DR+20


一章『強くなりたい』



 
 
 ぽつん、と残された二人。
 彼らが去っていくと、急に静かになってしまった。
「とりあえず、ここでボスさんを待ちましょっか」
「そうだね」
 二人は武器を置いて、貰ったパンを片手に木製のベンチに腰掛ける。
「じゃ、さっそく。いただきまーす!」
 シエルは黒パンのサンドウィッチを口いっぱいに頬張った。硬めのパンの中にはベーコンレタスとトマトが挟まれており、バターのとろみの中にスパイスのような味がした。
「ンン! おいしー!」
「なんだか、懐かしい味……」
 同じようにパンを食べて、メアリがほっと息を吐く。
「ね。こっちでも食べられてるんだね、黒パン」
 シエルが同意して笑いかけたが、彼女は、サンドウィッチに視線を落としながら呟いた。
「……結社の人たちって、私たちのこと、どう思ってるのかしら?」
「どう、って?」
 少し浮かない顔だった。活発な姉にしては低い声音で言う。
「向こうの〈逃亡者〉ってこと、言ったじゃない? 表面的によくしてくれてはいるけれど、実際、余計な子を拾った……とか、思ってるんじゃないかしら」
「思ってないよ!」
 少年は殊更明るい声で答えた。
「どうして……シエルが答えるの?」
 姉が困ったような表情でシエルを見つめる。
 メアリの悩みは、本当は、シエルも同様に不安に思っている部分ではあった。
 それでも、彼女が大きな不安を抱えているのなら、それを一刻も早く取り除いてあげたいと思った。
 シエルは片腕を広げて、身振り手振りしながら語った。
「もしもそう思ってたら、結社の制服はくれないし、一緒の馬車にも乗りたくないだろうし。あの鉱石の秘密も絶対教えない。って思うんだ」
 ふわっと姉が微笑した。
「……そっか」
 そうかもね。と曖昧に返事をした彼女は、食べかけのパンを持ったまま立ち上がった。
 荷物レイピアを手にして、向かいの壁の案内看板を指差す。
「私、ちょっとそこの看板見てくるわ」
「分かった」
 メアリが歩いていく後ろ姿を見送って、シエルはロジュガの町を眺めた。
 座っているベンチからは、町の遠景がよく見える。馬車で通ってきた林を吹く風も、近隣の小川の流れすらも感じられるほどに。
 今いる場所は、建物で言えば三階くらいの高さだ。町の下層も、綺麗に見下ろせる。
 シエルはゆっくりとパンの最後の一口を咀嚼して、飲み込んだ。
「ん……?」
 見れば鉱山の入り口側に、まん丸い人だかりができている。また何かの事故かな、とも思ったが、どうにもそう言う感じではなく賑わっている様子だった。
 その中に見覚えのあるシルエットを発見して、シエルは立ち上がり柵の奥を覗き込んだ。
「……!!」
 高く結わえた黒髪に、紺色の制服。
 間違いない。結社のボスがみんなに囲まれている。今朝も街頭演説をしてたけど、また人前で何か話している様子だった。
 その姿に、シエルは彼女との初対面の頃を思い出した。
 
 
『やあ、少年よ』
 〈ガルニア帝国〉の食事処での話。
 村の港から近い食事処は、子どもが通う教会の教室への通り道にあることから、いつも老若男女の集いの場のようになっていた。シエルも例外ではなく、なんとなく家に帰りたくない時は、そこの庭の丁度いい高さの石の上に座ってぼーっとする、という時間を過ごしていた。
 その日は共和国からの船がやけに多かったせいか、旅の人に話しかけられた。ただそれだけだった。
『そんなところに居ると風邪を引くよ?』
「いえ、大丈夫です。慣れてるので」
 心配させてしまったようだが、実家でもない居候先に帰るのが億劫なことも、少年にはあった。
 シエルの心境を知ってか知らずか、フードを被った人が僕のそばで世間話を始めた。
『ここは、随分子どもが多いんだね』
「そこに教会があるので、まあ……。貴方も〈ザルツェネガ共和国〉から?」
『ギルドに居てね。異国の旅人なのさ』
 異国の旅人を名乗った人。当時は結社のボスとは思わなかったが、彼女はガルニア帝国では目元まで隠れるくらいのフードの付いたローブ姿で佇んでいた。
「……大きなフードですねぇ」
『いやなに、私は注目されるのがすごーく苦手でね』
「?」
 緊張しいなんですって、と隣の小さな女性が笑う。
 そうなんですか、と相槌を打つ少年。数日後に二度目の紛争が起きるなど誰も知る由がなかった、ひとつき以上前の話。シエルにとって、ごく平和だった日の一幕である。
 
