夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


     ◆
 
 
 三階――ギルド長室に場を移す。
 広々とした長机。通されるがまま、シエルとメアリは並んで長椅子に腰掛けた。
 
「昼食にしようか」
 そう言ったのはボスだった。結社には食堂がある。来客時には、専属のシェフが料理を部屋まで持ってきてくれる仕組みだという。
 長机にはすでに、料理が配膳されていた。鉄板の上で蒸し焼きにされた兎肉が、じゅうっと音を立てながら、香ばしい匂いを漂わせている。
 
「まぁ!」「美味しそう!」
 肉の上には瑞々しい果肉とハーブが乗っけられていた。思わず口の中によだれが溢れてくる。美味しそうなランチを前に、シエルの波酔いはすっかりどこかに吹き飛んでいた。

「いいの? こんなご馳走いただいちゃって」
 メアリの問いに、金髪秘書がふっと微笑む。
「冷める前に食べちゃって?」
 
「で、では……いただきます」
 少年は手を合わせた。銀のナイフとフォークを手に取り、兎肉をひときれ切って口に運ぶ。
 ひとくち、噛みしめると、濃厚な肉汁が口の中いっぱいに広がった。
「ん〜……!」
 なんとも感動の美味しさである。
 少年は知らずのうちに涙を流していた。
 
「生きてきて、よかった……」
「お気に召してくださったようで何よりよ」
 
 秘書が苦笑する。
 ボスはというと、お誕生席の一人用ソファに腰掛け、静かに彼らを見守っていた。
 彼女は口を開いた。
 
「結論から言う。先程の試験、君たちの勝利だ」
「あ――、ありがとうございます!」
 
 ふたりは、わっと歓喜した。
 最後に剣がロネに命中した瞬間を目視したのは、ボスとレイミールのみであった。
 
「おめでとう、二人とも」
 秘書が穏やかに祝福する。
 その横で、ロネは肉にがっついていた。まるで何かと競うかのような勢いで料理を平らげており、まったく喋ろうとしない。多分、早く食べたいのだろう。
 ボスがナイフとフォークで上品に食事をしながら、話を続ける。
 
「まさか本当に、ウチのロネから一本取ってしまうとはね」
「途中、魔煌ヴィレラが割り込んできたから、困りましたよ?」
 可愛らしい顔で軽く文句を言ったメアリに、ボスは笑みを返す。
 
「ああ。最初にイージーな判断材料を投げておいて、油断した頃に奇襲を掛ける。これは、実戦の常套手段だからね」
「わたくしは楽しかったわ♡」
 レイミールも満足げである。
 
 ボスがロネの方へ視線を向けた。
「ロネは……、運が味方しなかったかな?」
「ケッ!! 条件が違ェだけだ!」
「知ってるさ」
 肉を咀嚼しながら品なく答えるロネに、ボスは小さく苦笑を送り、ナイフとフォークをそっと皿に置いた。そして改めて、ふたりへ向き直る。
 
「さて……シエル。そして、メアリ。すまないが最後にひとつだけ、私から質問させておくれ」
 彼女は問うた。
「ここでやっていく“覚悟”はできたかな?」
「!」
 シエルが大きな目を瞬かせる。メアリも、一瞬固まっていた。
 ボスが、ゆっくりと、しかし真摯に言葉を続ける。
 
「結社に居るということは、より、戦火に近づくということだ。それは、この街を守るということでもある。その責務のあるギルドだ。もちろん、よそでも働き口は無いこともない。下がるならば今のうちだよ」
 
 それだけ告げると、彼女は何事もなかったかのようにパンを口に運ぶ。
 ――遠慮せず答えろ。
 そんな雰囲気を感じた。
 喉がこわばる。シエルは深呼吸してから、口を開いた。
 
「僕には、覚悟っていうか……自信はありません」
 素朴な少年の感情は揺れていた。不安と、恐怖と、そして、その奥にある微かな高鳴りに。
 怖い。どこかに逃げ出してしまいたい。それでも、逃げた先がここなら、僕は。
 少年は、返事を絞り出した。
 
「だけど、僕は、戦えます。少しですが、知識も――。僕は、貴女の役に立ちたい。僕を助けてくれた、貴方の力になりたいんです」
 
 メアリはシエルの決意を聞くと、彼女らしい、きまじめそうな表情で頷いた。
「覚悟なら、故郷を出た日にできてます。私は、シエルと一緒に居るんだから!」
 それは、単にまじめだからと言うよりは、“私がお姉さんだからしっかりしなきゃ”と思っている少女のような、そんな言い方にも聞こえた。
 
