DR+20


一章『強くなりたい』



 
 ────……
 ──……
 
「さて」
 結社内。結社の三階から、更に上の階へとボスたちに連れられて階段を上っていく。
 後ろからメアリが口を開いた。
「ボスさん? 鉱山? に行くんじゃあなかったの」
 彼女の言う通りである。どこに行くにも、まず結社を出なければいけない。
 なのに更に上の階にのぼるとは、何の用事なのだろうか。
「ああ。その前に、どうしても君たちに見せたいものがあってね」
 ボスは曖昧に答えると、結社四階、突き当たりの扉を開いた。
「うわー……!」
 そこには長いハンガーラックが所狭しと並んでいた。大量の衣服が、隙間もないくらいにみっちりと掛けられている。まるで、部屋全部がクローゼットみたいな部屋だ。
「何なのココ! こんなに服がいっぱい……」
「ウチの更衣室の一つだ。こちらは衣装置き場の方だがね」
 よく見ると、ハンガーに掛けられている服はほとんど全てジャケットのような構造をしていた。
 ロネが欠伸をしながら呟く。
「どうせ例のイベントだろォ? コレ」
「うん! というわけで、君たち。今日から結社の“制服”を貸し出そう!」
「制服ですか?」
 言われてみれば、目の前の二人はこの間会った時と同じ上着を着ている。
 ボスは紺色のコートに斜めカットのマント姿、ロネ先輩は赤茶色のセーラーカラーに深緑色のジャケット。二人とも、燃え盛る炎のマークが入っている。
 あんなかっこいい服を着てもいいってことか、と思うと、シエルはワクワクしてきた。
「この中から好きに選んでいいよ」
「ええ〜〜……そんなこと言われたら迷っちゃいますよ〜〜!」
「シエル、嬉しそうね」
 姉が失笑する。しかし、そう言うメアリだってどことなく楽しげな面持ちだ。
「大丈夫だ。時間ならば十二分にあるから」
 腕を組んで、壁に背をつけたボスの言葉を聞いた二人は、衣装部屋の中を思い思いに散策し始めた。
 本当に、悩むほど沢山服があった。紺色、黒色、赤、茶色──メアリは女性向けの上着を片っ端から見ていくや、さっと一着を手にした。
「なら私、コレが良いわ!」
「早っ!」
 シエルは驚いた。僕がパンを食べるスピードとそう変わらないくらいの速度だ。
 メアリが選んだのは、オークルカラーのジャケットだった。彼女がふわりと袖を通すと、細身のジャケットは今着ているピンク・スカイブルーのキュロットにも良く合っていた。
 セットで掛けられていた黒手袋をはめると、どことなく格好良くも見える。
「よしっ。どうかしら?」
 彼女がクルクルと回って見せる。同じくオークルカラーのブーツが鳴り、キュロットがひらりと靡く。背の端の方に、小さな炎のマークが入っているのも見えた。
 先程までだらけて見ていたロネが、唸った。
「オー……悪くないンじゃね?」
「そこは良いって言ってよ!」
 彼女が赤くなって反論する。ここで良い、と言われないと納得できないのが彼女の気質であり、こと衣類のおしゃれに関してはメアリはこだわりのある女性だった。
 ロネと同じく見入っていたシエルが発言した。
「メアリ、似合ってる!」
「ありがと♡」
 可愛い義弟の裏表のない褒め言葉を受け取り、彼女は嬉しそうに礼を言った。
「うーん、じゃあ……僕はこれかなっ!」
 手にいくつも持っていたハンガーの中からシエルが選んだ一着は、ブラックカラーのジャケットだった。全面黒のそのジャケットは、すその部分がビリビリに千切れたような構造になっており、下半分の炎の型押しが逆に悪目立ちしている。更に、袖の部分までもがギザギザした形状になっていた。
 誰がどう見ても前衛的な、厨二病デザインだ。
 早速コートを着ようとしたシエルの手を、メアリが掴む。彼女が静かに首を振った。
「それだけはだめ」
「えぇ……」
 シエルが軽く凹む。故郷の同世代の幼馴染たちの顔が浮かんだ。黒髪碧眼の美少女と黄土髪の背の高い少年。彼らに言われた『きみ、私服のセンス悪すぎ!』は、今も全く変わっていないようである。
「シエルは……、コレなんかどう?」
 メアリが衣類のハンガーをひとつ、手に取った。
「お?」
 それは、ちょうどさっきまでシエルが見ていたチェスター風コートだった。ダークネイビーの色合いの中に、コバルトブルーの炎の紋様が縫われている。とても格好良かったが、ちんちくりんな僕には似合わないかな、などと思いすぐに目を移した品物である。
 彼女に言われるままに、袖を通して見る。
「おおぉお……!」
 サイズはぴったりだった。ふくらはぎ近くまで伸びるコート全体の濃紺と青緑のコントラストがよく映える。鏡を見てみれば、そのコートの差し色は眼鏡をかけた状態のシエルの目の色ともリンクしていた。
 さっきまでのより確かにしっくりとくる。というか、これがベストなのではないか。
 シエルはメアリに笑いかけた。
「さすがメアリ! すごいよ! 僕より僕のこと分かってるや」
「それはそうよ。だって、家族みたいなものでしょ?」
 メアリが笑う。彼女の笑顔は親愛に溢れていて、向けられると嬉しいような気恥ずかしいような甘酸っぱい気持ちになる。シエルは顔を背けて冗談半分で誤魔化した。
「って、そういや僕、今朝急いでてポシェット忘れてきたなぁ」
 汗をかきながら手をオロオロさせていると、ボスに口を出された。
「それ。ポケット、無いか?」
 言われてハタと腰辺りに両手を当ててみれば、なんとこちらのコートには深めのポケットが存在しているではないか。
「ある!!」
 少年が振り向いてパッと喜んで見せると、なぜか不思議と周囲が笑顔になった。
 よかったな、と言う言葉が飛び交い、制服貸与は完了したのだった。
 
