夕刻の手紙


一章『強くなりたい』


 
  


 ――……
 ――――……
 
 結社の階段を降りて外に出れば、白い馬に引かれた馬車が結社の前に着いていた。
 四人乗りの馬車に乗り込むと、全員が向かい合う形になる。シエルは姉の隣にくっついて座った。走り出した馬車は、春の大通りをゆったりと通りすぎ、西口を抜けた。人通りもまばらな林道に差し掛かると徐々に速度を上げて行く。その様をシエルは小窓から眺めていた。
 
「僕、こっち側に出るの、初めてです」
 先週までの長旅を思い出しながら、呟く。
 帝国を出たあと、ボスたちの船で共和国の港に着いて。そこからは、ひたすらに首都ズネアータを目指して馬車と徒歩だけでやってきた。新しい人生の為に。
「そうか。東の港町から来たんだったかな」
 旅の同行者であったボスも頷いた。
 彼女の隣のロネが、ぎろりと少年たちを睨む。
 
「……ジルド港出身なンか? テメーら」
「いや……ええっと……」
 シエルがどもると、メアリが笑顔で口を挟んだ。
「実はそうなの。海辺の町っていいわよね」
「ヘェ。それじゃ、今まで首都には来なかったんだな」
「えぇ」
 やはり流石は三つ違いの義姉と言うべきか、その場しのぎの嘘ですんなりと話を合わせてしまった。
 
 ロネが身振り手振りをしながら語る。
「首都〈ズネアータ〉に来たら、大抵の奴が鉱山地区〈ロジュガ〉にも行きたがるらしいンだよ。何でも、昔っから観光のガイドブックに載ってンだと」
「なるほど」
 相槌を返しながらシエルは冷や汗をかいた。
 
 僕らはガルニア帝国からの〈逃亡者〉だ。知られるとまずい情報だらけだ。出自についてあまり話すと、いつかボロが出るかもしれない。
 姉も同じことを考えているのか、窓の外に視線を逃がしているのが窺えた。
 馬車内に空白の時間が流れる。沈黙を破ったのは、ギルドの長だった。
 
「皆。好きな食べ物なんかはあるのか?」
「た……たべもの?」
 急に? と言いそうになったが、それは顔に出ていたのかもしれない。ボスにクスリと笑われた。
「いや、親睦を深めたいと思って」
 意味ありげに笑う彼女。話の流れ的に庇ってくれたのだろうか。
「好きな食べ物、ねぇ」
 姉のつぶやきを聞くや、ロネが前のめりになって片腕でガッツポーズした。
 
「オレは肉だ!!」
「うん、そうだね」
 知ってる、と笑う。ボスのその声音は、まるで手のかかる子をあやすようなトーンだった。いつもより話しやすい雰囲気だ、と少年は感じた。自然と笑みが溢れる。
 
「僕はパンが好きですね。特にこの辺のパンは美味しくて!」
「パンに違いなんかあンのかよ」
「帝――、故郷では黒パンをスープに浸したものがあったんですけど、こう……硬くてモサモサした食感なんですよ。でも、ここらで売ってるパンはすごく柔らかいから、初めて食べた時ビックリしました」
 
 シエルは話しながら心臓がバクバク鳴った。
 この辺のパンの美味しさを語りたいがあまり、うっかり帝国と言いそうになった。
 
 気づかれたのだろう、ボスが目の前で含み笑いをしながら答える。
「あー、原料に小麦が使われているせいだな」
「原料が違うんですね! 向こうじゃ確か、いつもライ麦だったな……」
「シエルは食いしん坊よね」
 姉にも笑われてしまい、シエルは自身の茶髪を掻いた。
「えへへ……ボスにも、好きな食べ物、あるんですか?」
 一抹の勇気を出して聞く。今なら、結社のボスのことが知れる気がした。
 
「私は酒だな。特にウイスキー」
 目を伏せて、彼女はあっさりと答えてくれた。
「お酒、ですか?」
「あぁ。共和国のウイスキーはやや辛口でね。ナッツやチーズと頂くと、これが格別なんだ」
「へぇ〜」
 共和国のウイスキー。今年成人したら一度飲んでみたいな、と、シエルは夢を膨らませた。
 