 
 シエルは、変な笑いが漏れてしまった。
 今思うとあの時のボス、冗談ばっかり言ってる、と。
 どこが『注目されるのがすごーく苦手』なのか。この人いつも滅茶苦茶目立ってるじゃん!
 掴みどころのない人だが、多分その手の冗談が好きなのだろう。それだけは分かった気がする。シエルは彼女の話す様子を見ながら、心地よい風を感じた。
 そよ風の流れが、うねった。
「うわぁっ!?」
 シエルは驚嘆の悲鳴をあげた。突如、背後の炭鉱から、爆発音が聞こえたからだ。
 爆発音は一度では鳴り止まず、複数回に渡って響き渡る。
 今度こそ大事故かもしれない。
「メアリ!!」
 振り返ったら、姉の姿が見当たらない。向かいの看板にも、周囲の道筋にも。
 青ざめたシエルは姉の名を叫びながら、薄暗い坑道に向かって走り出した。
 
     ◆
 
 時刻は少し前。
 メアリは、サンドウィッチを食べながら、坑道の案内看板を見ていた。近辺の地図が描かれており、非常に分かりやすい図解になっていた。
(そうか。ここは坑道中層〜上層部で、山脈の奥深くまで繋がってるんだわ)
 地図を見ていると、メアリの居る層に資材置き場があるのを発見した。
 パンを丁度食べ切って、少し様子を見てみようと思い坑道の奥へそそくさと歩いていく。
 実はメアリは、こういった小さな非日常が好きだった。新しい道を見つけたり、普段と違った物を目にすると、それだけで一日が満たされた気持ちになるからだ。
 少し歩けば、自分の背丈ほどもあるコンテナが幾つか確認できた。
 大きな台車に乗せられて、薪や鉱物などがたくさん積み込まれている。
(これは、すごいわ。あの石は、なんなのかしら……)
 近くでよく見たいけれど、長居するとシエルの方が心配だ。
 そろそろ戻ろう、と思った瞬間、一番奥のコンテナが吹き飛んだ。
「ギャアァッ──」
 爆発と同時に、壁から人が飛んできたのだ。大きな衝撃音が複数回に渡って鳴り響く。
 驚きのあまり声も出なかった。
 自分よりも大きなコンテナが、壁ごと吹き飛んで、自分より背の高い人──銀の甲冑を着込んだ男性が倒れたのだ。目の前の光景が瞳に焼き付いている。
 戻って誰かに知らせなきゃ。踵を返そうとした足が、ピタリと止まる。
「ィやーキレーに飛んだねー! キモチ〜」
 壊れた壁から、人が歩いてきた。
 三人居る。指揮官と思しき人物は青髪の若い男。
 後ろ二人の兵士は、どこか感情の乏しい顔で連れ立っている。
「あなたたち……!」
 銀の甲冑に入った紋章は、公国の国旗のものだった。
「〈テスフェニア公国〉領事軍! 何故こんなところに!?」
 メアリが叫ぶと、青い髪の兵士が大口を開けて笑い飛ばす。
「ハハッ、驚いちゃったなぁ! 異文化の下民もボクたちのこと知ってるんだ。へんぴな山でも来てみるものだねぇ〜」
 彼女は立ち尽くした。本物の領事軍を前に、空いた口が塞がらない。
 ガルニア帝国での紛争を思い出す。メアリが十五歳の時に領事軍は村に攻め入ってきて、病弱だった母に暴力を振るったのだ。すぐに父が来てくれたものの、母はその後、床に伏せてしまった。
 最期まで母は苦しそうだった。父が怪我をして、私が家でずっと泣いていたから。
 メアリは、母は病ではなく、領事軍に殺されたと今でも思っている。紛争さえなければ、もっと違った最期があったはずだ。
「おかあさんの仇……」
 唇が震えて、歯を食いしばる。
 青髪兵士の男がそんな彼女を嘲った。
「キミィ、よく見たらハーフエルフ? そのキモイ顔に首輪つけてあげよっか?」
「──はぁ?」
 メアリの怒りの声が漏れる。
 それだけは絶対に許せない言葉だった。
「今の発言、撤回しなさい。さもなくば──」
 我が身が可愛いから、などという理由ではない。エルフの出身であった母の唯一の形見である、己の容姿を誇りに思うから。
 メアリはもらいたてのレイピアの鞘を抜いた。
 
 
「メアリ!!」
 シエルが目にした時、メアリは剣を抜いて相手に差し向けていた。呼びかければ、姉の動きがぴたりと止まる。
 バラバラのコンテナ資材、倒れた人。ここが爆発現場だと直感し、シエルはズボンの左ポケットをまさぐって取り出した笛を、力一杯吹いた。
 ──ピィィ────……!
 甲高いトーンが通った。
 余計な濁りのない音。まるで、大空を渡る鳥の鳴き声を模したかのような音色が坑道内からロジュガの町へと響き渡ってゆく。
 
 
『……あのガキ!?』
 依頼中、坑道の奥で採掘作業に同行していたロネがバッと顔を上げる。
 ルドルフが冷や汗を流した。
「爆発と笛の音か。只事とちゃうな」
『いや……、ボスかもしれねェ……』
「ギルド長来てんの!?」
 すっとんきょうな声が上がる隣で、ロネは振り返ってつま先で地面を蹴った。
『悪ィ! スグ戻る!』
「ロネ!!」
 駆け始めたロネは大きく息を吸って、笛を吹き返した。