 ──……
 ────……
 
 結社の階段を降りて外に出れば、白い馬に引かれた馬車が結社の前に着いていた。
 四人乗りの馬車に乗り込むと、全員が向かい合う形になる。シエルは姉の隣にくっついて座った。走り出した馬車は、春の大通りをゆったりと通りすぎ、西口を抜けた。人通りもまばらな林道に差し掛かると徐々に速度を上げて行く。その様をシエルは小窓から眺めていた。
「僕、こっち側に出るの、初めてです」
 先週までの長旅を思い出しながら、呟く。
 帝国を出たあと、ボスたちの船で共和国の港に着いて。そこからは、ひたすらに首都ズネアータを目指して馬車と徒歩だけでやってきた。新しい人生の為にだ。
「そうか。東の港町から来たんだったかな」
 旅の同行者であったボスも頷いた。
 彼女の隣のロネが、ぎろりと少年たちを睨む。
「……ジルド港出身なンか? テメーら」
「いや……ええっと……」
 シエルがどもると、メアリが笑顔で口を挟んだ。
「実はそうなの。海辺の町っていいわよね」
「ヘェ。それじゃ、今まで首都には来なかったんだな」
「えぇ」
 やはり流石は三つ違いの義姉と言うべきか、その場しのぎの嘘ですんなりと話を合わせてしまった。
 ロネが身振り手振りをしながら語る。
「〈首都ズネアータ〉に来たら、大抵の奴が〈鉱山地区ロジュガ〉にも行きたがるらしいンだよ。何でも、昔っから観光のガイドブックに載ってンだと」
「なるほど」
 相槌を返しながらシエルは冷や汗をかいた。
 僕らはガルニア帝国からの〈逃亡者〉だ。知られるとまずい情報だらけだ。出自についてあまり話すと、いつかボロが出るかもしれない。姉も同じことを考えているのか、窓の外に視線を逃がしているのが窺えた。
 馬車内に空白の時間が流れる。沈黙を破ったのは、ギルドの長だった。
「皆。好きな食べ物なんかはあるのか?」
「た……たべもの?」
 急に? と言いそうになったが、それは顔に出ていたのかもしれない。ボスにクスリと笑われた。
「いや、親睦を深めたいと思って」
 意味ありげに笑う彼女。もしかすると、話の流れ的に庇ってくれたのだろうか。
「好きな食べ物、ねぇ」
 姉の呟きを聞くや、ロネが前のめりになって片腕でガッツポーズした。
「オレは肉だ!!」
「うん、そうだね」
 知ってる、と笑う。ボスのその声音は、まるで手のかかる子をあやすようなトーンだった。いつもより話しやすい雰囲気だ、とシエルは感じた。自然と笑みが溢れる。
「僕はパンが好きですね。特にこの辺のパンが美味しくて!」
「パンに違いなんかあンのかよ」
「帝──、故郷では黒パンをスープに浸したものがあったんですけど、こう……硬くてモサモサした食感なんですよ。でも、ここらで売ってるパンはすごく柔らかいから、初めて食べた時ビックリしました」
 シエルは話しながら心臓がバクバク鳴った。
 この辺のパンの美味しさを語りたいがあまり、うっかり帝国と言いそうになった。
 恐らく気づかれたのだろう、ボスが目の前で含み笑いをしながら答える。
「あー、原料に小麦が使われているせいだな」