「君は?」
 ボスがメアリに視線を移す。
「んー……。私はリンゴかしら。生でも美味しいし、煮込んでジャムにしても美味しいわ」
「リンゴは焼いても美味しいね」
「えぇ!」
 シエルは、目を丸くした。メアリとボスが笑顔で話している。同時に、故郷・マルス村でのメアリ宅の夕食の光景を思い出した。
「そういえば、メアリが作ってくれたお祝いの日のタルトとか、甘くて美味しかったなぁ」
「そぉ?」
 弟の言葉に、また作ってあげるね! と微笑むメアリ。
 
「ンじゃあ、こういうのは知ッてっか?」
 向かいのロネが懐から小さなラッピング袋を取り出し、中から出したものをメアリに手渡した。
「何? この丸っこいもの」
 姉の手のひらには、まん丸い白い塊が乗っかっていた。それは見るからにフワフワで、粉雪をそのまま固めたみたいな風貌だった。
 
「マシュマロってんだ」
「マシュマロ」
 ロネは続けてそれをシエルに手渡して、少し間を置いて、ボスにもそれを渡していた。
 一口どうぞ、ということなのだろう。シエルは迷わずマシュマロを口に放り込んだ。そのお菓子は、舌に乗せた瞬間に柔らかくとろけて、甘みが口いっぱいに広がった。
 
「うわぁ! 美味しいーー!」
「柔らかくて、甘いのね。アイスクリームともちがう……」
 
 あまりの美味しさに衝撃を受けるシエルと、味の分析を始めたメアリの隣で、同じお菓子を食べたボスは何とも言えない苦笑を浮かべていた。
 
「ロネ。お前はいつも変わった菓子を持ってるなぁ」
「……悪ィかよ」
「いいや? 可愛いね」
「男に可愛いとか言ってンな!」
 シエルは二人のやりとりを聞いていて、新鮮な気持ちになった。
 ロネ先輩。どうにも彼は、結社のボスから相当信頼されている感じがする。でなければ、こんな不思議な四人組での外出は叶わないのだろうし……。
 今朝だって僕らを守ってくれたんだ。見た目は怖くても、わるい人ではないのかも知れない。
 
「あの……っ! 先輩! もし、失礼だったら申し訳ないんですけど……」
「あンだ?」
 シエルの目がキラキラ輝いている。
「コレ、どこに売ってるんですか!?」
 もっと普通に訊けよ、とロネに盛大に笑われた。
 近々教えてもらう約束を取り付けて、シエルは終始ご満悦で束の間の馬車の旅を楽しんだ。
 
 
     ◆
 
 
 林道を抜ければ、開けた広場のような土地に出た。一向はそこで馬車を降りると、ボスの指示により、乗り物の留場と思しき場所で馬車は停められる。
 広場の奥には峡谷があり、立派な吊り橋がかかっているのが見えた。
 
「この向こうが目的地だ」
 ボスが吊り橋の前で振り返り、告げた。
「長い橋ですねえ」
「……そこに滝があッからな」
 先輩に言われ橋の足元を覗き込むと、十数マーレ*約十数メートルほど下に川が流れているのが確認できた。
 一歩踏み違えたら、奈落の底に落ちてしまいそうだ。
「大迫力ね」
 メアリが目を瞬かせ肩をこわばらせている。
 ボスを先頭にして、そろりそろりと橋を渡って行く。
 
 橋を渡りきり、急なブロック状の階段を上ると、そこには町があった。
 大きな山を背景にトタンの屋根の家々が立ち並ぶ、古風な町並み。
 黒い家屋は、地面の上のみにとどまらず、家屋の上にも別の民家が建っていたりする。さらに不思議なのは、山脈にせり立つ崖のような立地の場所にすらも、ちょこんと家が建てられているところだ。たくさんの柱に支えられてはいるが、シエルの感覚では、それは今にも落ちてしまいそうにも見えた。
 
