DR+20


序章『僕らの選んだ道』



 
     ◆     
 
 
 場所を戻し、三階、ギルド長室。
 面談のときと同じ長椅子に通されたシエルとメアリ。
 昼食にしようか、と言ったのは、ボスだった。彼女が言うには、結社には食堂があって、客人が来たら、シェフが料理を私室まで持ってきてくれる仕組みになっているそうだ。
 長机には既に、料理が配置されていた。
 
「わぁ!!」
「美味しそう!」
 
 鉄板の上で蒸し焼きになった兎肉は、上に果肉とハーブが乗せられていた。ジューシーな匂いが鼻をくすぐって、思わずよだれがでてくるほどだ。美味しそうなご馳走を目の前にして、シエルの波酔いは完全回復していた。
「冷める前に、食べるといいよ」
「はい! では……いただきます」
 少年は手を合わせ、早速ひと口切って運ぶ。
 肉を噛みしめると、濃厚な肉汁が口の中いっぱいに広がった。
「おいしい……!」
 ボスはというと、お誕生席の一人用ソファに掛けている。
 彼女は言った。
 
「結論から言う。先程の試験、君たちの勝利だ」
「あ──、ありがとうございます!」
 
 シエルたちはわっと歓喜した。
 最後に剣が当たっていたのを目視したのは、ボスとレイミールのみであった。
「おめでとう、二人とも」
 秘書が祝福した。
 その横で、ロネも料理を食べている。ものすごい勢いで肉にがっついているので全く喋らない。多分、早く食べたいのだろう。
 ボスがナイフとフォークで上品に食事をしながら続けた。
「まさか本当に、ウチのロネから一本取ってしまうとはね」
「途中、魔煌ヴィレラが割り込んできたから、困りましたよ?」
 可愛い顔でそんなお小言を述べたメアリに、ボスは笑って答えた。
「ああ。最初にイージーな判断材料を投げておいて、弱った頃に奇襲を仕掛ける。これは、実戦の常套手段だからね」
「わたくしは楽しかったわ♡」
 レイミールも満足げである。
 ボスがロネの顔を見遣った。
「ロネは……、運が味方しなかったかな?」
「ケッ! 条件違ェかンな!」
「知ってるさ」
 肉を頬張りながらお行儀悪く食べているロネに苦笑を送って、ため息をひとつ落としたボスは、ナイフとフォークを置いて、若者ふたりに向き直った。
 
「さて……シエル。そして、メアリ。私から最後の質問だ」
 彼女は問うた。
「ここでやっていく“覚悟”はできたかな?」
「!」
 シエルが大きな目を瞬かせる。メアリも、一瞬固まっていた。
 ボスが、ゆっくりと言葉を続ける。
 
「結社に居るということは、より、戦火に近づくということだ。それは、この街を守るということでもある。その責務あるギルドだ。だが、よそでも働き口は無いこともない。下がるならば、今のうちだよ」
  
 それだけ言って、何事もなかったかのようにパンを口に運んでいる。
 遠慮せず答えろということなのだろうか。
 シエルは微かな緊張でこわばる喉に空気を流し込んで、口を開いた。
 
「僕には……覚悟っていうか……自信はありません」
 素朴な少年の感情は揺れていた。不安と、恐怖と、その奥にある微かな高鳴り。
 怖くて、どこかに逃げてしまいたい。それでも、逃げた先がここなら、僕は。
 少年は返事を絞り出す。
 
「だけど、僕は、戦えます。少しですが、知識も──。僕は、貴女の役に立ちたい。僕を助けてくれた貴方の力になりたいんです」

 メアリはシエルの決意を聞くと、彼女らしい、きまじめそうな表情で頷いた。
「覚悟なら、故郷を出た日にできてます。私は、弟と一緒に居るんだから!」
 それは、単にまじめだからと言うよりは、“私がお姉さんだからしっかりしなきゃ”と思っている少女のような、そんな言い方にも聞こえた。
 
「そうかい」
 ボスは両者の答えに満足げに目を細めた。
「では。改めて、君たちを我が〈結社〉に歓迎しよう」
「シエルくん、メアリちゃん。これからよろしくね」
 レイミールがにっこりと微笑んだ。
「は、はい!」
 少年たちから安堵の笑みが漏れる。
「…………」
 秘書の隣で、灰色髪の青年がムスっとした顔で口に野菜を押し込んでいる。
「ロネ。何か言って差し上げなさいな」
 青年は野菜を咀嚼すると、深緑の眼で少年を睨みつけた。
「いい気になンなよ。クソガキが……」
 えぇ──……?
 シエルは青ざめた。この先輩、考えてることがわからなさすぎる。
 レイミールが彼を咎めた。
「こら!」
「一応言ッただろォ!?」
「全く……相変わらずの負けず嫌いだね」
「だー! とにかく!! コイツらの武器は、オレが見繕っとく。それでいンだろ?」
 馬鹿声で叫んだロネの台詞に、結社のボスは指を顎に当てながら答える。
「そうだなあ。メアリには、相手と間合いが取れる長物を。シエルには……」
「ボス。ありゃあ、特注になッちまうぜ?」
「それでいい。出す物は出す」
 ボスの一つ返事を聞くと、ロネはサムズアップをした。
「了解。そんじゃ、ごっそさんでした!」
 気がつけば彼の皿は空になっている。食べるのが恐ろしく早い彼は、早足に部屋を出て行った。
 あいつも忙しい奴だな、と苦笑してから、ボスがこちらに伝えた。
「そんなこんなだから、武器はおいおいプレゼントするつもりだ。待っていておくれ」
 こんなに嬉しいことがあるだろうか。
 その後も、温かい言葉の飛び交う和気あいあいとした昼食会となった。
 
