一章『強くなりたい』
“第14話 ‘僕は変わりたい’ ”
――……
――――…………
七年前の、あの日。
今よりずっと幼かった頃。
故郷の村にテスフェニア公国が攻めてきた、最初の日のことだ。
僕の母は、公国の軍隊にやられて、僕の目の前で息絶えてしまった。
攻撃から庇われたような気もする。
けれど、きっと気のせいだ。あの人は、出来の悪い僕を疎ましく思っていた。
直後に家が崩れ、助かったのは僕ひとりだった。
涙は出なかった。
あの人を失ったとき泣けなかった自分が、一番怖かった。
あるとき、そんな記憶をメアリに話したら、彼女はこう言った。
「シエルは、優しいんだね」
「優しい……?」
「うん……辛かったでしょ。もし、嫌いな人がすっぱり居なくなったんだったら、そんな風に悩まないわよ」
――きっと、大切に想ってたんだね。
彼女に言われて、僕の目に初めて涙が滲んだ。
――――…………
――……
嫌われていたかもしれない。
それでも、母に愛されたかった。たとえ愛されなくても、せめて大切に想いたかった。
それが僕の本当の気持ちだ。今でも、あの人に治癒を使えたら、と思うくらいには。
「僕は……」
自分の心は、今もどこか噛み合っていない。
ちぐはぐな自分自身にがっかりして、自己嫌悪に陥る。それはまるで、あれこれ書き殴ったノートの文字に、二重線を引いて、書き換えていくみたいな人生だ。
「僕は、変わりたいんです。だから……」
――どうすればいい?
すぐに答えは浮かんでこない。
横顔を見ていたロネが、急に肩を掴んだ。
「……マッ! 焦ンなよ」
「はえ?」
考え込むシエルに対し、ロネはあっけらかんとした雰囲気で自身の言葉を掛ける。
「ナンとでもなる。変わりてェッてんなら、楽しいことでも増やしていけばいンじゃね」
歯を見せて笑うロネ先輩。彼なりに気を遣ってくれているのだろうと、シエルには感じられた。
「……例えば?」
「カジノ、とか?」
楽しいぜ? と悪い顔でニヤリとするロネ。
ろくな趣味勧めない人だなぁ……と、シエルは心の中で苦笑した。
仲間内で話しているうちに、先程まで怪我人だった人が抱えられ、町に連れて行かれていた。現場のリーダーがこちらに向き直って告げる
「ロネ。改めてやけど、付き合わせて悪かったなあ。……そっちの新顔は?」
ロネは首を振って、二人を右手で示した。
「ウチの新入りだ。メアリと……」
「あ、あの、シエルです」
「そかそか。俺ルドルフ! よろしくな!」
茶髪と金髪がグラデーションになった短髪の青年が、ニコッと笑ってピースサインをした。
「ルドルフさん、ね」
「よろしくです!」
「自分ら、もう昼飯食ってきたか?」
挨拶をしたと思ったら、ずいっと前に出てそう聞いてきた青年に、シエルは面食らって目をぱちくりさせた。
「いえ……」
「ほいじゃ、コレやるわ」
青年は背負っていたデイパックから、そっと紙包みを取り出して、シエルに差し出す。
二つ重ねられた紙包みは、紙袋の中に入れ子になっていたらしい。中から、芳ばしい香りが漂ってくる。
「ベーコンサンドや。ええもんやなくて、ごめんな!」
「あっ、ありがとうございます!」
「大切に頂くわ」
サンドウィッチを受け取ったシエル達は、笑顔でお礼を言った。
ルドルフは、ロネにも紙包みを手渡して喋り掛ける。
「このあと、この子らどうする?」
ロネは手に取った包みをめくり、おもむろにサンドウィッチを一口頬張った。
「やーソレがなァ……迎え、来る予定なンだけどよ」
「待機なんか。やったら、ここら座ってて。迎えが来るまで、居ていいからな」
ルドルフの指は、シエルたちの背後のベンチを指していた。
「は……、ハイ!」
少年が返事をする。
ロネはベーコンサンドを三口ほどで頬張って腹に流し込むと、シエルに話し掛けた。
「オイ。オレ、依頼行くから。もしなんかあったら、スグ〈結社の笛〉吹けよ!」
先輩の指示をうまく理解しかねて、シエルは思い当たる物をポケットから取り出した。
