一章『強くなりたい』
…………
「おおい、待ってくださいよー!」
早足で歩く彼を追いかけて、三人で町の奥地まで来ると、彼はようやっと一言呟いた。
「待ってンだろ」
「どこがなのよ」
「ゆったり歩いてら」
「早いです、先輩……」
シエルはちいさな苦言を呈した。
ここ鉱山側の道は、楕円の螺旋状に作られていて、最奥が主な坑道への入り口になっているのだが、非常に坂道が多く歩いているだけで疲弊する。
「オレは人待たせてンだよ」
「人を?」
鉱山への道のりを進んでいると、人だかりができているのが見えた。
見るや、坑道に向かって先輩が走り出す。
「あ! ちょっと!」
メアリとシエルの二人が走って追いつくと、人々の真ん中──坑道の片隅に、倒れた人が居た。
「ロネ! 悪い、今、立て込んでてなぁ」
現場で介抱する人がロネに気付き、深刻な顔で告げる。ロネはすぐさま屈んで、聞き返した。
「リーダー。ナニがあった?」
「正午頃……、坑内で不審な爆発があったんや。それで火傷を負ったんやって」
「ひどい怪我……」
思わず、メアリが口元を抑える。
倒れた怪我人は、顔の部分が赤くただれてしまって、首から右半身にかけて焼け焦げた身体になっているのが見えた。
「煌力鉱石持って来て! 鑑定済の!」
火傷した患部を冷やしながら、リーダーと呼ばれた介護人が叫ぶ。怪我人は痛々しい表情で微かに首を振り、声を絞り出していた。
「い、いい……から……そんなリル、すぐには出せねぇ」
「労働災害に野暮なこと言わねえわ」
「あ、ありがてぇ……ゲホ、ゴホッ……」
屈んでいるロネが振り返って、シエルたちに告げた。
「丁度、治癒結晶を使うパターンらしいぜ。珍しいな」
ロネの言葉に、その場に居た茶髪の女性が答える。
「実は、そう珍しくもなかったりするのよ。この結晶は、現場や戦争には欠かせない物だからね」
「戦争……」
シエルは息を呑んだ。治癒の力が争うために常用されるのは、あまりにも恐ろしい。
坑道の表側から作業着の人が走ってくる。翡翠色の石を手に持って。
「持ってきたよ!」
助かる、と受け取ると、現場の男性は怪我人の胸に煌力鉱石を押し当てて、叫んだ。
『癒せ──《煌石ノ奇跡》!』
結晶が弾け周囲がパアっと明るくなる。姉が感嘆の声を漏らした。
「肌が光って……!」
怪我人の、ただれていた皮膚の部分がキラキラと輝いて、みるみると癒えてゆく。火傷を負った部分が──完全には治るはずのなかった傷跡が、跡形もなく消えていった。
「……すごい」
目がその場に縫い付けられてしまったようになる。シエルは彼らを見ながら、つぶやいた。
「僕にも、できるでしょうか?」
「出来ンだろ。物さえありゃあ」
荒かった息を整えた人の笑顔を見た、瞬間。
シエルは、ある日のことを思い出していた。
……──
…………────
あの日のことは、よく覚えている。
マルス村でのこと。テスフェニア公国が攻めてきた、一度目のとき。
僕の両親は、僕の目の前で息絶えてしまった。
ひとりは剣に。ひとりは火に焼かれて。
それらの敵の攻撃から、庇われたような気がしたけど、もしかしたら気のせいかもしれない。僕の親は、不出来な僕を嫌っていたから。
直後に家が倒壊し、幸運にも僕は助かった。
涙は出てこなかった。僕は、親の死に目に立ち会っても、無感傷だった。
なぜか悲しめなかった。
両親の死とその心境は、大きな矛盾として、僕の心の奥に長く永くつっかえ続けた。
あるとき、そんな記憶をメアリに吐露したら、彼女はこう言った。
「シエルは、優しいんだね」
「優しい……?」
「うん……辛かったでしょ。もし、嫌いな人がすっぱり居なくなったんだったら、そんな風に悩まないわよ」
──きっと、大切に想ってたんだね。
彼女に言われて、僕は初めて涙を零した。
────…………
──……
嫌われていたかもしれないけれど、それでも親に愛されたかった。
たとえ愛されなくても、大切に想いたかった。
それが本当の感情だったのだ。今も、この治癒技術を見て、大嫌いな父と母に使ってあげたかった、と思う程度には。
「僕は……」
僕はちぐはぐだ。
自分の思考の歪みに気づくたび、汚れた自分自身にがっかりして、そこに二重線を引いて書き換えるような。
僕の人生はいつも、こんな薄ら寒い作業を必要とする。
「僕は、変わりたいんです。だから……」
──どうすればいいんだろう?