 
 
 
「ご馳走様でした!」
 皿はすっかり空になった。ごちそうを食べさせて貰い、お腹いっぱいである。
 食器が下げられる中、ボスが語り掛けた。
「それと、結社入りの祝いだな。私からは二種類ある」
「そんな!」
 メアリが伸び上がった。物まで貰えると思わなかったのは、シエルも同じだ。
「お祝いなんて、いいんですか?」
 ボスは流れるような所作で書類を取り出した。
「まずは、これ。身分証の類だ。大至急必要だと思ってね。先ほど作ってきた」
 手にしているのは小さなサイズのファイル。
 名前や年齢が載っているから、これが共和国の身分証なのだろう。
 そのまま受け取ると、隅に重ねて別の用筆紙がクリップで留められていた。そちらには、来週の予定が記されているようだ。
 シエルは二種類の紙を見比べて、一カ所だけ気になった。
「出自〈ザルツェネガ共和国〉……?」
 何度か見てみたが、やはりファイル内の出身欄に、ザルツェネガ共和国と書いてある。
 彼女はニッコリと笑った。
「うん。そういうことにしておけば、問題ないだろう?」
 これは──、共和国側の法に触れてないのだろうか?
「……ハイ」
 シエルはまたしても怖くて聞けないまま、書類を小さなポシェットに仕舞った。
「後、〈結社の笛〉だ。ここの証明だから、肌身離さず持ってくれ」
 ボスが続けて、赤紫色の笛を取り出す。焼き物に赤い鳥が描いてある。
 メアリが頷く。
「ボスさん。一先ず、わかりました。これでふたつね」
「いや、ここまででひとつだ」
「はえ?」
 既に至れり尽くせりなのに、まだあるんですかと少年は言いそうになった。
 ボスは縦長の小さな封筒をふたつ、懐から取り出した。
「次に、これだ」
 手に取ったシエルは、封筒の中身が上から見えてしまい、思わず硬直する。
 すべて、札束だ。
「二十万リルだ。受け取れ」
「うそ……こんな大金、受け取れないわ」
 金額を聞いたメアリが首を振る。
 しかし、ギルド長は肩を揺らしながら笑っていた。
「私は、戦力をタダで雇う趣味はないよ!」
 持ってきたお小遣いですら、五万リル無いのだ。貰いすぎだ。シエルは震え上がっていた。
「申し訳ないです……」
 シエルの貧乏性な考えを見透かしたように、ボスが言う。
「この首都ズネアータに住むんだろう? なら、今後そのくらいはかかるはずだ。必要経費だよ」
「え……でも……」
「言っただろう? “日々の生活すべて”、私が面倒見るってね」
 当人がウィンクした。
 驚きで上手な言葉にならない。シエルもメアリも、まさか異国の新生活がこのような好待遇になるとは思いもよらなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて……いいんですかね?」
 ボスが頷く。そのまま、ガラス面の机に手を組んで秘書を見た。
「ああ。すまないが、時間だ。私はそろそろ執務に戻ろうかな」
「でしたらわたくしたちも」
 レイミールがそそくさと立ち上がる。解散時間のようだ。
「ボスさん、ありがとうございました!」
 新人たちは立ち上がり、頭を下げた。秘書に続いて部屋を後にしようと、扉に手を掛けたとき、ボスが呼び止めた。
「二人とも」
 振り向くと、彼女は脚を組んで手を挙げていた。
「来週から、よろしく頼むよ!」
「「はい!」」
 シエルとメアリも、笑顔で返事をした。
 
 
 
 
 ────
 ──…………
 
 
 灰色の建物の建ち並ぶ、首都ズネアータの七色の並木道。
 未だ風の冷たい、花冷えの季節。
「寒っ」
 今は露店の上から、木々の薄紅色の花々が舞い散っている。シエルは、外の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「──いい人たち、だったね。びっくりするくらい」
 隣を歩くメアリの方を見てみる。
 彼女は、そうねー、と相づちを打ちながら、周囲の街並みを眺めている。
「不安も正直あるけど。こうなったらここで暮らしていくしか、なくなっちゃったわねぇ」
 姉の言葉に、シエルは力強く頷く。
 僕はこの手足で〈逃亡者〉となり、確かに新天地までやってきたのだ。
 
「僕らの選んだ道だ」
「ええ。がんばってみましょうか!」
 
 メアリは両手でガッツポーズをすると、太陽が西向きに傾いた空を見上げた。
 
「でもまずは、お引っ越しのお片づけからよね?」
「うっ」
 
 思い出して、シエルは胸が痛んだ。
 部屋散らかり族にとって、引っ越しはいつの時代も辛いものであった。