夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


 
 三階──ギルド長室に場を移す。
 広々とした長机。通されるがまま、シエルとメアリは並んで長椅子に腰掛けた。
 
「遅くなったが、昼食にしようか」
 そう言ったのはボスだった。結社には食堂がある。来客時には、専属のシェフが料理を部屋まで持ってきてくれる仕組みだという。
 長机にはすでに、料理が配膳されていた。鉄板の上で蒸し焼きにされた兎肉が、じゅうっと音を立てながら、香ばしい匂いを漂わせている。
 
「まぁ!」「美味しそう!」
 肉の上には瑞々しい果肉とハーブが乗っけられていた。思わず口の中によだれが溢れてくる。美味しそうなランチを前に、シエルの波酔いはすっかりどこかに吹き飛んでいた。
「いいの? こんなご馳走いただいちゃって」
「歓迎のしるしだから」
 メアリの問いに、金髪秘書がふっと微笑む。
 
「で、では……いただきます」
 少年は手を合わせた。銀のナイフとフォークを手に取り、兎肉をひときれ切って口に運ぶ。
 ひとくち、噛みしめると、濃厚な肉汁が口の中いっぱいに広がった。
「ん〜……!」
 なんとも感動の美味しさである。
 少年は知らずのうちに涙を流していた。
 
「生きてきて、よかった……」
「お気に召してくださったようで何よりよ」
 
 秘書が苦笑する。
 ボスはというと、お誕生席の一人用ソファに腰掛け、静かに彼らを見守っていた。
 彼女は口を開いた。
 
「結論から言う。先程の試験、君たちの勝利だ」
「あ――、ありがとうございます!」
 ふたりは、わっと歓喜した。
 最後に剣がロネに命中した瞬間を目視したのは、ボスとレイミールのみであった。
 
「おめでとう、二人とも」
 秘書が穏やかに祝福する。
 その横で、ロネは肉にがっついていた。まるで何かと競うかのような勢いで料理を平らげており、まったく喋ろうとしない。多分、早く食べたいのだろう。
 ボスがナイフとフォークで上品に食事をしながら、話を続ける。
 
「まさか本当に、ウチのロネから一本取ってしまうとはね」
「途中、魔煌ヴィレラが割り込んできたから、困りましたよ?」
 可愛らしい顔で軽く文句を言ったメアリに、ボスは笑みを返す。
 
「ああ。最初にイージーな判断材料を投げておいて、油断した頃に奇襲を掛ける。これは、実戦の常套手段だからね」
「わたくしは楽しかったわ♡」
 レイミールも満足げである。
 
 ボスがロネの方へ視線を向けた。
「ロネは……、運が味方しなかったかな?」
「ケッ!! 条件が違ェだけだ!」
 肉を咀嚼しながら品なく答えるロネに、ボスは小さく微笑みを向けた。
「そうだな。もし、ふたりに運がなくても、生き残れるようにしてやってくれ」
 青年は、拗ねたような表情になって言う。
 
「……コイツらの武器は、オレが見繕っとく。それでいンだろ」
 結社のボスは指を顎に当てた。
「ああ。メアリには、相手と間合いが取れる長物を。シエルには……」
「ボス。ありゃあ、特注になッちまうぜ?」
「それでいい。出す物は出す」
 
 ボスの一つ返事を聞き、ロネはサムズアップで応えた。
「了解。そんじゃ、ごっそさんでした!」
 気がつけば、彼の皿は空になっている。ロネは早足に部屋を後にした。
 あいつも忙しい奴だな、と苦笑してから、ボスがこちらに伝えた。
 
「そんなこんなだから、武器はおいおいプレゼントするつもりだ。待っていておくれ」
 こんなに嬉しいことがあるだろうか。
 その後も、温かい言葉の飛び交う和気あいあいとした昼食会となった。
 
 
 
