夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


 
 三階──ギルド長室に場を移す。
 広々とした八人がけの長机。通されるがまま、シエルとメアリは並んで長椅子に腰掛けた。
 
「遅くなったが、昼食にしようか」
 そう言ったのはボスだった。結社には食堂がある。来客時には、専属のシェフが料理を部屋まで持ってきてくれる仕組みだという。
 長机に配膳される料理。鉄板の上で蒸し焼きにされた兎肉が、じゅうっと音を立てながら、香ばしい匂いを漂わせている。
 肉の上には瑞々しい果肉とハーブが乗っけられていた。
 
「これ……食べていいんですか?」
「構わない。話は食べながらにしよう」
「では……いただきます」
 
 許可を得て、ようやく手を伸ばす。
 銀のナイフとフォークを手に取り、兎肉をひときれ切って口に運ぶ。
 ひとくち、噛みしめると、濃厚な肉汁が口の中いっぱいに広がった。
 
「ん〜……!」
 あまりの美味しさに思わず声がもれる。帝国の味気ない昼食とはまったく違う、共和国の資源の豊かさを存分に感じられる手料理だった。
「シエルったら……」
 メアリは少し呆れている。
「お気に召してくださったようで何よりよ」
 秘書がほほえむ向かい側で、シエルは夢中になって食べた。
 食べ物がお腹に入ると、先ほどの急な波酔いも、徐々におさまってきた。
 五人で囲む食卓の中、ボスが切り出した。
 
「結論から言う。先ほどの試験、結果は合格だ」
「あ……、ありがとうございます」
「感謝は不要だよ。もとより、合否よりは『力』をはかるための試験だったしね」
 
 最後にシエルの剣がロネに命中した瞬間を目視したのは、ボスとレイミールのみであった。
 ボスがナイフとフォークで上品に食事をしながら、話を続ける。
 
「シエル。確認しておきたいのだが……お前は、あの術をどこで覚えたんだ?」
 
 術、というのは、先ほど無我夢中で繰り出した〈十字眼ディスティア〉のことだろう。
 シエルはすこしばかり俯いて、ぽつりとつぶやいた。
 
「僕にも、わかりません」
「知った経緯も、か? いつから使えるかも?」
「はい。ただ……、生まれつきではないとは思います。戦争中に忘れてしまっただけで、多分、誰かに教わったんです。誰なのかは、わからないんですけど……」
「なるほど」
 申し訳なさそうに縮こまっている少年の様子を見ながら、ボスは、いよいよ疑念が湧き上がってくるのを感じていた。
 あのような異能を習ったとして、忘れるなどということが、あり得るのだろうか。火水風の三属性以外の術の習得は、極めて困難だ。面談の時から嘘をついている様子もない。この少年はわずか十七歳だというのに、ここ数年やそこらのことを覚えていないのだという。
 考えれば考えるほど、不思議な子だ。
「……まあ、いいさ。いずれ思い出せたら、教えておくれ」
 ボスが少年に声をかけると、姉も微笑みかけた。
「シエル。大丈夫よ。無理して考え込んじゃダメだからね」
「分かってる……」
 
 ボスはロネの方を見た。ガツガツ肉を頬張っている青年の方を。
「ロネ」
「……ンだよ?」
 肉を咀嚼しながら品なく答えるロネに、ボスは小さく笑みを向けた。
 
「彼らの武器の調達を任せる。実戦に耐えうるものを、用意してやってくれ」
「わぁッてら。武器屋の特注でいいよな?」
「ああ。出すものは出す」
「了解」
 それだけ言って、ロネは食事を終えたそばから、ズカズカと部屋を出ていった。
 まったく忙しない男だ。ボスは苦笑した。
 
「ああ……食事の途中で遮って、悪かったな。よく食べるといい」
 言葉少なに、食事の時間が続いた。
 ナイフとフォークの触れ合う音だけが、広い部屋に淡々と響く。
 シエルは目の前の料理に集中し、ただ黙々と食べ続けた。異国料理を囲む食卓がとても新鮮だった。
 食事が片付けられたあと、ボスは話の続きをした。
 
「──それと、結社入りにあたって渡すものが、二種類ある」
 
 ボスは二枚の書類を取り出した。
 
「まずは、これ。身分証の類だ。大至急必要だと思ってね。先ほど作ってきた」
 手にしているのは小さなサイズのファイル。
 名前や年齢が載っているから、これが共和国の身分証なのだろう。
 そのまま受け取ると、隅に重ねて別の用筆紙がクリップで留められていた。そちらには、来週の予定が記されているようだ。
 シエルは二種類の紙を見比べて、ふと一カ所気になった。
 
「出自……〈ザルツェネガ共和国〉?」
 何度見返しても、ファイル内の出身欄に、そう書いてある。
 彼女はニッコリと笑った。
「そういうことにしておけば、問題ないだろう?」
 これは――共和国側の法に触れてるな……。多分……。
「わ……わかりました」
 ひとまずボスに従い、書類をポシェットに仕舞う。
 