「そうかい」
 ボスはふたりの顔を見て、満足げに目を細める。
「では。改めて、君たちを我が〈結社〉に歓迎しよう」
「これからよろしくね」、ふたりとも」
 レイミールが優しく微笑んだ。
「は、はい!」
 少年たちから安堵の笑みが漏れる。
 
 
「…………」
 秘書の隣で、灰色髪の青年がムスっとした顔で口に野菜を押し込んでいる。
「ろ、ロネ……先輩も、よろしくお願いします」
「ロネ。何か言って差し上げなさいな」
 青年は野菜を咀嚼すると、深緑の眼で少年を睨みつけた。
 
「いい気になンなよ。クソガキが……」
 
 えぇ――……?
 シエルは青ざめた。この先輩、考えてることがまるでわからない。
 
「ロネ!」
「一応言ッただろォ!?」
「全く、相変わらずの負けず嫌いだね」
 秘書とボスに順に咎められた青年は、噴火したみたいに叫んだ。
 
「だー! とにかく!! コイツらの武器は、オレが見繕っとく。それでいンだろ?」
 馬鹿声で叫んだロネの台詞に、結社のボスは指を顎に当てながら答える。
「そうだなあ。メアリには、相手と間合いが取れる長物を。シエルには……」
「ボス。ありゃあ、特注になッちまうぜ?」
「それでいい。出す物は出す」
 
 ボスの一つ返事を聞き、ロネはサムズアップで応えた。
「了解。そんじゃ、ごっそさんでした!」
 気がつけば、彼の皿は空になっている。ロネは早足に部屋を後にした。
 あいつも忙しい奴だな、と苦笑してから、ボスがこちらに伝えた。
 
「そんなこんなだから、武器はおいおいプレゼントするつもりだ。待っていておくれ」
 こんなに嬉しいことがあるだろうか。
 その後も、温かい言葉の飛び交う和気あいあいとした昼食会となった。
 
 
 
 
「ご馳走様でした!」
 皿はすっかり空になっていた。豪華な料理に舌鼓を打ち、お腹も心も満たされたふたり。片付けが始まる中、ボスが穏やかに語りかけてきた。
 
「それと、結社入りの祝いだな。私からは二種類ある」
「えっ、そんな!」
 メアリが伸び上がった。まさか物までもらえるとは、シエルも思ってもみなかった。
「お祝いなんて、本当にいいんですか?」
 戸惑うふたりに、ボスは流れるような所作で、二枚の書類ファイルを取り出した。
 
「まずは、これ。身分証の類だ。大至急必要だと思ってね。先ほど作ってきた」
 手にしているのは小さなサイズのファイル。
 名前や年齢が載っているから、これが共和国の身分証なのだろう。
 そのまま受け取ると、隅に重ねて別の用筆紙がクリップで留められていた。そちらには、来週の予定が記されているようだ。
 シエルは二種類の紙を見比べて、ふと一カ所気になった。
 
「出自……〈ザルツェネガ共和国〉?」
 何度見返しても、ファイル内の出身欄に、そう書いてある。
 彼女はニッコリと笑った。
 
「うん。そういうことにしておけば、問題ないだろう?」
 これは――、共和国側の法に触れてないのだろうか?
「……ハイ」
 シエルはまたしても怖くて聞けなかった。彼女の優しさと善意を信じて、書類を小さなポシェットに仕舞う。
 
「それと、これも渡しておこう。〈結社の笛〉だ。これが所属の証になる、肌身離さず持ってくれ」
 ボスが差し出したのは、赤紫色の焼き物の笛。胴には赤い鳥の絵が描かれている。
 
「これでふたつね」
 メアリが笛を受け取りながら確認する。だが、ボスは首を横に振った。
「いや、ここまででひとつだ」
「はえ?」
 もうすでに至れり尽くせりなのに……とシエルが驚いていると、ボスはさらに懐から小さな封筒を二つ取り出し、ふたりの前に差し出した。
 