 
「ご馳走様でした!」
 豪華な料理に舌鼓を打ち、お腹も心も満たされたふたり。片付けが始まる中、ボスが穏やかに語りかけてきた。
 
「それと、結社入りの祝いだな。私からは二種類ある」
「えっ、そんな!」
 メアリが伸び上がった。まさか物までもらえるとは、シエルも思ってもみなかった。
「お祝いなんて、本当にいいんですか?」
 戸惑うふたりに、ボスは流れるような所作で、二枚の書類ファイルを取り出した。
 
「まずは、これ。身分証の類だ。大至急必要だと思ってね。先ほど作ってきた」
 手にしているのは小さなサイズのファイル。
 名前や年齢が載っているから、これが共和国の身分証なのだろう。
 そのまま受け取ると、隅に重ねて別の用筆紙がクリップで留められていた。そちらには、来週の予定が記されているようだ。
 シエルは二種類の紙を見比べて、ふと一カ所気になった。
 
「出自……〈ザルツェネガ共和国〉?」
 何度見返しても、ファイル内の出身欄に、そう書いてある。
 彼女はニッコリと笑った。
 
「うん。そういうことにしておけば、問題ないだろう?」
 これは――、共和国側の法に触れてないのだろうか?
「……ハイ」
 シエルはまたしても怖くて聞けなかった。彼女の優しさと善意を信じて、書類を小さなポシェットに仕舞う。
 
「それと、これも渡しておこう。〈結社の笛〉だ。これが所属の証になる、肌身離さず持ってくれ」
 ボスが差し出したのは、赤紫色の焼き物の笛。胴には赤い鳥の絵が描かれている。
 
「これでふたつね」
 メアリが笛を受け取りながら確認する。だが、ボスは首を横に振った。
「いや、ここまででひとつだ」
「はえ?」
 もうすでに至れり尽くせりなのに……とシエルが驚いていると、ボスはさらに懐から小さな封筒を二つ取り出し、ふたりの前に差し出した。
 
「次に、これだ」
 シエルが手に取ると、封筒の上端から中身が覗いた。そこには分厚い札束が詰まっている。
 
「君たちに贈る初期支援金、二十万リルだ。受け取れ」
「に、二十万……!?」
 メアリが絶句する。シエルは手の震えを止められずにいた。
「さ、流石にこんな大金、受け取れません……」
 貧乏性の本音が口をついて出る。馬車と宿代ももらってしまったのに、その上こんなに、貰いすぎだ。
 震え上がるシエルたちの様子を見て、ボスは肩を揺らして笑った。
 
「いい、いい! 私はね、戦力をタダで雇う趣味はないんだよ!」
 さっぱりとした口調に、ふたりは何も言えなくなった。彼女は続ける。
 
「この首都ズネアータに住むんだろう? なら生活費として、一人当たりそのくらいはかかるはずだ。必要経費だよ」
「……でも……」
 なおも戸惑うシエルに、ボスはウィンクして見せた。
「言ったじゃないか。“私がなんとかする”ってね」
 
 言葉が出ない。まさか、こんなにも暖かく迎え入れてくれるなんて――。
 ふたりは、おずおずと封筒を受け取り、深く頭を下げた。
 
「じゃあ……ありがたく。お言葉に甘えさせていただきます」
 ボスが頷く。ソファにて背筋を伸ばして手を組み、ふたりの若者を見た。
 赤い瞳、真っ黒な髪。サイドのポニーテールに、紺色の制服。
 風格に満ち溢れた彼女がニィと笑みを浮かべる。
 
「改めて。ようこそ! 我が結社〈恒久の不死鳥エタネル・フェニックス〉へ。これから共に戦ってゆこう」
 
 その言葉に、シエルとメアリはしゅっと背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
 
「はい。よろしくお願いします」
「精一杯、がんばります!」
 
 ボスが満足げにひとつ頷く。
「いい返事だ。レイミール、彼らに空き家を紹介してやってくれ」
 秘書も穏やかに微笑んで、それからふたりに声をかけた。
 
「わかりました。行きましょうか」
 
 ボスに一礼して、ふたりはレイミールと共に部屋を後にする。通された廊下を逆戻りしながら、シエルがぽつりと呟いた。
 
「……あの人、本当にすごい人ですね」
 少年の言葉に、レイミールが微笑みを深めた。
「そうかしら。けれど、それよりもすごいのは――ふたりがここまで、ちゃんと歩いてきたことよ」
「…………」
 その言葉に、シエルは視線を落とす。メアリもそっと隣で口元を引き結んだ。
 彼女らの優しさが今はくすぐったくて、痛かった。
 