「次に〈結社の笛〉。所属の証だ。これを鳴らす時は、助けを呼ぶ時だけにするように」
 ボスが差し出したのは、赤紫色の焼き物の笛。胴には赤い鳥の絵が描かれている。
 
「これでふたつね」
 メアリが笛を受け取りながら確認する。
 だが、ボスは首を横に振った。
「いや、ここまででひとつだ」
「はえ」
 シエルが目をまるくする。
 ボスはさらに懐から小さな封筒を二つ取り出し、ふたりの前に差し出した。
 
「最後にこれを」
 シエルが手に取ると、封筒の上端から中身が覗いた。
 分厚い札束が詰まっている。
 
「二十万リルだ。受け取れ」
「に、二十万……!?」
 メアリが絶句する。シエルは手の震えを止められずにいた。
「さ、流石にこんな大金、受け取れません……」
 貧乏性の本音が口をついて出る。
 震え上がるシエルたちの様子を見て、ボスは肩を揺らして笑った。
 
「戦力をタダで雇う趣味はない。何より、この首都ズネアータに住むんだろう? なら生活費として、一人当たりそのくらいはかかるはずだ。必要経費だよ」
「……でも……」
「要観察対象であることも忘れるな。諸君の管理・保護も、我々の責任のうちだ」
 
 ぴしゃりと言い切り。ボスはソファにて背筋を伸ばして手を組んだ。
 
「改めて。ようこそ! 我が結社〈恒久の不死鳥エタネル・フェニックス〉へ。これから共に戦ってゆこう」
 
 封筒を受け取ったふたりは、深々と頭を下げた。
 
「はい。よろしくお願いします」
「いい返事だ。レイミール、彼らに空き家を紹介してやってくれ」
 
 秘書がうなずいた。
 ボスに一礼して、ふたりは秘書と共に部屋を後にする。
 
 首都・ズネアータの空は陽が傾き、うっすらと花冷えの気配を纏っていた。
 レイミールに案内されたのは、結社から歩いて十数分の裏路地にある、小さな二階建てのアパートだった。
 
「今日から、ここが君たちの家よ」
 細っこい外階段を三人でゆっくり上がってゆく。
「下はもう別の子が住んでるから。メアリちゃんが二階奥、シエルくんはこの、手前のお部屋ね」
 
 彼女が鍵を回してドアを開ける。
 扉が開くと同時、冷たい空気が頬を撫で、無人の部屋の匂いが流れ出す。
 一歩、シエルは中に足を踏み入れる。床板が軋む。窓から差し込む斜陽の光に、埃がきらきらと舞っていた。
 
「…………おお。何もない……」
 
 ポツリと、呟いた声が空っぽの室内に吸い込まれる。
 しいて言えば、備え付けのベッドとテーブル、折り畳み椅子が置いてあったので、何もないことはない。だが、あとは水回りの設備を除いて、まっさらな状態の部屋だ。
 メアリが隣に立ち、不安を打ち消すように、少しだけ笑った。
 
「そりゃそうよ。ワンルームだけど、いいところね」
「う、うん」
 レイミールはふたりのやりとりを聞いて、微笑みながら告げた。
「コレが鍵ね。今日から寝泊まりしていいから。困ったことがあったら、なんでも言ってちょうだいね」
「は、はい!」
 彼女は手に持っていた鍵をそれぞれに渡した。シエルは二〇一号室。メアリは二〇二号室だ。
 空き家の玄関先にて、レイミールが緩やかに手を振る。
 
「じゃあ、今日はゆっくり休んで。また来週から一緒に頑張りましょうね。お疲れさま!」
「こちらこそ。……お疲れ様です!」
 玄関先で深々と頭を下げると、レイミールは満足そうに頷いて去っていった。
 
 
 ────……
 ──……
 軋む床の上に荷物を置くと、シエルたちはもう一度だけ、ドアを開けて外に出た。
 石畳の向こうに広がる街並み。人々の声、遠くから響く鐘の音。
 
「……夢みたいだねえ」
 村が襲われたと思ったら、〈結社〉に拾われて。今は新しい暮らしが始まろうとしている。なかなかハードな
「ほんと、そうだね」
 シエルもまた、小さく頷いた。
 血に塗れ、焼けた村を背にしてから、逃げて、逃げて――新天地にやってきた。
 
「これからどうなちゃうんだろう、私たち」
 メアリの言葉に、シエルは空を見上げる。
 
「まだまだ大変なことがあるとは思う。けど、僕の選んだ道だ。頑張ってみるよ、僕。……ここで」
 
「私と一緒に、ね」と、姉はうれしそうに頷いた。
 夕暮れの天空に、白い雲がゆっくりと流れる。
 故郷とは違う、かすかに肌寒い空の下で。
 少年少女は、小さな胸に未来地図を抱いて、それぞれの明日を思い描いていた。
 
 
 
序章 完(2025’07.15~12.29 全体改稿)

 





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