二章『シエルの居場所』
春の終わり頃、茜色の空の下。
研修帰りの三人の若者が、華やかな出店の前で足を止めていた。
「らっしゃい! お、新しーひとか?」
「よ、コルト。そうだ、ウチの期待の新入りだぜ」
灰色髪の青年、ロネが指先を曲げた手を緩く挙げる。短髪の影で、耳元のピアスがキラリと光る。
このいかつい雰囲気の青年こそ、首都ズネアータの自衛団〈結社〉の先輩かつ、後ろの二人を度々守ろうとする張本人なのだが、今は温和さすらも滲み出た表情で佇んでいる。
「ど、どうも」「こんにちは〜」
茶髪の少年と、薄紅色のセミロングの女性が会釈をすると、キャスケットを被った商人が笑顔で囃し立てた。
「こんちは!! ヒュー! ロネのあんちゃんは、どんどん先輩になって行くねぇ〜!」
「茶化すな。ゴキゲンかよ」
「ま。今日も面白い商品が入荷してるぜ?」
「そうなンか」
ポップな雰囲気の商店には、さまざまな小物菓子が置かれている。
「おおー……!」
物腰穏やかな少年が目をつけたのは、ふわふわの雪のような洋菓子。
先日、ロネが皆にお裾分けした物と同じ、舌に乗せたら甘く消えてゆきそうなそれ。
少年の視線に気がついた金髪商人が、ささやくように言った。
「これなんか正に、新商品だ。なんと、チョコ入りのマシュマロなんだぜ〜……!」
「ちょ、ちょこ!? すごい!!」
一人で色めき立って居る少年に、薄紅髪の人影は問いかけた。
「シエルって、チョコレート食べたことあったかしら?」
「ない!」
「……ないのに食い付いたのね」
「ないからだよ、メアリ! 僕、父さんの文献で見たことあるんだ。普通に飲むと苦いけど、シロップを加えるととっても美味しいんだって」
少年が目を輝かせる。
茶髪の少年・シエルは、異国にやってきてからと言うもの退屈しない毎日を送っていた。少年にとって、夢物語のような異国の文化の全てが目新しく、結社に拾われてから過ごす日々は刺激に満ち溢れていた。
ロネが少年たちの顔を見て、頷いた。
「中々の物知りじゃねェか。元々は、貴族の飲みモンだったンだとよ」
「ふぅん」
「それが、このふわふわに……!」
「確かに気になるわね! おにーさん、これ三つちょうだい!」
「おっ、たくさんだな! まいど!」
本来なら六百リルだが、まとめ買いならマケてやるぜ! と笑って銀貨を五枚受け取った店主に、メアリはありがとう、と感謝を述べた。
「メアリひとりで、三つ?」
少年が首を傾げて見遣ると、彼女はおかしそうに吹き出した。
「シエルのも買ってあげるって言ってるの!」
「いいの!?」
「ん。シエル、毎日頑張ってるからね」
ふわっと優しい笑みを浮かべる。
メアリは、手渡された紙袋を大事そうに抱えていた。
「まいどありー!」
元気な商人に手を振り返して、帰路を進む。
「はい、シエル。どうぞ」
「わぁ、ありがとう!」
ラッピングを渡されたシエルが、心底嬉しそうに喜んだ。
おもむろな仕草で、メアリはもう一袋を手に取る。
透明な小袋の中で肩を寄せ集めている、白い粉雪のような菓子。
彼女はそれを、隣の人物に差し出した。
「ロネさんも、よかったらどーぞ」
「いやオレは、いい。テメーらで食え」
灰髪の青年は首を振るが、彼女は引き下がらない。
「これ、ロネさん用に買ったのに?」
「……ハ?」
メアリからすれば、日頃お世話になり、さらに以前にお菓子を貰ってしまっている為、ここで渡さない手はなかった。
「いらなかったかしら」
つんと唇を尖らせて、拗ねたような態度を取ってみれば、驚きながらも渋々、という表情でラッピングを手に取った。
「……後で返せ、とか言っても知らねェかンな」
くす、と微笑みを浮かべる。籠絡成功である。
隣の少年がロネの元へ駆け寄る。
「あ! ロネ先輩も、こう言うの好きなんですか?」
「嫌いじゃねェな」
「じゃあ、チョコとマシュマロだと、どっちが美味しいと思います?」
「エール」
「どっちでもないじゃないですか!!」
ワクワクしながら質問したのに、全然違う飲み物の名前(しかもお酒だ)が返ってきて、シエルがガックリしていると、青年は冗談だと笑った。
「ぶっちゃけ、全部ウメーよ」
「……うん! 本当だ! 美味しい!!」
ロネが隣を見ると、シエルはキラキラ笑顔でチョコマシュマロを頬張っていた。
「今食うンだなァ……」
家まで我慢できないですもん! と笑うシエルに、ンな気に入ったならまた良いモン教えてやるよ、と肩を組むロネの後ろ姿を眺める。
「……よかった」
メアリは、優しい弟に新たな友人ができたように感じていた。
夕焼け空を映したメアリの瞳の奥には、自分とシエルを守ってくれたロネや、結社のボスや、それを支えるレイミールやファクターの姿がある。
微かな笑みが溢れる。こちらに着いてすぐの頃は、あんなに警戒していたのに。少しずつ、ほんの少しずつ、結社や共和国のことを好きになってきている自分がいる。
弟を見送り、ロネと別れると、自分の住むアパートはすぐそこだった。
「あら」
家に帰ってくると、郵便受けに封筒が入っていた。上部がビリビリに切られたような跡がついている、奇妙な手紙だ。
──胸騒ぎがする。
手紙の裏面を見て、メアリは目を丸くした。
差出人は、父『ディオル・カラーン』となっていた。
◆