「原料が違うんですね! 向こうじゃ確か、いつもライ麦だったな……」
「シエルは食いしん坊よね」
 姉にも笑われてしまい、気恥ずかしさが勝って、シエルは自身の茶髪を掻いた。
「えへへ……ボスにも、好きな食べ物、あるんですか?」
 一抹の勇気を出して聞く。今なら、結社のボスのことが知れる気がした。
「私は酒だな。特にウイスキー」
 目を伏せて、彼女はあっさりと答えてくれた。
「お酒、ですか?」
「あぁ。共和国のウイスキーはやや辛口でね。ナッツやチーズと頂くと、これが格別なんだ」
「へぇ〜」
 子どもには想像のつかない世界だ。
 共和国のウイスキー。今年成人したら一度飲んでみたいな、と、シエルは夢を膨らませた。
「君は?」
 ボスがメアリに視線を移す。
「んー……。私はりんごかしら。生でも美味しいし、煮込んでジャムにしても美味しいわ」
「りんごは焼いても美味しいね」
「えぇ!」
 シエルは、目を丸くした。メアリとボスが笑顔で話している。同時に、故郷・マルス村でのメアリ宅の夕食の光景を思い出した。
「そういえば、メアリが作ってくれたお祝いの日のりんごタルトとか、甘くて美味しかったなぁ」
「そぉ?」
 弟の言葉に、また作ってあげるね! と微笑むメアリ。
「ンじゃあ、こういうのは知ッてっか?」
 向かいのロネが懐から小さなラッピング袋を取り出し、中から出したものをメアリに手渡した。
「何? この丸っこいもの」
 姉の手のひらには、まん丸い白い塊が乗っかっていた。それは見るからにフワフワで、粉雪をそのまま固めたみたいな風貌だった。
「マシュマロってんだ」
「マシュマロ」
 ロネは続けてそれをシエルに手渡して、少し間を置いて、ボスにもそれを渡していた。
 一口どうぞ、ということなのだろう。シエルは迷わずマシュマロを口に放り込んだ。そのお菓子は、舌に乗せた瞬間に柔らかくとろけて、甘みが口いっぱいに広がった。
「うわ! 美味しいーー!!」
「すごい。柔らかくて、甘いのね。アイスクリームともちがう……」
 あまりの美味しさに衝撃を受けるシエルと、味の分析を始めたメアリの隣で、同じお菓子を食べたボスは何とも言えない笑みを浮かべていた。
「ロネ。お前はいつも変わった菓子を持ってるなぁ」
「……悪ィかよ」
「いいや? 可愛いね」
「男に可愛いとか言ってンな!」
 シエルは二人のやりとりを聞いていて、新鮮な気持ちになった。
 ロネ先輩。どうにも彼は、結社のボスから相当信頼されている感じがする。でなければ、こんな不思議な四人組での外出は叶わないのだろうし……。
 今朝だって僕らを守ってくれたんだ。見た目は怖くても、わるい人ではないのかも知れない。
「あの……っ! 先輩! もし、失礼だったら申し訳ないんですけど……」
「あンだ?」
 シエルの目がキラキラ輝いている。
「コレ、どこに売ってるんですか!?」
 もっと普通に訊けよ、とロネに盛大に笑われた。
 近々教えてもらう約束を取り付けて、シエルは終始ご満悦で束の間の馬車の旅を楽しんだ。