DR+20


序章『僕らの選んだ道』



 ────……
 ──……
 
 シエルは息を切らしながら、ロネの挙動に必死について行く。
 二対一なのだ。重たい剣を振り回したりして何とか当てようと試みるのだが、避けられてまるで近づけない。こちらの方がリーチは随分長いのに。
「ふぅ……ッ!」
 少年は持ち前の脚の速さで周りを回ると、ロネの斜め後ろから両手で剣を振った。
 だが、彼は後ろに目でもついているかのように振り返り、笑って重量の剣を受け止める。短剣で的確に。
「はぁあっ!」
 痺れを切らしたか、向かいの姉が剣を持ち替えて右手で腹に殴りかかった。ビュン、と風を切る音が鳴る。
 実のところメアリの父・ディオルは、村の道場の師範だ。
 並のパンチではないはずのそれすらも、
「オー! やるなァ」
 彼は視界に入れ、最小限の動きで避け切ってしまった。
「ンじゃ……」
 ロネはバックステップで二人から距離を取ると、短剣を防御位置に構えた。
 二本指を眉間に当てて、唄う。
 
あかァ・爆ぜろ灯火! 其は我の闘志なり——……』
 
「ちょっ! 魔煌ヴィレラアリなの!? ひどーい!」
 メアリが糾弾した。戦闘用の魔煌ヴィレラなど、殺傷能力の塊なのだ。
「無理無理、なんとかして!」
 思わず姉に泣きつく。シエルは、風系統の魔煌ヴィレラ以外は不得意だった。火に弱っちい風なんて吹き込んだら、強化されかねず。
「もう〜……」
 メアリが前方に手をかざした。
 
あお・強固なる水爆・我が盾となれ──』
 
 彼女は、詠唱を被せるように紡ぐ。
 この地の大自然への祈りの唄。キラキラとした生命力の粒、煌力レラが足元から舞い上がる。唄が完成した。
 
『行けェ!——《火種ノ爆撃フォトンズ=エクリシス》!』
『おねがい——《水ノ防壁ヴァダー=ディフェンダー》!』
 
 一瞬の差だった。光が形を持ち炎となり、火炎が集って球体を成した。ほぼ同時に、メアリの掌から水流が溢れ、スカイブルーの丸い盾の形を作る。
 人の意思を得た火炎の爆撃が、少年らの元へ迫った。
「ぷわっ!」
 水流がメアリたちの眼前を覆い尽くす。炎が爆散し、シエルの上半身に掠った。
「あっつ熱い! 死んだ! いや死んでない!」
 腕をバタバタさせて、その場に膝から崩れ落ちる少年。
 掛けていた眼鏡が、無機質な音を立てながら床に転がった。
 メアリが振り向く。
「ごめん間にあわなかっ……ひゃあ!」
 いつの間にか、ロネがメアリのすぐそばにいた。彼女が手空きにしていた手首を引っ掴む。ギラリ、とロネの白い八重歯が覗く。
「油断したな?」
「しまった……!」
 メアリの手首を外側に極めるようにして、関節技が決まった。
「いたたたた!」
 ロネは素早く屈む姿勢を取る。そのまま、床に座り込むシエルの胸板を、剣の平らな面で叩いた。
 
 
 
「勝負あり!」
「うぅ……」
 勝負はついた、とその場の誰もが思った。ただ、ひとりを除いては。
 俯く茶髪の少年の手元が、ぼんやりと翡翠色に光っている。生命力が呼応を始める。
 ──やるしかない!
 決意したシエルが言の葉を叫ぶ。
 
『【十字眼ディスティア】──具現せよ!!』
 
 無風の室内に、一陣の風が吹いた。
 ただの訓練用の剣がシエルの生命の煌力レラに応えて、強く光る。剣の刀身は翡翠色の光を纏って、長く長く変形していた。
「なッ……何だァ!?」
 鉛の剣が変形したのではない。少年から溢れ出た煌力レラの粒子が、新たな刀身を形作っているのだと、ロネは理解した。
 顔を上げた少年の裸眼は、美しい金の瞳。
 中央に瞬く十字の紋様が、その異質さを際立たせていた。
「まだだぁッ!!」
 少年が奇妙な長剣を、左の利き腕で一閃した。
「……いっ!?」
 攻撃はロネの元に衝撃波となって届き、男の体を足下から吹っ飛ばした。
「ハァァア──!?」
 ロネは木箱に激突して派手な音をたてた。
 
