夕刻の手紙


一章『強くなりたい』


 
  

 
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 ──
 
「お前、名は?」
 先頭の公国兵士に向かって、ボスが問いかける。
「ウッディ・アークス! テスフェニア公国貴族にして、領事軍の曹長さ! ヒヒッ……その残念な頭で覚えておきなぁ?」
 オールバックの青髪。その瞳まで真っ青な若い青年は、自身の髪を撫で付けながら答えた。
「成程。ウッディとやら。私は“結社のボス”だ。以後見知りおきを」
「無理無理、キミは今からしんじゃうんだからさぁ……」
 ウッディの挑発的な発言を意に介さず、彼女が穏やかに首を傾げる。
「公国の領事軍が、王国の国境側から出て来るとは、面白いね! 王国と無事に仲良くなれたのかな?」
「あれあれー、愚民が偉そうに! 貴族に口聞いちゃうの?」
「質問に答えよ。王国を歩いてきたんだよね?」
「黙れカスが!」
 ウッディが逆上した瞬間、ボスの手から銀の残像が飛んだ。
「!!」
「落ち着け」
 銀のナイフがコンテナに当たって、落ちた。金属製のコンテナが凹んでいる。
 彼女は一際落ち着いた声音で言の葉を紡いだ。
「──〈ヴェルス大公〉。彼奴が王国の〈ヴァンダール国王〉に、和平の交渉を持ちかけていた。秘密裏にね。そうでもなければ、お前がヒューバル山脈を超えて鉱山地区ロジュガまで辿り着けるはずがない。そうだろう?」
「……アタリだ。詳しいじゃん、愚民の癖に!」
「何が目的なんだい?」
 彼女の問いに、ウッディは嬉々として語り始める。
「簡単さぁ! 和平条約が表で通っても、大量の採掘には時間が掛かっちゃうじゃんか。だからちょーっとキミたち下民を痛めつけて、しばらく協力して貰おうかと思ってねぇ」
 “痛めつける?” ……シエルが、ゾッとした。
 それは協力とは言わない。略奪だ。
 今はボスは無表情だ。彼女が黙って聞いているのをよいことに、彼の発言は尊大さを増してゆく。
「所詮、共和国なんてまともな軍隊もない雑魚なんだからさぁ! 雑魚なら大人しく開け渡しなよ! 持ってるんだろぉ? 煌力鉱石レラジエジンをさ!」
「フッ」
 ボスは、不意に吹き出した。
「フフフッ……アハハハ……ッ!!」
 大口を開けて笑う彼女の姿に、場が硬直する。
 隙だらけにも見える彼女の体から、物理的に黒いオーラのようなものが上がった。
「貴様のような愚か者を見ると、愉しくって仕方がないよ……」
「──ボス……?」
 シエルの胸から、言いようもない異物感が込み上げる。
 心底愉快そうに笑むボスの黒いオーラの体感は、今朝の悪夢で得た感覚そのままだった。
「下民風情がァッ! やれ雑種共ォ!」
 二人の兵士達が襲いかかる。剣が振られるより速く、彼女が詠唱した。
みどり・吹け──〈風刃ヴァン〉!』
 風の力をより集めた刃が、剣士達の剣に重たくのしかかる。
 風系統の簡易魔煌ヴィレラと同時に、彼女の右手から複数の銀色のナイフが飛んだ。公国兵の肩の関節部、その僅かな隙間に突き刺さる。どこが開いているのか知っていたかのように、寸分違わず的確に。
 彼女の真後ろのメアリが叫んだ。シエルの腕に触れて。
「シエル、下がりましょう!」
「でもボスが……!」
「巻き込まれるわ!」
 メアリが言った直後、再び魔煌ヴィレラの詠唱が流れた。ボスの足元に光の粒が発生し、舞い上がる。
あか・集い灯せ──〈篝火フラム!〉』
 新人二人の前、ボスの足元に竜巻のような風が起こった。拳大の炎が兵士達の腕で弾ける。
 剣士相手にほぼ魔煌ヴィレラのみで応戦する結社のボスを、ウッディがせせら笑った。
「ダッサ。それしかできないカス女じゃん!?」
 ウッディの野次を耳にしたボスが、ニィと口角を上げる。
 違う・・、とシエルは息を呑んだ。ただの簡易詠唱にしては、煌力レラの光の粒が集まりすぎている。彼女は唄によって集めた自然の力を、周囲に温存しているのだ。
 彼女の右手が指を鳴らした。
『〈篝火フラム〉──〈烈火フラムド〉──〈業火ニフラメア〉!!』
 三回リズムよく鳴らされた指鳴らしを合図に、爆撃、炎柱が次々に現れ現場を焼き尽くした。それらは互いの火を吸収して、そこらじゅうに油を撒いたみたいに大きな炎に成長していた。
「アッチ!! なんだこれはぁ!?」
 敵全体が炎に包まれる。
 結社のボスは両腕を広げ、高らかに唄った。
ぜよほむら! ──〈炎ノ滅却バウスド=バーン〉!!』
 彼女の足元の光が弾けて、黒い手が生えてきた。黒い手はボスと同じポーズを取ると、光の粒を一点に凝縮し、彼女の前に大爆発を起こした。
 思わず、少年の顔が引きつる。
 ──強すぎる。これが生身の人間の芸当だろうか?
 悪夢で見た、恐ろしい銀髪の男性の幻影が重なる。シエルはほんの一瞬だけ、目の前のボスが怖いと思ってしまった。でも、勘違いしたくない。彼女は今も僕らを助けようとしてくれる、かけがえのない恩人なんだ。
「あれ……?」
 己の中で葛藤していたシエルの体がぐらついた。
 かつて呪われた瞳が輝き、視界が黒く染まる。全身の力が抜けていくような脱力感。
 ──シエルの眼球は、悪夢の銀髪の男のようにどす黒く染まっていた。
 自分の異変を誰にも知られたくなくて、少年は咄嗟にしゃがみ込んだ。
「シエル……! 大丈夫……?」
 メアリがそばでシエルの背を抱いた。
 曹長であるウッディが叫ぶ。
「何やってるんだよ雑種! さっさとその女を殺せぇ!」
 灼熱の地獄を浴びせられた兵士二人は、全身黒炭に覆われて、立っているのがやっとの状態になっていた。
「このッ……役立たずのカス共め!!」
 曹長の青年が無慈悲に剣を振る。
「役立たずなら、要らない! しね、しね!」
「うぐっ……」
 背後から討たれた彼の部下の兵士たちは、いずれもなすすべなく血を流し崩れ落ちた。
 メアリの声に怒りが滲む。
「あいつ、自分の仲間を……!」
「ほら、キミらもしんじゃえよッ!」
 ウッディはボスの至近距離に迫って、力一杯両剣を振るった。今度こそ避けられまい、という間合いだったが、ボスは何と『素手』で刀身を掴んでしまった。
「この女っ……!」
 血は流れない。彼女が左手で触れた部分から、黒い樹脂のようなものが剣を呑み込んで行く。あんな禍々しい魔煌ヴィレラは、この場の誰一人、見たことも聞いたこともなかった。
 刃を無力化したボスから離れようとした青髪兵士だが、逆に愛刀を直接捕まえられ、ピクリとも動かすことができない。彼の青い瞳が、初めて恐怖の色に染まる。
「ヒッ……! ばッ、化け物め!!」
「悪あがきか? 貴族風情が」
 赤い瞳と赤い唇がニヤリと歪んだ。狂乱の静寂の中、彼女の右手が天を指す。
「……やめッ……!」
 壮麗なアルトの声が響いた。
『──唸れ曇天・閃光・我らに仇なし・咎ある者へ──墜ちろ! 雷鳴ノ火鎚  ヴォルク=フードゥラ  !』
 坑道の天井に黒い雲が寄り集まった直後、雷鳴が両の耳をつんざいた。彼女の真上から雷が落ちたのだ。
 それはシエル達にも電撃が届く距離だったが、不可思議なことに全く痛みを感じなかった。技が終わる頃には、シエルの“体調不良”も治っていた。
 公国兵士が倒れ伏す。雷の一撃を食らった曹長は、たったの一撃で黒コゲの灰になってしまっていた。
 ボスは両剣だったものを投げ捨てて、手をはたいた。
 二人が駆け寄る。
「ボス……! 大丈夫ですか!」
「なに。ちょっとうるさい虫を片付けただけだ。なんてことない」
 先程までの喜怒哀楽はどこへやら、彼女は急に物事への興味を失ってしまったかのように飄々としている。
「なんてことあるわよ!」
 そんなギルドの長へ、メアリが異論を唱えた。
「ボスさん! ──公国直属の領事軍を殺めると言うことは、一国を敵に回したも同然なんですよ!? 明日にも貴族の手先が、あなたの仲間を傷つけに来るかも知れない……!」
「僕も心配です」
 シエルは故郷、マルス村の悲劇を思い出す。
 民家が焼け、人が、僕の両親が死に、メアリも間接的に母親を失った。あの被害はすべて、〈テスフェニア公国〉の領事軍の手によってもたらされたものだ。
 しかし、ボスは全く気にも留めない様子だった。
「知ってるさ」
「えっ……?」「はぁ……?」
 返事の意味をわかりかねて、弟と姉は声を漏らす。
 ボスは向き直って正面から告げた。親指で首を掻き切るジェスチャーをして。
 
