DR+20


一章『強くなりたい』



     ◆
 
 林道を抜ければ、開けた広場のような土地に出た。一向はそこで馬車を降りると、ボスの指示により、乗り物の留場と思しき場所で馬車は停められる。
 広場の奥には峡谷があり、立派な吊り橋がかかっているのが見えた。
「着いたぞ。この向こうが目的地だ」
 ボスが吊り橋の前で振り返り、告げた。
「長い橋ですねえ」
「……そこに滝があッからな」
 先輩に言われ橋の足元を覗き込むと、十数マーレ*約十数メートルほど下に川が流れているのがシエルの目にも確認できた。
 一歩踏み違えたら、奈落の底に落ちてしまいそうだ。
「迫力、すごいわね……」
 メアリが目を瞬かせ肩をこわばらせている。
「ほんとだよ」
 ボスを先頭にして、そろりそろりと橋を渡って行く。
 橋を渡りきり、少し急なブロック状の階段を上ると、そこには町があった。
 大きな山を背景に黒いトタンの屋根の家々が立ち並ぶ、古風な町並み。
 黒い家屋は、地面の上のみにとどまらず、家屋の上にも別の民家が建っていたりする。さらに不思議なのは、山脈にせり立つ崖のような立地の場所にすらも、ちょこんと家が建てられているところだった。たくさんの柱に支えられてはいるが、シエルの感覚では、それは今にも落ちてしまいそうにも見えた。
 ここが鉱山地区、ロジュガ。
「わぁ……」
 町を歩けば、街角には薪などの資材が置かれている。
 道ゆく人々はどことなく職人風で、腰ベルトに工具のようなものをぶら下げている人も散見された。
 姉の感想が落ちる。
「なんだか、独特な町」
「だろ?」
 ロネが心地良さげにニッと笑った。
「おや……」
 結社のボスは路傍を見遣った。
 町の奥から、複数の人が歩いてくる。その先頭は、長いローブを羽織り、シルクハットを被った初老の男性だ。
「こんにちは」
 老人は、手で軽く帽子を取ってこちらに挨拶をした。柿色の髪と瞳が覗く。
 しわの浮いた手とは裏腹に、彼の立ち姿はスラリとしていて、年齢による衰えを全く感じさせない。片手に持っている杖など、必要ないのではないかと思えるほどだった。
 結社の長が歩み寄り、彼の挨拶に答える。
「フラーク伯。お出迎えとは……」
「ちょいと早かったかね? ギルド長、ご機嫌麗しゅう」
「とんでもない。お陰様でね」
 ボスがにこやかに歓迎の姿勢を取っていることから、彼こそが〈ボスの商談相手〉なのだろう。
 シエルは偉い人同士の会話を上目で見守る。そんなシエルたちの姿を一瞥した老人が、ボスに視線を戻しながら、苦笑した。
「相変わらず多忙なようだねえ。余計な時間は取らせないよ、今日の儂は」
 帽子の影でウィンクなんかをして言われたボスが、肩をすくめ首を傾けた。
「フッ、またそのような戯れを」
 今のが冗談だとしたら、レベル高すぎる。
 シエルとメアリはそんな似たような感想を浮かべた。
 ボスは背後を見、青年に向かって一つ肯いた。
「ロネ。すぐに戻るが……後は頼んだよ」
「オウよ」
 サッと手を挙げたロネは、二人に顔を寄せてボソッと『行くぞ』と囁いた。
「え、あ、はい!」「ええ」
 返事をして、歩き出した青年についていく二人。
 シエルが後ろを振り返ると、ボスと商談相手たちが別の道へ歩いてゆくのが見えた。