 
 
 一般人なら、当たりどころによっては危うく骨を折っているかもしれないのだが、
「ふざけやがってクソガキィ……!」
 ロネは二本足で木箱を踏んづけて、既に上体を起こしている。無事のようだ。
 
 
 
 メアリはシエルに駆け寄って、手を差し伸べた。
「シエル!」
「メアリ……」
 少年は震える手で、メアリの手を借り、立ち上がった。姉が心配そうに弟の体を見る。
「シエル……大丈夫?」
「そっちこそ。痛くなかった?」
 握った手が温かい。互いの身を案じ、二人は顔を見合わせた。
「私はなんともないわよ。それより【それ】、村の呪いじゃないの」
「使っちゃダメって言われてないじゃん?」
 シエルはニコっと笑って見せた。少年としては、ロネが戦闘用の魔煌ヴィレラを使ったことの意趣返しのような気持ちでやったのだ。きっと帝国の外の人は知らないだろう、この不思議な技を。
「だけど……」
 遠くから男性の怒声が聞こえた。
「オォイッ! オレの不意突いたからって、もう終わりだと思ってンじゃねェだろうな!?」
 未だ手元で形作っている翡翠色の長剣を見て、少年の気分は高揚していた。
 みんなに認められたい。
 僕らの力を。これからギルドで一人の戦力として働いていけることを、この適正試験で証明してみたい。
「僕は大丈夫。やろう。ここでどこまでやれるのか、試してみたいんだ」
「……そうね!」
 二人は繋いだ手を離して、立ち向かった。
 