 
    ◆
 
 
 首都・ズネアータの空は陽が傾き、うっすらと花冷えの気配を纏っていた。
 レイミールに案内されたのは、結社から歩いて十数分の裏路地にある、小さな二階建てのアパートだった。
 
「ここが、今日から君たちの家よ」
 細っこい外階段を三人でゆっくり上がってゆく。
「下はもう別の子が住んでるから。メアリちゃんが二階奥、シエルくんはこの、手前のお部屋ね」
 
 彼女が鍵を回してドアを開ける。
 扉が開くと同時、冷たい空気が頬を撫で、無人の部屋の匂いが流れ出す。
 一歩、シエルは中に足を踏み入れる。床板が軋む。窓から差し込む斜陽の光に、埃がきらきらと舞っていた。
 
「…………おお。何もない……」
 
 ポツリと、呟いた声が空っぽの室内に吸い込まれる。
 しいて言えば、備え付けのベッドとテーブル、折り畳み椅子が置いてあったので、何もないことはない。だが、あとは水回りの設備を除いて、まっさらな状態の部屋だ。
 メアリが隣に立ち、不安を打ち消すように、少しだけ笑った。
 
「そりゃそうよ。ワンルームだけど、いいところね」
「う、うん」
 
 レイミールはふたりのやりとりを聞いて、微笑みながら告げた。
「コレが鍵ね。今日から寝泊まりしていいから。困ったことがあったら、なんでも言ってちょうだいね」
「は、はい!」
 彼女は手に持っていた鍵をそれぞれに渡した。シエルは二〇一号室。メアリは二〇二号室だ。
 空き家の玄関先にて、レイミールが緩やかに手を振る。
 
「じゃあ、今日はゆっくり休んで。また来週から一緒に頑張りましょうね。お疲れさま!」
「こちらこそ。……お疲れ様です!」
 玄関先で深々と頭を下げると、レイミールは満足そうに頷いて去っていった。
 
 
 ────……
 ──……
 軋む床の上に荷物を置くと、シエルたちはもう一度だけ、ドアを開けて外に出た。
 石畳の向こうに広がる街並み。人々の声、遠くから響く鐘の音。
 
「……夢みたいだねえ、ほんと」
「うん」
 シエルもまた、小さく頷いた。
 血に塗れ、焼けた村を背にしてから、どれほどの時間が流れたのか。逃げて、怯えて、眠れぬ夜を越えて――新天地にやってきた。僕はようやく、前を向ける気がする。
 
「これからどうなるんだろう、私たち」
 姉の言葉に、シエルは空を見上げる。
「色んなことがあるとは思う。けど、僕が選んだ道だ。頑張るよ、僕。……この街で」
「そうね。一緒に頑張りましょ!」
 
 メアリは華やかな笑みを向けると、シエルと共に首都の街並みを見渡す。
 夕暮れの天空に、白い雲がゆっくりと流れる。日暮れにはまだ少しかかりそうだ。
 彼女はシエルの手を取った。
 
「さ、そうと決まったら、行こう!」
「へ? どこに!?」
「決まってるでしょ! お布団とカーテン! あれが無いと寝られないんだから!」
「今から!?」
 
 ──はいシエル! 駆け足!
 朱髪少女がお姉さんぶって元気に声かけする。
 ズネアータの街中。木々の薄紅色の花──ケウの花が咲き誇る大通りを、ふたりは駆け抜けていく。
 花々は、路傍の人々の門出を祝う紙吹雪のように、ひらひらと舞い降りていた。
 
 
 
序章 完(2025.07.15 全体微改稿)

 




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