翌日。首都ズネアータの空は、昨日とは打って変わって、今にも泣き出しそうな分厚い雲に覆われていた。
「なんだ……あれ……?」
朝から近場で待ち合わせして、いつもの三人組で結社へと向かっていると、結社の前で人だかりができているではないか。
女の子の声が聞こえてきた。
「アタシは〈ブルー・バード〉の子だ!! そんなんじゃない!」
シエルが持ち前の長身を活かして背伸びをすると、茶色い髪の少女が叫んでいる相手は、迷彩色の制服に軍帽を被った男性であることがわかった。
「じゃあ身分証は。港に行って何をしていた?」
「ある……けど、今は出せない……! 港はボスの迎えに……だし、べつに嫌な理由じゃないし──」
「餓鬼のお遊びに付き合ってる時間はねーんだぞ」
「あーもう! ボスが持ってくれてんのっ! 大人ならわかってよ……!!」
「おおい。ひとまず落ち着け」
帽子を被ったその少女の隣には、結社幹部のファクターも居る。彼は茶髪の少女を諌めている様子だ。
シエルの真隣で、低い声が唸る。
「やってンな」
「なんの騒ぎなの?」
「ありゃあ、共和軍だ。オレらのことよく思ってねェ、クソ見てェな連中だ」
クソみてえというのは少し言い過ぎではないか、と心優しい少年は一瞬思ったが、しかし心に浮かぶのは心配と巨大な恐怖ばかりだ。届いてくる少女の声が、そうさせていた。
メアリが小さく呟く。
「あの女の子……怖がってるわ」
──帽子の少女は発している言葉こそ強気だったが、その声音はところどころ震え、聞くに耐えないような悲痛な叫び方だったからだ。
高圧的な共和軍の軍人が、少女と男性を詰める。
「貴様らが事実を言わないからだ」
「だって──」
少女が何か言おうとしたのを、ファクターが彼女の肩を押さえ遮った。
前に出た彼は、わざとらしく首を振った。そして少し笑み、盛大にため息をついて見せた。
「ふう……やれやれだ。我々は先程から、事実しか述べておらなんだが。お前さんは耳が遠いのか?」
「貴様!!」
瞬間、軍人が拳を振りかぶった。硬い握り拳は男の痩せこけた頬に直撃し、ゴッ、と鈍い打撃音が響く。ファクターの白髪が風に煽られ、髪が乱れる。
「……!!」
茶髪の少女が口元を押さえ絶句していた。
人混みがどよめき、人だかりに隙間ができる。
「なっ!! 何してるんですか!?」
シエルが思わず叫ぶ。あの知的そうなファクターの足元が、千鳥足でふらついているではないか。相当痛かったことだろう。
それを見た姉が怒りの声を上げた。
「軍が、町の人を打つなんて──!」
軍人は武装して帯剣しているのに対し、ファクターは身にまとうはインナーに白衣程度の軽装で、どちらがやりすぎかなんてことは一目見れば明らかだ。
ロネがズカズカと割って入った。
「オーオー! クソ軍人サマよォ。〈結社〉の人間に手ェ出すたァ、いい度胸してンな! オイ!!」
「何を馬鹿げたことを。貴様ら〈結社〉は、〈逃亡者〉を匿っている、との情報が出ているんだぞ」
「…………え」
共和国の軍人の言葉に、少年は頭から冷水を浴びせられたように顔面蒼白になった。
「茶髪。紅髪。十代から二十代の若者──そうお達しが出ている。この餓鬼はどう見ても、茶・髪・だろ! 〈逃亡者〉じゃないだのと言うなら──」
「トウボウシャだァ!? ソイツは一体ドコの言葉だよ」
「ガルニア帝国のスパイの俗称だ。証明するすべがない、というなら、一旦取調室に来てもらおうかって話にしかならねえんだよ」
「ンだと!?」
──違う。やめてくれ、みんな。
その子は違う。逃亡者は僕だ。
何ひとつとして言えない間に、どんどん口論は苛烈になってゆく。
「し、シエル……」
メアリが拳を強く握って歯を食いしばるのが見えた。
僕が言えば、メアリが。
私が言えば、シエルが。
ふたりは互いを強く想えばこそ、何も言葉にすることが出来なかった。
「待って頂戴な」
高い女性の声が曇天の空に轟いた。ブロンドヘアが鈍色を反射する。
「お話、聞いたわよ! おふたりとも、大きな声だこと」
幹部であるレイミールが、玄関口から出てきて、小さな口でそう笑っていた。
「結社の女が、なんの用だ!」
「そのアリバイなら証明できるわ。わたくしどもも先週、ジルド港に居たんだもの。あの日はボスの商談帰りだったから、相手も明かせる。そのコが馬車に居たことも!」
「……!!」
軍人が初めて言葉につっかえる。
小柄な秘書は手を広げ、高らかに歌うように言論を重ねた。
「第一、そんな罪人をかくまったって、結社には一リルの得にもならなくってよ?」
「いいから身分証を出せ!」
結社の面々は、それぞれ身分証を出した。言われてシエルとメアリも、初日にボスに貰ったきりのその小さなファイルを差し出す。
「……確かに、この場にはおらんようだな。少なくとも二人は」
それは身の潔白証明に足るものだったらしい。
軍の男は、唯一証明書が無かった茶髪の少女をチラリと視線で刺したが、ひとまず溜飲を下げたようだった。
「もういいだろ。暇なテメェらがロクに働きやしねェお陰で、コッチは首がまわんねーンだ」
ロネが腰の銃に手を添えながら、片手でしっしと追い払う仕草を取った。「また調査に来るからな」とだけ言い残して背中を向けた共和軍に、少女は小声で「べ〜だ」などとあっかんべーをお見舞いしていた。