「笛って……、これのことですか?」
〈結社の笛〉……面談で初めて結社に来た日に貰った、赤紫色の笛。赤い鳥のマークが描かれている。
「オウよ。ソイツは、仲間同士の確認と、呼び出しも兼ねた便利アイテムだかンな」
ロネは要点を指で示しながら伝えた。
金髪の青年を振り返って、サムズアップする。
「オッケー。後、パンサンキュー」
ルドルフがぶはっと吹き出した。
「食ってから言うなや! 行くぞっ」
先輩たちは、鉱山の坑道内へと走って行った。
…………
ぽつん、と残された二人。
彼らが去っていくと、急に静かになってしまった。
「とりあえず、ここでボスさんを待ちましょっか」
「そうだね」
二人は武器を置いて、貰ったパンを片手に木製のベンチに腰掛ける。
「じゃあ、さっそく。いただきまーす!」
シエルは黒パンのサンドウィッチを口いっぱいに頬張った。硬めのパンの中にはベーコンレタスとトマトが挟まれており、バターのとろみの中にスパイスのような味がした。
「ンン! おいしー!」
「なんだか、懐かしい味……」
同じようにパンを食べて、メアリがほっと息を吐く。
「そだね。こっちでも食べられてるんだね、黒パン」
シエルが同意して笑いかけたが、彼女は、サンドウィッチに視線を落としながら呟いた。
「……結社の人たちって、私たちのこと、どう思ってるのかしら?」
「どう、って?」
少し浮かない顔だった。活発な姉にしては低い声音で言う。
「帝国の〈逃亡者〉ってこと、言ったじゃない? 表面的によくしてくれてはいるけれど、実際、余計な子を拾った……とか、思ってるんじゃないかしら」
「思ってないよ!」
少年は殊更明るい声で答えた。
「どうして……シエルが答えるの?」
姉が困ったような表情でシエルを見つめる。
メアリの悩みは、本当は、シエルも同様に不安に思っている部分ではあった。
それでも、彼女が不安を抱えているのなら、それを一刻も早く取り除いてあげたいと思った。
「もしもそう思ってたら、結社の制服はくれないし、一緒の馬車にも乗りたくないだろうし。あの鉱石の秘密も絶対教えない。って思うんだ」
シエルは片腕を広げて、身振り手振りしながら語った。
ふわっと、姉が微笑する。
「……そっか」
そうかもね。と曖昧に返事をした彼女は、食べかけのパンを持ったまま立ち上がった。
レイピアを手にして、向かいの壁の案内看板を指差す。
「私、ちょっとそこの看板見てくるわ」
「分かった」
メアリの後ろ姿を見送る。
シエルは食事の片手間に、ロジュガの町を眺めた。
座っているベンチからは、町の遠景がよく見える。馬車で通ってきた林を吹く風も、近隣の小川の流れすらも感じられるほどに。
今いる場所は、建物で言えば三階くらいの高さだ。町の下層も、綺麗に見下ろせる。
シエルはゆっくりとパンの最後の一口を咀嚼して、飲み込んだ。
「ん……?」
鉱山の入り口側に、まん丸い人だかりができている。また何かの事故かな、とも思ったが、そういう雰囲気ではなく賑わっている様子だった。
その中央に見覚えのあるシルエットを発見して、シエルは立ち上がり柵の奥を覗き込んだ。
「――あれは」
高く結わえた黒髪に、紺色のロングコート。
間違いない。結社のボスが町の人に囲まれている。今朝も街頭演説をしてたけど、また人前で何か話している様子だった。
人望があるんだなあ、と思う。
そりゃあ、今朝みたいな戦闘活動をしてるギルドの長なら、有名人でもおかしくないな、と妙に納得した。
少年は彼女の話す様子を見ながら、ふわふわの髪に心地よい風を感じていた。
そよ風の流れが、うねった。
「うわぁっ!?」
シエルは驚嘆の悲鳴をあげた。突如、背後の炭鉱から、爆発音が聞こえたからだ。
爆発音は一度では鳴り止まず、複数回に渡って響き渡る。
今度こそ大事故かもしれない。
「メアリ!!」
振り返ったら、姉の姿が見当たらない。向かいの看板にも、周囲の道筋にも。
青ざめたシエルは姉の名を叫びながら、薄暗い坑道に向かって走り出した。