 ここが鉱山地区、ロジュガ。
 
「わぁ」
 町を歩けば、街角には薪などの資材が置かれている。
 道ゆく人々はどことなく職人風で、腰ベルトに工具のようなものをぶら下げている人も散見された。
 姉の感想が落ちる。
「なんだか、独特な町」
「だろ?」
 ロネが心地良さげにニッと笑った。
 
「おや……」
 結社のボスは路傍を見遣った。
 町の奥から、複数の人が歩いてくる。その先頭は、長いローブを羽織り、シルクハットを被った初老の男性だった。
 
「こんにちは」
 老人は、手で軽く帽子を取ってこちらに挨拶をした。柿色の髪と瞳が覗く。
 しわの浮いた手とは裏腹に、彼の立ち姿はスラリとしていて、年齢による衰えをほとんど感じさせない。片手に持っている杖など、必要ないのではないかと思えるほどだった。
 結社の長が歩み寄り、彼の挨拶に答える。
 
「フラーク伯。お出迎えとは……」
「ちょいと早かったかね? ギルド長、ご機嫌麗しゅう」
「とんでもない。お陰様でね」
 
 ボスがにこやかに歓迎の姿勢を取っていることから、彼こそが〈ボスの商談相手〉なのだろう。
 シエルは偉い人同士の会話を上目で見守る。少年少女の姿を一瞥した老人が、ボスに視線を戻しながら、苦笑した。
 
「相変わらず多忙なようだねえ。余計な時間は取らせないよ、今日の儂は」
 帽子の影でウィンクなんかをして言われたボスが、肩をすくめ首を傾けた。
「フッ、またそのような戯れを」
 ……今のが冗談だとしたら、レベル高すぎる。
 シエルとメアリはそんな、似たような感想を脳裏に浮かべた。
 
 ボスは背後を見、青年に向かって一つ肯いた。
「ロネ。すぐに戻るが……後は頼んだよ」
「オウよ」
 
 サッと手を挙げたロネは、二人に顔を寄せてボソッと『行くぞ』と囁いた。
「え、あ、はい!」「ええ」
 歩き出した青年についていく二人。
 シエルが後ろを振り返ると、ボスと商談相手たちが別の道へ歩いてゆくのが見えた。
 
 
 
「……ボスも、行っちゃいましたね」
「オイ、クソガキ。あのオッサン……、見たことあるか?」
 前を歩くロネの問いかけに、シエルは素早く首を横に振った。
「いえ、全然」
「アイツ、今朝の傭兵団の雇い主だぜ」
「エ!?」
 ロネは前を見たまま言葉を続けた。
 
「オズウェル・フラーク。〈柿色の商会フラーク・カンパニー〉のトップだ」
「大丈夫なんですか!?」
「ハ? まさかテメェ、ウチのボスの心配してンのか?」
 
 深緑の目でシエルを睨みつけるロネ。
「うわっ」
 眉間に大きな皺が寄っていた。
 やっぱり怖い。震えているシエルの隣で、メアリが彼を見て言い返した。
「それはそうでしょ。あんな人たちの雇い主なんて……ボスさんが危ないかも、って誰だって思うわよ」
 琥珀色の瞳が煌めいて、青年を刺す。
「ボスはそンな……」
 言い掛けたロネは、彼女の言い分を聞いてスッと息を吸うと、下を向いて言い直した。
 
「……いンや。相手の〈柿色の商会フラーク・カンパニー〉って言や、この辺一帯の商店の元締めなンだ。その傘下が大通りで盗賊稼業に手を染めたと来りゃ、あのオッサンの方がキレるだろうぜ」
 
 青年の説明を聞いてシエルは、柿色の髪の老人が怒る姿を思い浮かべようとする。が、老人の穏やかな笑顔が印象的で、別の顔が全く浮かんでこなかった。
 
「あのおじいさんがキレるのも……想像できないけどなぁ」
「一応前からウワサにはなってたかンな。多分、その件が今日の話の“半分”だったハズだ」
「もう半分がある、って言い方ね?」
「オウ」
 
 青年は一件の家屋の前で立ち止まると、雑に扉を開く。ドアにつけられた銀のベルの音が鳴った。