「次に、これだ」
 シエルが手に取ると、封筒の上端から中身が覗いた。そこには分厚い札束が詰まっている。
 
「君たちに贈る初期支援金、二十万リルだ。受け取れ」
「に、二十万……!?」
 メアリが絶句する。シエルは手の震えを止められずにいた。
「さ、流石にこんな大金、受け取れません……」
 貧乏性の本音が口をついて出る。持ってきたお小遣いですら、五万リル無いのだ。貰いすぎだ。
 震え上がるシエルたちの様子を見て、ボスは肩を揺らして笑った。
 
「いい、いい! 私はね、戦力をタダで雇う趣味はないんだよ!」
 さっぱりとした口調に、ふたりは何も言えなくなった。彼女は続ける。
 
「この首都ズネアータに住むんだろう? なら生活費として、そのくらいはかかるはずだ。必要経費だよ」
「……でも……」
 なおも戸惑うシエルに、ボスはウィンクして見せた。
「言ったじゃないか。“私がなんとかする”ってね」
 
 言葉が出ない。まさか、こんなにも暖かく迎え入れてくれるなんて――。
 ふたりは、おずおずと封筒を受け取り、深く頭を下げた。

「じゃあ……ありがたく。お言葉に甘えさせていただきます」
 ボスが頷く。ソファにて背筋を伸ばして手を組み、ふたりの若者を見た。
 赤い瞳、真っ黒な髪。サイドのポニーテールに、紺色の制服。
 風格に満ち溢れた彼女がニィと笑みを浮かべる。
 
「改めて。ようこそ! 我が結社〈恒久の不死鳥エタネル・フェニックス〉へ。これから共に戦ってゆこう」

 その言葉に、シエルとメアリはしゅっと背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
 
「はい。よろしくお願いします」
「精一杯、がんばります!」

 ボスが満足げにひとつ頷く。
「いい返事だ。来週から忙しくなる、ゆっくり休んでおくといい」
 秘書も穏やかに微笑んで、それからふたりに声をかけた。
「さ、行きましょうか。玄関口まで送るわね」
 
 彼女に一礼して、ふたりはレイミールと共に部屋を後にする。通された廊下を逆戻りしながら、シエルがぽつりと呟いた。

「……あの人、本当にすごい人ですね」
 少年の言葉に、レイミールが微笑みを深めた。
「そうかしら。けれど、それよりもすごいのは――ふたりがここまで、ちゃんと歩いてきたことよ」
「…………」
 その言葉に、シエルは視線を落とす。メアリもそっと隣で口元を引き結んだ。
 彼女らの優しさが今はくすぐったくて、痛かった。
 玄関先につくと、レイミールが緩やかに手を振り、見送る。
 
「じゃあ、また来週から一緒に頑張りましょうね。今日はお疲れさま!」
「こちらこそ。……ありがとうございました!」
 
 
    ◆
 
 
 首都・ズネアータの空は、うっすらと花冷えの気配を纏っていた。
 昼下がりの商店街を抜け、綺麗に舗装された石畳を踏みしめて歩く足音が響く。
 雑踏に少女の声が落ちた。

「……夢みたいだね、ほんと」
「うん」

 シエルもまた、小さく頷いた。
 血に塗れ、焼け落ちた村を背にしてから、どれほどのときが過ぎたのか。逃げて、怯えて、眠れぬ夜を越えて――新天地にやってきた。僕はようやく、前を向ける気がする。

「ねえ、シエル。これからどうなるんだろうね、私たち」
 姉の言葉に、シエルは空を見上げる。青い天空に、白い雲がゆっくりと流れていた。
 
「きっと、色んなことがあると思う。でも、これは僕が選んだ道だ。頑張らないと」
「そうね。一緒に頑張りましょ!」
 メアリは華やかな笑みを向けると、首都の街並みを見渡す。
 今は露店の上から、木々の薄紅色の花々が舞い散っている。綺麗だけれど、片付けの大変そうな花だ。そんな路傍の景色を見て、少女は引っ越したばかりの新居のことを思った。
 
「でもまずは、お引っ越しのお片づけからよね?」
「…………あっ」
 思わず声が出て、少年は眼鏡ごと顔を覆ってしまった。
 朱髪少女はジト目で弟を見た。
 
「シエル。その感じは相当散らかしてるわね〜?」
 メアリには隠しごとはできないらしい。
 帰宅後に待っている荷物の山を思って、シエルは涙声でため息をついた。
「うう……はい、まずは片付けから、あの。頑張ります……」
 少年は背中を縮こめる。
 部屋散らかり族にとって、引っ越しはいつの時代も辛いものであった。
 
 
 
 序章 完