夕刻の手紙


一章『強くなりたい』


 
  


「さて。本日の予定だが」
 ボスが手を鳴らす。
 彼女は笑みを浮かべ、場の人間をゆっくりと見渡した。
 
「シエル、メアリ。君たちには実地研修として、〈煌力鉱石レラジエジン〉の納入を担当して貰う」
「レラ……ジエジン?」
 
 首を傾げるメアリと対照的に、シエルはピタリと動きを止めて、眼鏡の奥の瞳をやや細めた。
 どこかで聞き覚えがあった。
 もし僕の故郷で扱っていたとすれば、何かの燃料か、生活資源といったところか。
 
「例の物の説明は、遅かれ早かれ必要だろう」
「その通りですわね」
 ボスと秘書が互いに頷いた。
 
「彼らを、ロジュガ鉱山地区まで同行させてやってくれ」
 灰髪の青年を見つめながら、結社のボスが指示を出す。
「なァ、オレの依頼って、採掘現場の方だぜ? ちっと早過ぎやしねェか?」
 
 鉱山地区。採掘現場。シエルとメアリは緊張の面持ちで、結社の面々の会話を耳で追う。
 
「構わない。道中を共にするだけでいいんだ」
「ロネ。彼らは実は、紛争の経験者なの。物資の説明はとても大切なことよ」
 上司たちの説得を受けて、ロネは目を瞑って小さく息を吐いた。
 
「……了解」
 ボスが満足げに頷く。
 そして彼女は、いつもの飄々とした表情で告げた。
 
「あと、私も同行する」
「本気で言ってますの!?」
「え……? ボスも来られるんですか?」
 
 レイミールに続き、シエルが思わず訊ねた。
 話の流れ的に、僕らがロネ先輩に連れられる鉱山に、ボスも着いてくると言うことになる。いや……立場的に逆なのか? ボスに僕らと先輩がついていくのか?
 シエルは段々頭が混乱してきた。
 
「ああ。午後に組んでおいた商談も、ロジュガだっただろう?」
 悪戯な笑みを浮かべるボスに、秘書が青い顔で口をパクパクさせている。
 
「あ……アナタって人は……!」
「ついでに、も話せる」
 
 秘書はぶんぶんと被りを振った。それはもう凄い勢いで。
 新人とだけ一緒なんて、でもロネも居るよ、もっと護衛をたくさんつけて、と、トップ達の舌戦が交わされる。
 否。私が信頼できないか? などという、ボスの脅し文句に近い言葉を最後に、秘書はガックリと肩を落として項垂れた。
 
「……今回だけですからね?」
「はは。すまないが、レイミール。今夜までに、執務の管理だけ頼めるかな?」
 どうやら二人の間で決着がついたようである。
 ギルドの長の頼みに、秘書は机上の書類を揃えながら言った。
 
「じゃ、アナタの書類をきっちり纏めておきますから。つつがなく帰って来てくださいませね」
 ああ、とボスが笑って手を振る。
 少年たちは結社の事務室を後にした。
 
 
 
 ――――……
 ――……
 
「さて」
 結社内。結社の三階から、更に上の階へとボスたちに連れられて階段を上っていく。
 後ろからメアリが口を開いた。
「ボスさん? 鉱山? に行くんじゃあなかったの」
「ああ。その前に、どうしても君たちに見せたいものがあってね」
 ボスはそう語ると、上った先の結社四階、突き当たりの扉を開いた。
 
「うわー……!」
 そこには長いハンガーラックが所狭しと並んでいた。大量の衣服が、隙間もないくらいにみっちりと掛けられている。
「何なのココ! こんなに服が……」
「ウチの更衣室の一つだ。こちらは衣装置き場の方だがね」
 まるで、部屋全部がクローゼットみたいな部屋。
 よく見ると、ハンガーに掛けられている服はほとんどすべてジャケットのような構造をしていた。
 
 ロネが欠伸をしながら呟く。
「どうせ例のイベントだろォ? コレ」
「うん! というわけで、君たち。今日から結社の“制服”を貸し出そう!」
「制服ですか?」
 言われてみれば、目の前の二人はこの間会った時と同じ上着を着ている。
 ボスは紺色のコートに斜めカットのマント姿、ロネ先輩は赤茶色のセーラーカラーに深緑色のジャケット。二人とも、燃え盛る炎のマークが入っている。
 あんなかっこいい服を着てもいいってことか、と思うと、シエルはワクワクしてきた。
 
