序章『僕の選んだ道』
“第8話 適性試験”
────……
──……
シエルは息を切らしながら、ロネの挙動に必死について行く。
二対一なのだ。重たい剣を振り回したりして何とか当てようと試みるのだが、避けられてまるで近づけない。こちらの方がリーチは随分長いのに。
「ふぅ……ッ!」
少年は持ち前の脚の速さで周りを回ると、ロネの斜め後ろから両手で剣を振った。
だが、彼は後ろに目でもついているかのように振り返り、笑って重量の剣を受け止める。短剣で的確に。
「はぁあっ!」
痺れを切らしたか、向かいの姉が剣を持ち替えて右手で腹に殴りかかった。ビュン、と風を切る音が鳴る。
実のところメアリの父・ディオルは、村の道場の師範だ。
並のパンチではないはずのそれすらも、
「オー! やるなァ」
彼は視界に入れ、最小限の動きで避け切ってしまった。
「ンじゃ……」
ロネはバックステップで二人から距離を取ると、短剣を防御位置に構えた。
二本指を眉間に当てて、唄う。
『朱ァ・爆ぜろ灯火! 其は我の闘志なり——……』
「ちょっ! 魔煌アリなの!? ひどーい!」
メアリが糾弾した。戦闘用の魔煌など、殺傷能力の塊なのだ。
「無理無理! メアリ、なんとかして!」
思わず姉に泣きつく。シエルは、風系統の魔煌以外は不得意だった。火に弱っちい風なんて吹き込んだら、強化されかねず。
「もう〜……」
メアリが前方に手をかざした。
『蒼・強固なる水爆・我が盾となれ──』
彼女は、詠唱を被せるように紡ぐ。
この地の大自然への祈りの唄。キラキラとした生命力の粒、煌力が足元から舞い上がる。唄が完成した。
『行けェ!——〈火種ノ爆撃〉!』
『おねがい——〈水ノ防壁〉!』
一瞬の差だった。光が形を持ち炎となり、火炎が集って球体を成した。ほぼ同時に、メアリの掌から水流が溢れ、スカイブルーの丸い盾の形を作る。
人の意思を得た火炎の爆撃が、少年らの元へ迫った。
「ぷわっ!」
水流がメアリたちの眼前を覆い尽くす。炎が爆散し、シエルの上半身に掠った。
「あっつ熱い! 死んだ! いや死んでない!」
腕をバタバタさせて、その場に膝から崩れ落ちる少年。
掛けていた眼鏡が、無機質な音を立てながら床に転がった。
メアリが振り向く。
「ごめん間にあわなかっ……ひゃあ!」
いつの間にか、ロネがメアリのすぐそばにいた。彼女が手空きにしていた手首を引っ掴む。ギラリ、とロネの白い八重歯が覗く。
「油断したな?」
「しまった……!」
メアリの手首を外側に極めるようにして、関節技が決まった。
「いたたたた!」
ロネは素早く屈む姿勢を取る。そのまま、床に座り込むシエルの胸板を、剣の平らな面で叩いた。
「勝負あり!」
「うぅ……」
勝負はついた、とその場の誰もが思った。
ただ、ひとりを除いては。
俯く茶髪の少年の手元が、ぼんやりと光っている。
シエルの胸の奥で、何かが囁いた。
──使え。チカラを。
(これは……ただの〈魔煌〉の感覚じゃない。“誰か”の声?)
──オマエのチカラ。世界の均衡を崩すチカラを……。名は【────】
頭では意味が分からないのに、指先は勝手に剣を握りしめ、〈煌力〉を流し込もうと全身がこわばる。
……僕は。生まれたときから、どこか自分のものではない影が、この胸の奥に潜んでいる。
母が壊れていく姿、父が背を向けた背中。顔の黒い銀髪の男──幼い自分自身が抱えきれないほどの、劣等感。そのすべてがフラッシュバックする。
(これを使えば、僕は何かを失う気がする……。だけど今、逃げちゃいけない……! 逃げたくない!)