「ボスも、行っちゃいましたね」
「オイ、クソガキ。あのオッサン……、見たことあるか?」
 前を歩くロネの問いかけに、シエルは素早く首を横に振った。
「いえ、全然」
「アイツ、今朝の傭兵団の雇い主だぜ」
「エ!?」
 ロネは前を見たまま言葉を続けた。
「オズウェル・フラーク。〈柿色の商会フラーク・カンパニー〉のトップだ」
「大丈夫なんですか!?」
「ハ? まさかテメェ、ウチのボスの心配してンのか?」
 深緑の目でシエルを睨みつけるロネ。
「うわっ」
 眉間に大きな皺が寄っていた。
 やっぱり怖い。震えているシエルの隣で、メアリが真っ直ぐ彼を見て言い返した。
「それはそうでしょ。あんな人たちの雇い主なんて……ボスさんが危ないかも、って誰だって思うわよ」
 レモンイエローの瞳が煌めく。
 メアリは盗賊紛い相手に、戦いを受けて出たような女性だ。彼女が危険と語るのなら、相当なものだろう。
「ボスはそンな……」
 しかし、ロネは彼女の言い分を聞いてスッと息を吸うと、下を向いて言い直した。
「……いンや。相手の〈柿色の商会フラーク・カンパニー〉って言や、この辺一帯の商店の元締めなンだ。その傘下が大通りで盗賊稼業に手を染めたと来りゃ、あのオッサンの方がキレるだろうぜ」
 青年の説明を聞いてシエルは、柿色の髪の老人が怒る姿を思い浮かべようとする。が、老人の穏やかな笑顔が印象的で、別の顔が全く浮かんでこなかった。
「あのおじいさんがキレるのも……想像できないけどなぁ」
「一応前からウワサにはなってたかンな。多分、その件が今日の話の“半分”だったハズだ」
「もう半分がある、って言い方ね?」
「オウ」
 一件の家屋の前で立ち止まると、ロネが片手で扉を開く。ドアにつけられたベルの音が鳴った。
「《煌力鉱石レラジエジン》の件だ」
 その薄暗い武器屋の中央には、翡翠色の光──結晶がたくさん並べられていた。
「綺麗……」
 美しい輝きを放つ鉱石たちが、二人の黄味掛かった瞳に映り込む。
 ロネが店の人間に語りかけた。
「よォ、ヴェルダム」
 青年が手を振れば、バンダナを巻いた男性が笑って出迎える。
「おっ来たか! ヘヘッ、ラッシャイ!」
 炭で汚れたシャツを着た彼が、店主なのだろう。バンダナの下に逆立った黒髪が跳ねており、その分厚い手袋の中にはハンマーが握られている。風貌的には鍛治職人のように見えた。
 見れば、店内の壁には両刃の剣や斧などもレイアウトされている。
 青年が緩く笑む。
「ハ、元気そうだなァ」
「あたぼうよぉ! 鋼のわかる奴が来てくれたらなぁ!」
「いつもサンキュな。煌力鉱石レラジエジン、一瞬見してもらうぜ?」
「好きなだけ見てけや」
 青年の後ろでシエルは店主に一礼すると、一歩進み出てガラスのショーケースの中の鉱石を見つめた。
「これが……《煌力鉱石レラジエジン》ですか?」
「ゼーンブ、そうだ。さっき言った〈柿色の商会フラーク・カンパニー〉が多く取り扱っててよ……、どした?」
 目が吸い寄せられたみたいになる。鉱石に吸われた少年の視界は、ぐらりと揺らいで、ノイズが掛かったように見えた。
「僕、これ、見たこと、あって」
 喋りながら、鉱石の翡翠色に、真っ赤な血飛沫が被って映る。
 雪の上に立つ軍人の手が翡翠色に輝いたのは、一体何年前だっただろうか?