 
 ──……
 ────……
 
「あれは……勝利判定なのかしら?」
「いや、まだだ。剣が届いていない」
 レイミールとボスは、動揺もせずにシエルの様子を眺めていた。
「早速出たな。村で見た通りだ。彼は【金の瞳の闇者アシャ】だ」
 古代逸話にあるのだ。滅びの力を手に入れた四人の闇者アシャたちのお話。
 各々の能力は驚異的な物だ。その一つが金の瞳・不死の呪い。名を、ハデス。彼は体内の煌力レラを無限に増幅させ、あらゆる不可能な荒技を可能に変えたという。
「ボスの大好きな、古いおとぎ話ね」
 秘書は笑ったが、ボスはそんな古代のおとぎ話こそが、人間の歴史を創ってきた道筋そのものなのだと信じていた。
「知ってるかい? 彼の経歴を」
「さあ……詳しくは」
 レイミールが首を振る。
 ボスが、とつとつと語り始めた。
「彼の故郷、ガルニアでは二度紛争が起こされた」
「……テスフェニア公国のしわざね」
「そうだ、二度ともだ。彼は深く傷付いた際、土地に眠っていた『鍵』であの呪いを手に入れたそうだよ」
 漁村の出身。書面だけ見れば、シエルはこの上なく平凡な少年に見えるだろう。
 実際に話してみても、さして特筆するところのない優しい少年だ。幼少期に紛争を経験した、今時よく居る若者。
 レイミールが息を吐いた。
「ずいぶん恵まれた能力者ですのね」
「そう思うかい? レイミール」
「ええ。彼は私どもと決定的に違う力を、既に手にしている……幸運なことじゃない」
 彼女のボスはそれに答えなかった。ふと見れば、変わらぬ様子でシエルを見つめている。恐らく意見が違うのだ。秘書は問いを返した。
「なにが違うと言うの?」
 ボスは天窓を見上げた。
「例えば、少年が親の仇のテスフェニア公国にたった一人で乗り込んだとして。少年はきっと捕まってしまって、ただ、無意味に生涯を終えるのだろう」
「ボス。あのコはそんなこと……」
 する性格じゃないわ。そう言いかけて、レイミールはハッと気づいた。
 ボスが何故このような突飛な例え話をしたのか、思い当たる節があった。
「……そう。仮に生まれのガルニア帝国に戻ったとしても、今のあのコは捕まってしまうのだったわね」
「ああ。向かう場所も、帰るべき場所もないとは、実に孤独なものだ」
「同時に、“自由になった”とも言える。そうでしょう?」
 うん、と頷く。ボスの赤い瞳は、戦う少年少女よりももっと遠い場所を見ていた。
「呪いや我々との出逢いなどは、禁じられた脱国のきっかけにすぎない。その先で何を望み、どう生きるのか──彼らは、道なき道を選択してゆかねばならない」
 ハスキーで優しい声だった。
 少年の動きが鈍くなってきた。あの煌力レラの剣は、全身から生命力を垂れ流しているような状態だ。もし常人に同じ芸当が出来たなら、数刻と持たず死ぬほどの全身負担のはずだ。
 ハーフエルフの姉の方は、体力を温存しながら間合いを開けて動けているようではあるが。
 ボスは、表情ひとつ変えず命じた。
「レイミール。仕掛けよ」
「……ええ」
 秘書は手に持った書類を大切そうに胸に抱え、左手を空けた。
 彼女の左手が光り、周囲に風が吹く。
 次にその腕を天へ挙げたかと思えば、一気に振り下ろした。
『荒波・恒久なる三ツ又の水流・魔を洗浄す──《大海ノ荒波ヒュドール=レイラ》!』
 レイミールの指先から溢れ出した波は、固形物のような三本の強い水流になり、うねりながら若者たちの押し寄せた。
「え、まじ!?」
「聞いてないっ……!」
 突然の奇襲。混戦状態の中、メアリがロネの後ろまで逃げる。シエルが水流に狙われているのをよいことに、メアリはロネを斬ろうとしたが、
「アブねッ」
 やはり身をかわされた。しかしそれすら許容範囲だと言うように、メアリが叫んだ。
「シエル!」
 彼女の声を聞いて、シエルは前のめりになるようにして、水流に飛び込んだ。
 剣を前に手向け、少年が一閃する。
「ううっ……! ……」
 水流に全身がえぐられる感触。流され際に、何か固い物体と剣先が当たった。
「……ううぇぷ……」
 気分が悪くなってきた。シエルは共和国行きの船の上で何度か戻してしまったほどには、酔いにめっぽう弱かった。
「そこまで!」
 ボスの呼び声に、全員の動きがぴたりと止まる。
「皆の者。ご苦労だったな」
 なお、シエルは波に流された場所で突っ伏している。
「ボスさん……?」
 歩いてくるボスに、メアリが不安げな瞳を向けた。ギルドの長は、それに微笑みだけを返して、部下に向かって問いかけた。
「ロネよ。今回はどうだった?」
 ロネは目を瞑り、水滴で濡れた短髪をワシャワシャ掻きむしっている。
「どうもこうも。アーアって感じだよ」
「ってことは……」
「オウ。お疲れ」
 ロネはメアリの訓練用の剣を掴み、受け取った。剣を手放して、メアリは今更気づいた。
「シエルは?」
 振り返ると、現在は存在感ゼロの少年が、右腕で体を持ち上げようとしていた。
「うぅ……」
「シエルったら」
 メアリが少年の代わりに、落ちている眼鏡を拾う。ロネは歩いて少年の元まで向かうと、その手元の剣を乱暴にひったくった。
「オイ起きろッ! 試験終わったぞ!」
「んん!? あの、結果、は……うっ……」
 全く動けていない少年を横目に、ボスが言った。
「話は場所を移そう」
 ロングブーツの底を鳴らし、先立ってボスが歩く。小柄な秘書が指示を出した。
「あ、ロネ。そのコのこと運んでさしあげてね」
「…………」
 剣を片付け終えたロネの眉間に皺が寄る。
 その後、シエルが彼の肩で震えながら運ばれたのは、言うまでもない。