シエルの周囲に光の粒が舞う。
生命力が呼応を始め、決意した少年が脳裏に聞こえた言の葉を叫ぶ。
『──【十字眼】──具現せよ!!』
足元に現れた円環の紋が輝き、空気が鋭く振動した。無風の室内に強風が吹いた。
「僕に……立ち向かうチカラを!」
顔を上げた少年の裸眼は、美しい金の瞳。
中央に瞬く十字の紋様が、その異質さを際立たせていた。ただの訓練用の剣がシエルの生命力に応えて発光する。剣の刀身は翡翠色の光を纏って、長く変形していた。
「なッ……何だァ!?」
鉛の剣が変形したのではない。少年から溢れ出た煌力の粒子が、新たな刀身を形作っているのだと、ロネは理解した。
「まだだぁッ!!」
半身を伏せた少年が、奇妙な長剣を、利き腕で一閃した。
「……いっ!?」
攻撃はロネの元に衝撃波となって届き、男の体を足下から吹っ飛ばした。
「ハァァア──!?」
ロネは木箱に激突して派手な音をたてた。
一般人なら、当たりどころによっては危うく骨を折っているかもしれないのだが、
「ふざけやがってクソガキィ……!」
ロネは二本足で木箱を踏んづけて、既に上体を起こしている。無事のようだ。
メアリはシエルに駆け寄り、片膝をつく弟に手を差し伸べた。
「シエル!」
「メアリ……」
少年は姉の手を借りて、ふらつく体をようやく立ち上がらせた。目の奥に金色の残光がまだ揺らいでいる。
「シエル……大丈夫? その目……」
「うん……でも、正直ちょっと怖いかな。身体の奥から、勝手に流れ出てくるような感じがして……」
メアリは胸の奥がひやりとした。弟の内側に、今まで知らなかった何かが息づいている。
「そんな。さっきの剣だって、見たことない。一体どうなってるの?」
「わからない。ただ、頭の奥で“使え”って声がしたんだ。だから、使わなきゃ、って思った」
シエルは握っていた手に力を込めた。自分の指先がまだ震えていることに気づいて、唇を噛む。
「あのさ、僕……」
そのとき、遠くから男性の怒声が聞こえた。
「オォイッ! オレの不意突いたからって、もう終わりだと思ってンじゃねェだろうな!?」
ふたりは同時に顔を上げる。
ロネが起き上がって構え直す姿勢が見えて、シエルはメアリに向き直った。
「メアリ。僕は――僕はね。うまく言えないけど、今、すごく頑張ってみたいんだよ」
少年の拙い言葉はかすかに震えているのに、その目は確かな決意を宿していた。
──誰かに認められたい。
僕自身の力を。これからギルドで一人の戦力として働いていけることを、この〈適正試験〉で証明してみたい。
弟の顔を見て、メアリは短く息を吐いた。
少年の手を両手で包む。
「……わかった。でもシエル、あまり気負わないでね。私が隣にいるから」
「──うん。やろう。メアリ」
シエルは低くつぶやいた。メアリも頷く。
新しい環境に怯えながらも、それでも前へ進もうとする姉弟の呼吸が、静かに揃う。
ふたりは繋いだ手を離して、立ち向かった。
──……
────……
「あれは……勝利判定なのかしら?」
「いや、まだだ。剣が届いていない」
レイミールとボスは、静かにシエルたちを見守っていた。
翡翠の剣が空気を裂き、金の瞳が瞬きもせず未来を射抜く。
刃の先に、少年の背負う重荷が一緒に露出していくようだった。
「……村で見たとおりだ。月蝕の子、堕ちた巫女の血。あれが本物の〈逆十字〉だ」
レイミールは思わず喉を鳴らした。
「本当に……言い伝えどおりの……?」
レイミールは思い出す。
“月蝕に生まれた子は金の瞳を持ち、万物を討つ刃となる”と古い記録にあったことを。
なんでも、禁忌を犯した巫女からは時折、悪魔のような生命力を持った男児が生まれるのだとか。
「呪われて生まれた少年。出自もその身も、彼の背中にはとてつもなく重いものだろう」
剣の残光が揺れ、シエルの体力は目に見えて削られていく。
目の前を切り裂くたびに、生命力が流れ出る。
