういえば、初対面?」
「こんなちっちゃい子と同期ですか、先輩!?」
 もし本当に同期だというなら、この子が相当小さいときから結社にいないと辻褄が合わないと思うのだが。
 当然のはずのシエルの疑問を、
「ソイツは放っとけ。チビだから」
 ロネは適当に流した。
「チビは今カンケーないだろ〜!? なー、ロネも一緒行くのか? この依頼」
 少女はぴょこぴょこと青年のもとに駆け寄るが、机で物を書いていた青年は脚を組んで、一枚の紙を空で仰いだ。
「いや。テメーらを見張りてェ気持は山々だがよ。今日はオレ宛の依頼が来てンだ」
 聞くや、少女はジト目になって上半身を引いた。
「うわ。ロネのってどうせアレだろ? スイキョー向けのバケモノ退治」
「ハッ! 大型討伐はオレの十八番オハコだかンな」
 尊大な態度で笑っているロネに向かって、「おっかなぁ〜」と引いている少女のやり取りを見ている限り、二人がかなり仲良しだということはわかった。
 もし僕とメアリの性格が今と違ったら、あんな感じの兄弟だったのかな? とか。シエルは思う。
「では、あれか。新入りどもに付ける若いのがおらんのか。弱ったな」
 ファクターの声を聞きつけ、少女は閃いたという顔で指を鳴らした。
「しかたないなぁ! ジジィだけじゃシンパイだし、いっちょアタシが行ってあげっか!」
「……お前さんも来るのか?」
 少女の提案にファクターは一応反応したが、ロネもまた立ち上がりながら答えた。
「──オレも依頼終わったら南町アルバ寄ッてくからよ。ケガすンなよ」
「……おおい……」
 影の薄いファクターが微妙に抵抗しているが、皆そこまで聞いていない。
 シエルとメアリは察した。
 なんか、珍しいメンバーで、イチゴ狩りに行く流れになってる……。
「アラアラ、道中気を付けてね」
 レイミールの見送りを受けて、少女は元気に腕を突き上げた。
「オッケー! じゃ、いざ、しゅっぱーつ!」
 
     ◆
 
 ゴトゴトゴト。
 遠景に森や山々が広がり、近くで小川が流れる音がする。結社の馬車は四人を乗せて、舗装された平原を走ってゆく。
 ファクターは小窓を開けて、葉巻を吸っていた。対して、紺色の制服を着た少女が二人の方にまっすぐ問いかけた。
「メアリと、シエルだっけ?」
「ええ、そうよ。カレサちゃん」
 メアリが優しく微笑む。
 シエルは、ロネの同期だ、と言っていた少女の言葉になぞらえて、この少女をロネと同じように呼ぶことにした。
「カレサ先輩! ですね!」
 すると、少女はパアッと明るい笑顔になって、ふふん! と腕を組んだ。
「そうだぞ! 敬え〜!!」
「あ、仰せのままに……」
 シエルが頭を下げたところ、カレサはコロコロと笑った。
「なんてね! 冗談冗談」
 本来、明るくて勝ち気な子なのだろう。茶色い髪に茶色の瞳、日に焼けた褐色の肌が健康的な少女が、二人に続けざまに話した。
「あのさ、南町・アルバって超近いんだぜ!」
「そうなの?」
「ああ! 川とか眺める暇もなく、すーぐ着いちゃうんだ」
 少女のオレンジのリボンが風に揺れる。
 ファクターの開けた小窓の奥には、彼女の言った川が流れる自然豊かな景色が、広がっていた。
「カレサ先輩は、馬車がお好きなんですね」
「なんでわかった!?」
「僕も、好きなので。景色見るの、楽しい、ですよね」
「……うん! すげー楽しーよな!!」
 少女は、うんうんと頷いた。
 まるで同世代の友達にするような、純真そうな笑顔を浮かべていた。
 メアリがくすりと笑って、弟へ言う。
「船だとこうは行かないわよね。シエル、すぐ酔っちゃうんだもの」
「それ今言う……?」
「にゃはは! そうなんだ!? 変なの〜!」
「変なのって」
 ガックシと音が聞こえそうなくらい肩を落とすシエルに、少女は更にウケて大笑いしていた。
「ひー……そういや、キミたちって今いくつなんだ? アタシ、今年十五歳になったんだよ!」
「私、ちょうどハタチよ」
「僕は十七……あっ」
 改めて人に聞かれて、少年はやっと思い出したことがあった。
「んん?」
「そういえば、来週誕生日です僕。春のつき*五月六十六日五日なんですけど」
 聞くやカレサが嬉しそうに祝福した。
「そーなのか!? おめでとうじゃん!」
「ど、どうも……」
 人に祝われるのって、慣れない。
 メアリとディオル叔父さんくらいにしか祝われたことのないシエルは、むずかゆい気持ちになった。
 姉はしみじみと噛みしめるように言った。
「シエルも十八歳になるのね。もしかしたら、今回の依頼が十七歳最後のおでかけになるかもね?」
「これは! いいこと聞いちゃったなぁ!」
 カレサがしめしめと悪巧みしている様なポーズを取る。
「え、な、なに? なんですか?」
「へへ! 何でもないよ! ちなみにだけど、ロネは十九歳で、ジジィが三十五歳くらいな!」
「全然、じじいの年齢じゃない気が……」
「気づいたか……」
 葉巻を吸い終えて、携帯灰皿に戻したファクターがため息をついた。葉巻特有の煙たい香りが漂ってきて、カレサが無言で隣の窓を開け放った。
 そして、すぐこちらを振り返った。
「もう着きそうだよぉ!」
「まだ半刻経ってないですよ!?」
 少女の指差す方向を見れば、そこには小さな集落が見えていた。