「この中から好きに選んでいいよ」
「ええ〜〜……そんなこと言われたら迷っちゃいますよ〜〜!」
「シエル、嬉しそうね」
 姉が失笑する。しかし、そう言うメアリだってどことなく楽しげな面持ちだ。
 
「大丈夫だ。時間ならば十二分にあるから」
 腕を組んで、壁に背をつけたボスの言葉を聞いた二人は、衣装部屋の中を思い思いに散策し始めた。
 
 本当に、悩むほど沢山服があった。紺色、黒色、赤、茶色――メアリは女性向けの上着を片っ端から見ていくや、さっと一着を手にした。
 
「なら私、コレがいいわ!」
「早っ!」
 
 シエルは驚いた。僕がパンを食べるスピードとそう変わらないくらいの速度だ。
 メアリが選んだのは、オークルカラーのジャケットだった。彼女がふわりと袖を通すと、細身のジャケットは今着ているピンク・スカイブルーのキュロットにも良く合っていた。
 セットで掛けられていた黒手袋をはめると、どことなく格好良くも見える。
 
「よしっ。どうかしら?」
 彼女がクルクルと回って見せる。同じくオークルカラーのブーツが鳴り、キュロットがひらりと靡く。背の端の方に、小さな炎のマークが入っているのも見えた。
 
 先程までだらけて見ていたロネが、唸った。
「オー……悪くないンじゃね?」
「そこは良いって言ってよ!」
 彼女が赤くなって反論する。ここで良い、と言われないと納得できないのが彼女の気質であり、こと衣類のおしゃれに関してはメアリはこだわりのある女性だった。
 
 ロネと同じく見入っていたシエルが発言した。
「メアリ、似合ってる!」
「ふふ! ありがと♡」
 可愛い弟の裏表のない褒め言葉を受け取り、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
 
「うーん、じゃあ……僕はこれかなっ!」
 手にいくつも持っていたハンガーの中からシエルが選んだ一着は、ブラックカラーのジャケットだった。
 全面黒のそのジャケットは、すその部分がビリビリに千切れたような構造になっており、下半分の炎の型押しが逆に悪目立ちしている。更に、袖の部分までもがギザギザした形状になっていた。
 誰がどう見ても前衛的なデザインだ。
 早速コートを着ようとしたシエルの手を、メアリが掴む。彼女が静かに首を振った。
 
「それだけはだめ」
「えぇ……」
 
 シエルが軽く凹む。故郷の同世代の幼馴染たちの顔が浮かんだ。黒髪碧眼の美少女と黄土髪の背の高い少年。彼らに言われた『きみ、私服のセンス悪すぎ!』は、今も全く変わっていないようである。
 
「シエルは……、コレなんかどう?」
 メアリが衣類のハンガーをひとつ、手に取った。
 
「お?」
 それは、ちょうどさっきまでシエルが見ていたチェスター風コートだった。ダークネイビーの色合いの中に、コバルトブルーの炎の紋様が縫われている。とても格好良かったが、ちんちくりんな僕には似合わないかな、などと思いすぐに目を移した品物である。
 彼女に言われるままに、袖を通して見る。
 
「おおぉお……!」
 サイズはぴったりだった。ふくらはぎ近くまで伸びるコート全体の濃紺と青緑のコントラストがよく映える。鏡を見てみれば、そのコートの差し色は眼鏡をかけた状態のシエルの目の色ともリンクしていた。
 さっきまでのより確かにしっくりとくる。というか、これがベストなのではないか。
 シエルはメアリに笑いかけた。
 
「さすがメアリ、すごいや! 僕より僕のこと分かってる!」
「それはそうよ。だって、家族みたいなものでしょ?」
 
 メアリが笑う。彼女の笑顔は親愛に溢れていて、向けられると、嬉しいような気恥ずかしいような、甘酸っぱい気持ちになる。シエルは顔を背けて冗談半分で誤魔化した。
 
「って、そういや僕、今朝急いでてポシェット忘れてきたなぁ」
 汗をかきながら手をオロオロさせていると、ボスに口を出された。
「それ。ポケット、無いか?」
 言われてハタと腰辺りに両手を当ててみれば、なんとこちらのコートには深めのポケットが存在しているではないか。
「ある!!」
 少年が振り向いてパッと喜んで見せると、なぜか不思議と周囲が笑顔になった。
 よかったな、と言う言葉が飛び交い、制服貸与は完了したのだった。