夕刻の手紙


一章『強くなりたい』


 
  


 ――……
 ――――…………
 
 あの日のことは、よく覚えている。
 今より幼かった頃の記憶。
 故郷の村にテスフェニア公国が攻めてきた、一度目のとき。
 僕の両親は、僕の目の前で息絶えてしまった。
 ひとりは剣に。ひとりは炎に巻かれて。
 
 それらの敵の攻撃から、庇われたような気がしたけど、もしかしたら気のせいかもしれない。僕の親は不出来な僕を嫌っていたから。
 
 直後に家が倒壊し、幸運にも僕ひとり助かった。
 涙は出てこなかった。
 親の死に目に立ち会っても、僕にはなんの感傷も浮かんでこなかった。なぜか、悲しめなかった。無感情なんかではないのに、どちらかといえば泣き虫な性格なのに、だ。
 
 両親の死とその不可解な心境は、大きな矛盾として、僕の心の奥に、長く永くつっかえ続けた。
 
 あるとき、そんな記憶をメアリに吐露したら、彼女はこう言った。
「シエルは、優しいんだね」
「優しい……?」
「うん……辛かったでしょ。もし、嫌いな人がすっぱり居なくなったんだったら、そんな風に悩まないわよ」
 
 ――きっと、大切に想ってたんだね。
 
 彼女に言われて、僕の目に初めて涙が滲んだ。
 
 
 ――――…………
 ――……
 
 嫌われていたかもしれないけれど、それでも親に愛されたかった。
 たとえ愛されなくても、大切に想いたかった。
 
 それが本当の感情だったのだ。目の前の治癒技術を見て、大嫌いな父と母に使ってあげたかった、と今でも思う程度には。
 
「僕は……」
 僕はちぐはぐだ。
 自分の思考の歪みに気づくたび、汚れた自分自身にがっかりして、そこに二重線を引いて書き換えるような。
 僕の人生はいつも、こんな薄ら寒い作業を必要とする。
 
「僕は、変わりたいんです。だから……」
 ――どうすればいいんだろう?
 変わると言っても、どう変わるのだろう。こんなことに後ろ髪引かれているようでは、先が思いやられる。
 姉の悲しそうな顔が横目に見えた気がした。
 
 暫く少年の横顔を見ていたロネが、急に肩を掴んだ。
「……マッ! 焦ンなよ」
「はえ?」
 考え込むシエルに対し、ロネはあっけらかんとした雰囲気で自身の言葉を掛ける。
 
「ナンとでもなる。変わりてェッてんなら、楽しいことでも増やしていけばいンじゃね」
 歯を見せて笑うロネ先輩。彼なりに気を遣ってくれているのだろうと、シエルには感じられた。
「……例えば?」
「カジノ、とか?」
 楽しいぜ? と悪い顔でニヤリとするロネ。
 ろくな趣味勧めない人だぁ……と、シエルは心の中で苦笑した。
 
 仲間内で話しているうちに、先程まで怪我人だった人が抱えられ、町に連れて行かれていた。現場のリーダーがこちらに向き直って告げる。
「ロネ。改めてやけど、付き合わせて悪かったなあ。……そっちの新顔は?」
 ロネは首を振って、二人を右手で示した。
 
「ウチの新入りだ。メアリと……」
「あ、あの、シエルです」
「そかそか。俺ルドルフ! よろしくな!」
 茶髪と金髪がグラデーションになった短髪の青年が、ニコッと笑ってピースサインをした。
 
「ルドルフさん、ね」
「よろしくです!」
「自分ら、もう昼飯食ってきたか?」
 
 挨拶をしたと思ったら、ずいっと前に出てそう聞いてきた青年に、シエルは面食らって目をぱちくりさせた。
「いえ……」
「ほいじゃ、コレやるわ」
 青年は背負っていたデイパックから、そっと紙包みを取り出して、シエルに差し出す。
 
「えっ」
 二つ重ねられた紙包みは、紙袋の中に入れ子になっていたらしい。中から、芳ばしい香りが漂ってくる。
「ベーコンサンドや。ええもんやなくて、ごめんな!」
「あっ、ありがとうございます!」
「大切に頂くわ」
 サンドウィッチを受け取ったシエル達は、笑顔でお礼を言った。
 
 ルドルフは、ロネにも紙包みを手渡して喋り掛ける。
「このあと、この子らどうする?」
 ロネは手に取った包みをめくり、おもむろにサンドウィッチを一口頬張った。
「やーソレがなァ……迎え、来る予定なンだけどよ」
「待機なんか。やったら、ここら座ってて。迎えが来るまで、居ていいからな」
 ルドルフの指は、シエルたちの背後のベンチを指していた。
「は……、ハイ!」
 少年が返事をする。
 ロネはベーコンサンドを三口ほどで頬張って腹に流し込むと、シエルに話し掛けた。
 