変わると言っても、どう変わるのだろう。こんなことに後ろ髪引かれているようでは、先が思いやられる。
姉の悲しそうな顔が横目に見えた気がした。
暫く少年の横顔を見ていたロネが、急に肩を掴んだ。
「……マッ! 焦ンなよ」
「はえ?」
考え込むシエルに対し、ロネはあっけらかんとした雰囲気で自身の言葉を掛ける。
「ナンとでもなる。変わりてェッてんなら、楽しいことでも増やしていけばいンじゃね」
歯を見せて笑うロネ先輩。彼なりに気を遣ってくれているのだろうと、シエルには感じられた。
「……例えば?」
「カジノ、とか?」
楽しいぜ? と悪い顔でニヤリとするロネ。
ろくな趣味勧めない人だぁ……と、シエルは心の中で呟いて苦笑した。
仲間内で話しているうちに、先程まで怪我人だった人が抱えられ、町に連れて行かれていた。現場のリーダーが、向き直って告げる。
「ロネ。改めてやけど、付き合わせて悪かったなあ。……そっちの新顔は?」
ロネは首を振って、二人を掌で示した。
「ウチの新入りだ。シエルとメアリ」
「そかそか。俺ルドルフ! よろしくな!」
茶髪と金髪がグラデーションになった短髪の青年が、ニコッと笑ってピースサインをした。
「ルドルフさん、ね」「よろしくです」
「自分ら、もう昼飯食ってきたか?」
挨拶をしたと思ったら、ずいっと前に出てそう聞いてきた青年に、シエルは面食らって目をぱちくりさせた。
「いえ……」
「ほいじゃ、コレやるわ」
青年は背負っていたデイパックから、そっと紙包みを取り出して、シエルに差し出す。
「えっ」
二つ重ねられた紙包みは、紙袋の中に入れ子になっていたらしい。中から、芳ばしい香りが漂ってくる。
「ベーコンサンドや。ええもんやなくて、ごめんな!」
「あっ、ありがとうございます!」
「大切に頂くわ」
サンドウィッチを受け取ったシエル達は、笑顔でお礼を言った。
ルドルフは、ロネにも紙包みを手渡して喋り掛ける。
「このあと、この子らどうする?」
ロネは手に取った包みをめくり、おもむろにサンドウィッチを一口頬張った。
「やーソレがなァ……迎え、来る予定なンだけどよ」
「待機なんか。やったら、ここら座ってて。迎えが来るまで、居ていいからな」
ルドルフの指は、シエルたちの背後のベンチを指していた。
「は……、はい!」
話しかけられるまま少年が返事をする。
ロネはベーコンサンドを三口ほどで頬張って胃に流し込むと、シエルに話し掛けた。
「オイ。オレ、依頼行くから。もしなんかあったら、スグ《結社の笛》吹けよ!」
《結社の笛》……先輩に言われた指示を理解しかねて、シエルは思い当たる物をポケットから取り出した。
「笛って……、これのことですか?」
面談で初めて結社に来た日に貰った、赤紫色の笛。赤い鳥のマークが描かれている。
「オウよ。ソイツは仲間同士の確認も出来るし、身内の呼び出しも兼ねた、便利アイテムだかンな」
ロネは要点を指で数えながら喋った。そして、金髪の青年を振り返って、サムズアップする。
「オッケー。後、パンサンキュー」
ルドルフがぶはっと吹き出した。
「食ってから言うなや! 行くぞっ」
先輩たちは、鉱山の坑道内へと走って行った。