「軍人が……持ってた…………」
「シエル!」
 項垂れて倒れかけた少年の体を、メアリが支える。
「……すみません」
 肩を支えられ踏みとどまった少年。今、シエルの顔色は、尋常ではないほど悪かった。
 ロネが僅かに目を細める。
「詳しくは聞かねェ。無理すんな」
 シエルは、故郷での紛争を思い出した。最初の、被害の大きかった紛争。
 公国の軍人が鉱石を使い、大規模な魔煌ヴィレラを発動するべく煌力レラを増幅させていた姿を。
「いえでも……やっと分かりました。これは“兵の煌力レラを増やすための道具”ですね」
「いいセン行ってるが、ちょいと違うな」
 灰髪の青年は翡翠色の鉱石を眺め、とつとつと語った。
煌力鉱石レラジエジン──別名、治癒結晶。その名の通り、呪文ひとつで人体の傷を癒す。加えて修復能力もある。それが深く抉れちまった肉や、原因不明の病でも──コイツはたちどころに治しちまうンだと」
 シエルは丸い目をさらに見開いた。
「なんですか、それ」
「もちろん、デメリットはあるぜ。すぐ使わなきゃー意味ないんだってよ。効果薄れるッつか? 後、連続でやると体に毒らしい。そンでも、一回怪我が治るならサイコーだろ?」
 効果が反則級にも程がある。
 弟を支えていたメアリが、信じられない、という表情で彼に言いつのる。
「嘘よ。癒しはどんな《魔煌ヴィレラ》でも与えられないのに、切創や病がすぐ治るだなんて……」
「そンな都合のいい物、って思ッたか?」
 メアリは言葉に詰まった。
 図星だった。デメリットに対してメリットが巨大すぎるのだ。言葉を選ばずに言えば、完全なチート技に限りなく近い物。
「テメェらが今まで知らなかっただけだ。それがフツーだ」
 無表情で言い放ったロネは、ふいと店の奥を見ると、店主に声を投げた。
「なァ、ヴェルダム。例のヤツ寄越せよ」
「アイヨッ!」
 店主は、待ってましたと言わんばかりにカウンターの奥から、長物をふたつ取り出す。
「今回のブツもお代に恥じない、おれの自信作だ!」
「わあってるよ。だから頼んだンだ」
 満足そうに受け取るや、ロネはその長くて白い包みを二人にそれぞれ手渡した。
「コレ。得物だ!」
 開けてみなと提案を受けてメアリが布を開くと、細長い剣が姿を現した。青色の柄に翼のような意匠が施された、見事な細剣。
「まぁ、長いのね」
「レイピアっつンだ。間合いが取れて、素早く振れることで有名だ」
 メアリがこぶし一つ分ほど剣を抜いてみたら、彼の言うとおり突きや振りに長けたレイピアであることが確認できた。
 細剣を鞘に戻しながら、メアリは喜んで青年の顔を見る。
「しかも軽い! いいの? こんな物頂いちゃって」
 ロネは気取った態度で答えた。
「……あんたの拳、中々よかッたぜ」
「え、何? 気持ちわるいわ」
 メアリには普通に引かれた。
「人が褒めてンだよ! とにかく、きっと上手く使えるハズだ」
 ロネがムキになって反論する隣で、同じように包みを開いたシエルはびっくりしていた。
「刀身が……ない……!?」
 中身はスタイリッシュな短剣のように見えたのだが、茶色い鞘から剣を抜くと、なんと“剣”の部分がほとんどないのだ。紙などが切れそうな先端が申し訳程度に付いてはいるものの、鞘の空洞部分はほぼフェイクといって差し支えないものだった。
「オウ。そのほうが良いだろ、テメーは」
 ロネがそっけなく答える。
 乳白色の柄の部分は握りやすいよう指に沿った形で作られ、緑の鉱石と金の装飾が輝く美麗な剣柄。
 それは、適性試験で見せたシエルの【剣を膨大な煌力レラで形作る】技の力を発揮しやすいようにと考え、特注で作られた一品だった。
「え……もう絶対【呪い】使うこと前提ですか? 僕最近寝つきが悪くて……」
 一方、シエルには懸念点があった。
 最近大幅寝坊するくらいには体調が思わしくないのに、【呪い】の力をほいほい使ってよいものなのか。
 そんなささやかな悩みから出た言葉は、
「気合いでナントカしろ」
 先輩にしれっと流されてしまった。
「まじで!?」
「マジ。次、行くぞ」
 またなヴェルダム、と手を振りながら、扉に手を掛ける青年。
「オウ! 近々顔見せに来いよ!」
 元気な店主が笑顔で手を振り返している。
「待って!」「何処にですかー!?」
 ロネが店から出てしまったから、武器を手にした僕らは急いでそれを追いかけた。