「オイ。オレ、依頼行くから。もしなんかあったら、スグ〈結社の笛〉吹けよ!」
 先輩の指示をうまく理解しかねて、シエルは思い当たる物をポケットから取り出した。
「笛って……、これのことですか?」
 〈結社の笛〉……面談で初めて結社に来た日に貰った、赤紫色の笛。赤い鳥のマークが描かれている。
「オウよ。ソイツは、仲間同士の確認と、呼び出しも兼ねた便利アイテムだかンな」
 ロネは要点を指で示しながら伝えた。
 金髪の青年を振り返って、サムズアップする。
 
「オッケー。後、パンサンキュー」
 ルドルフがぶはっと吹き出した。
「食ってから言うなや! 行くぞっ」
 先輩たちは、鉱山の坑道内へと走って行った。
 
 
 
 
 …………
 ぽつん、と残された二人。
 彼らが去っていくと、急に静かになってしまった。
 
「とりあえず、ここでボスさんを待ちましょっか」
「そうだね」
 二人は武器を置いて、貰ったパンを片手に木製のベンチに腰掛ける。
 
「じゃあ、さっそく。いただきまーす!」
 シエルは黒パンのサンドウィッチを口いっぱいに頬張った。硬めのパンの中にはベーコンレタスとトマトが挟まれており、バターのとろみの中にスパイスのような味がした。
 
「ンン! おいしー!」
「なんだか、懐かしい味……」
 同じようにパンを食べて、メアリがほっと息を吐く。
「そだね。こっちでも食べられてるんだね、黒パン」
 シエルが同意して笑いかけたが、彼女は、サンドウィッチに視線を落としながら呟いた。
 
「……結社の人たちって、私たちのこと、どう思ってるのかしら?」
「どう、って?」
 少し浮かない顔だった。活発な姉にしては低い声音で言う。
 

帝国むこうの〈逃亡者〉ってこと、言ったじゃない? 表面的によくしてくれてはいるけれど、実際、余計な子を拾った……とか、思ってるんじゃないかしら」
 
「思ってないよ!」
 少年は殊更明るい声で答えた。
「どうして……シエルが答えるの?」
 姉が困ったような表情でシエルを見つめる。
 メアリの悩みは、本当は、シエルも同様に不安に思っている部分ではあった。
 それでも、彼女が不安を抱えているのなら、それを一刻も早く取り除いてあげたいと思った。
 
「もしもそう思ってたら、結社の制服はくれないし、一緒の馬車にも乗りたくないだろうし。あの鉱石の秘密も絶対教えない。って思うんだ」
 シエルは片腕を広げて、身振り手振りしながら語った。
 ふわっと、姉が微笑する。
「……そっか」
 そうかもね。と曖昧に返事をした彼女は、食べかけのパンを持ったまま立ち上がった。
 レイピアを手にして、向かいの壁の案内看板を指差す。
 
「私、ちょっとそこの看板見てくるわ」
「分かった」
 メアリが歩いていく後ろ姿を見送る。

 シエルは食事の片手間に、ロジュガの町を眺めた。
 座っているベンチからは、町の遠景がよく見える。馬車で通ってきた林を吹く風も、近隣の小川の流れすらも感じられるほどに。
 今いる場所は、建物で言えば三階くらいの高さだ。町の下層も、綺麗に見下ろせる。
 シエルはゆっくりとパンの最後の一口を咀嚼して、飲み込んだ。
 
「ん……?」
 鉱山の入り口側に、まん丸い人だかりができている。また何かの事故かな、とも思ったが、そういう雰囲気ではなく賑わっている様子だった。
 その中央に見覚えのあるシルエットを発見して、シエルは立ち上がり柵の奥を覗き込んだ。
 
「――あれは」
 高く結わえた黒髪に、紺色のロングコート。
 間違いない。結社のボスが町の人に囲まれている。今朝も街頭演説をしてたけど、また人前で何か話している様子だった。
 
 人望があるんだなあ、と思う。
 そりゃあ、今朝みたいな戦闘活動をしてるギルドの長なら、有名人でもおかしくないな、と妙に納得した。
 
 少年は彼女の話す様子を見ながら、ふわふわの髪に心地よい風を感じていた。
 そよ風の流れが、うねった。
 
「うわぁっ!?」
 シエルは驚嘆の悲鳴をあげた。突如、背後の炭鉱から、爆発音が聞こえたからだ。
 爆発音は一度では鳴り止まず、複数回に渡って響き渡る。
 今度こそ大事故かもしれない。
 
「メアリ!!」
 振り返ったら、姉の姿が見当たらない。向かいの看板にも、周囲の道筋にも。
 青ざめたシエルは姉の名を叫びながら、薄暗い坑道に向かって走り出した。