「あと、逆だよ。我々が奴らの大公──ヴェルスの首を狙っているんだ」
 
「「!?」」
 衝撃を受ける二人。
 ボスは、大戦首謀者と呼ばれるヴェルス大公を殺そうとしている。
「だからね、シエル、メアリ。この喧嘩は、是非買って貰わねば困るんだよ」
 わかったかな? と笑う彼女の表情に屈託はなくて、まるで大人びた少女のようにも見えた。
 ボスは二人の間をすり抜けて歩いてゆく。坑道奥の脇から、ロネ先輩が走ってくるのが見えた。
「さ。警戒ついでに、皆で依頼を果たそうか。宿を取るにはまだ早すぎる」
 横顔で笑った彼女。
 少しだけ、理解できたことは、彼女の語る『平穏な世界』は、決して目先のものではない、ということだ。常人からすれば、途方もなく大きな“野望”にも近い夢。
 二人は結社のボスの背を見て、息をした。
 
 ──僕は、とんでもない人と一緒に来てしまったようだ。
 ──私、彼女の底知れない強さの謎に惹かれ始めてる。

 強大な力への畏れを感じると同時に、期待に胸を膨らませた。
 今も胸の高鳴りが止まらない。
「メアリ」
「なぁに」
「僕……、強くなりたい」
 姉もクスリと笑って答えた。
「私も同じ気持ち」
 もしかするとボスなら、本当に──
 この大戦を、終わらせてくれるのかも知れない。