それでも少年は刃を下ろさない。
「こうして見ても、まだ信じられないけど……実在するのね。まるで御伽噺の存在が」
「そうでなければ、彼はきっとここにいない。……迫害され、逃げてきてなど居ないだろうさ」
生まれながらに業を背負い、帰る場所を失った少年。
レイミールが自嘲ぎみにつぶやく。
「……力を持つことは幸運じゃないわね」
「そうだな」
場の中央で、シエルがふらりと膝を折りかける。
黄金の瞳が揺らぎ、翡翠剣の刃がわずかに震えた。
あの煌力の剣は、全身から生命力を垂れ流しているような状態だ。もし常人に同じ芸当が出来たなら、数刻と持たず死ぬほどの全身負担のはずだ。
「運命から逃げるだけでは、何も解決しない。何を望み、どう生きるか……これからは本人が選ばねばならない」
刃の光が一瞬だけ消えかけ、次の瞬間また強く燃え上がる。身体に無理が生じている証拠だ。
ハーフエルフの姉の方は、体力を温存しながら間合いを開けて動けているようではあるが。
ボスは、表情ひとつ変えず命じた。
「レイミール。仕掛けよ」
「……ええ」
秘書は手に持った書類を大切そうに胸に抱え、左手を空けた。
彼女の左手が光り、周囲に風が吹く。
次にその腕を天へ挙げたかと思えば、一気に振り下ろした。
『荒波・恒久なる三ツ又の水流・魔を洗浄す──〈大海ノ荒波〉!』
レイミールの指先から溢れ出した波は、固形物のような三本の強い水流になり、うねりながら若者たちの押し寄せた。
「え、まじ!?」
「聞いてないっ……!」
突然の奇襲。混戦状態の中、メアリがロネの後ろまで逃げる。シエルが水流に狙われているのをよいことに、メアリはロネを斬ろうとしたが、
「アブねッ」
やはり身をかわされた。しかしそれすら許容範囲だと言うように、メアリが叫んだ。
「シエル!」
彼女の声を聞いて、シエルは前のめりになるようにして、水流に飛び込んだ。
剣を前に手向け、少年が一閃する。
「ううっ……! ……」
水流に全身がえぐられる感触。流され際に、何か固い物体と剣先が当たった。
「……ううぇぷ……」
気分が悪くなってきた。シエルは共和国行きの船の上で何度か戻してしまったほどには、酔いにめっぽう弱かった。
「そこまで!」
ボスの呼び声に、全員の動きがぴたりと止まる。
「皆の者。ご苦労だったな」
なお、シエルは波に流された場所で突っ伏している。
「ボスさん……?」
歩いてくるボスに、メアリが不安げな瞳を向けた。ギルドの長は、それに微笑みだけを返して、部下に向かって問いかけた。
「ロネよ。今回はどうだった?」
ロネは目を瞑り、水滴で濡れた短髪をワシャワシャ掻きむしっている。
「どうもこうも。アーアって感じだよ」
「ってことは……」
「オウ。お疲れ」
ロネはメアリの訓練用の剣を掴み、受け取った。剣を手放して、メアリは今更気づいた。
「シエルは?」
振り返ると、現在は存在感ゼロの少年が、右腕で体を持ち上げようとしていた。
「うぅ……」
「シエルったら」
メアリが少年の代わりに、足元に落ちている眼鏡を拾う。
ロネは歩いて少年の元まで向かうと、その手元の剣を乱暴にひったくった。
青年が見れば、既に刃が削られていたはずの訓練用の剣は凸凹になり、更なる刃こぼれが起きていた。波状のちんちくりんな形だ。仮に専用の鞘があったとしても、もう入らないくらいにまでは変形してしまっている。
ロネは小さく舌打ちすると、少年の脇腹をつま先で蹴った。
「オイ起きろッ! 試験終わったぞ!」
「んん!? あの、結果、は……うっ……」
全く動けていない少年を横目に、ボスが言った。
「話は場所を移そう」
ロングブーツの底を鳴らし、先立ってボスが歩く。小柄な秘書が指示を出した。
「あ、ロネ。そのコのこと運んでさしあげてね」
「…………」
剣を片付け終えたロネの眉間に皺が寄る。
その後、シエルが彼の肩で震えながら運ばれたのは、言うまでもない。