夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


 
     ◆
 
 肌寒い風のすさぶ、灰色の空の下。
 朝の人通りの波が少し引いたズネアータの大通りをシエルたちは歩いてゆく。
 結社を出る際に、ファクターは「私は急ぎの依頼があるんでな」と手を振って、逆側の道に去っていった。まるで春の風のような人だ、と、シエルは思う。
 薄紅色の花びらが舞う路傍で、〈結社〉のボスの率いる一行は、ほんの少し人目を浴びていた。人の視線が気まずくて、向かう先の建物を見ると、青の立て看板が見えた。
 
「──ブルー・バード?」
「そうさ!」
 隣の建物は、これと言って目立ったところのない、一般家屋のような見た目だった。ただ、真っ青な立て看板に黒いペンキで、『ブルー・バード』とだけ書かれていて、それが妙に印象的だった。
 ボスが入り口の扉を力強く押し開ける。
 
「やあ、こんにちは」
 すると、ピンク色の蛍光色が視界に飛び込んできた。
「わぁっ、ぼす! こんにちはー!」
「うおわ!」
 入った途端に、桃色髪の小さな女の子がボスに向かって飛び込んできたのだ。
 外から見た時はそう大きな施設には見えなかったのだが、意外と広さのあるリビングの光景が広がっていた。
 少女のまん丸い目が、眼鏡の少年を見つめていた。
 
「……あなたたち、だれー?」
「し、シエルです……。えと、この人はメアリ」
 斜め後ろから、メアリが「こんにちは」と会釈をした。
 
「そっか! あたし、ミサだよ! みんな、どこからきたの?」
「え、ええっと。こないだ、外国から引っ越してきたばかりなんだ」
 桃髪少女は小首を傾げた。
「それで、みんなここにきたの?」
「はえ!? あ、そうなるのかな……?」
 話が見えない。
 シエルがオドオドと対応していると、奥から幼い少年の声が聞こえた。
 
「こら! 待ちなよミサ、その人が困ってるだろ」
「ホムラ! だって、孤児院のあたらしい人だよ!」
 
(……孤児院?)
 その単語がシエルの頭に引っかかった。
「ごめん、少しだけここを紹介するから、二階を借りるね」
 結社のボスが、施設の大人に声を掛けている。
「ええ、ええ! どうぞ!」
 椅子に座っていた黒髪の男性は立ち上がって、ひとつ大きくお辞儀をした。
 
 
 
 彼女らに連れられるまま、施設の二階へと上がると、開けた階段の踊り場があって、リビングや奥の庭先が見渡せるようになっていた。
 見れば外の庭にも子どもが何人か遊んでいて、広々とした遊び場のような印象を受けた。
 
「ココが、孤児院?」
 シエルはうっすら混乱していた。
 今見ている光景と、孤児、という言葉がうまく結びつかない。彼らはなんとなく、どこの家庭にもいるような、普通の子どもに見えたから。
「こんな場所もあるんですね」
「そうだな。ここは私が運営してるんだ」
「……え」
 少年は目を見開いた。
 ギルドのボス業と孤児院の運営って、両立できるものなのか?
「うん。まあ、慈善活動だね。身寄りのなくなった子を拾って、かくまう場所だ。ここが彼らの新しい居場所になることを願ってね」
「すごいなぁ。立派ですね……」
 少年は素直に感心した。思いついても、凡人はやらないようなことだ。
 
「さて。本題だが」
 ボスは、少年たちに向き直った。
「きみも、ここで過ごしてもいいんだよ」
 瞬間、時が止まったような気がした。
 
「きみたちには選ぶ権利がある。一旦空き家を紹介はしたが、そこで生きるも、こういった場所で友と暮らすこともできる。なんなら、いつ帝国向こうに帰ってもいいんだ」
 息を吸う。
「お言葉ですが……」
 迷ったあと、ボスの目をまっすぐ見て、告げた。
 
「僕らは、〈逃亡者〉です。帰る場所なんて、ありませんよ」
「──〈逃亡者〉?」
 ボスが僅かに目を見開いた。姉の焦る声が聞こえたが、しかし少年は振り返れなかった。結社のボスのアルトの声に、驚きの色が浮かんでいるのを感じ取って、少年は秘書にも問いかけた。
「あの。聞いたことありますか?」
「わるいけれど、わたくしは、存じない言葉ですわね。よければ、詳しく聞かせてくださる?」
「…………」
 彼女らの返答に少年は俯いたが、ややあって、意を決して前を向いた。
 
「〈逃亡者〉――ガルニア帝国の法なんです。帝国民は君主の許可なく、国外に出てはならない」
 
 世界大戦が始まって七年。
 開戦当初、徴兵制のある帝国を抜け出そうとする者が後を絶たなかったことから、ガルニア帝国は、逃げ出した者を〈逃亡者〉として指名手配した。軍に捕まった者は、現在も牢獄の中に囚われているのだという。
 シエルとメアリも同様に、紛争のやまない本国を抜け出して、ここまで来た。
 帝国に帰れば、逃亡者と、ふたりはそう罵られ、捕まってしまうことだろう。
 
「……そうよ。帝国を出たから、私たちはもう〈逃亡者〉よ。帰ったら捕まる。見つかっても捕まる身だわ。そんなことも知らずに、連れ出してくれたの?」
 メアリが呆れたような、がっかりしたような表情で告げる。
 
「そう……ごめんなさいね。二人とも。わたくしどもも、無知だったわ」
 レイミールが長いまつげを伏せて、頷く。
 対してボスはというと、こちらを一瞥しただけだ。彼女は懐に入れていた手帳を片手に、羽ペンを手にして何やら書き留め始める。
 秘書が問い掛けた。
 
「逃亡者のお二方は、あちらには帰れない。それは、事実なのね?」
「本当です」
「そして、それを望んだことも?」
「はい」
「これは……。一大事だわね」
 レイミールがチラリとボスの横顔を見遣る。
 困惑の表情を浮かべる秘書を尻目に、ボスは、手帳をパシッと畳んで言った。
 
「私がなんとかしよう」
「なんとかって、どうやって?」
 言ってしまえば、帝国側の追手に見つかった瞬間、お終いなのだ。向こうで騒ぎになっていれば、素性はある程度割れているだろう。見つかるのすらも時間の問題に思える
 シエルの考えを知ってか知らずか、ボスはしたり顔で続けた。
 
「なに、要は、君たちの出自がわからなければいい。このあと手配しておくよ」
「あっ、ハイ……」
 一体どうする気なんだろう?
 怖いので、シエルはひとまず訊かないでおくことにした。
 
「それで? 孤児院参加の件はいいのかな?」
「あ、はい……。僕だけっていうのも、気が引けるので」
「そうかい。正直、ここに入ってくれたなら、一番楽だったんだがね……。きみたちの身の上は、少々特殊すぎる」
「だったら……」
 言いかけて、シエルは口をつぐんだ。
 最初からここだけを紹介すればよかったのに。そうしたらきっと、僕に選択の余地はなかった。
 
「だが、きみ自身の希望なら話は別だ。私はきみたちの選択の、背中を押すことしか出来ない」
 少年は驚いて、彼女の顔を見た。
 ボスから返ってきたのが、自身の考えを反転させたような言葉だったからだ。
 
「きみは、戦争孤児だ。しかし、きみはもう幼くない。そうだろう?」
 
 
 少年の隣。メアリは前を見つめていた。
 孤児院一階のリビングで賑やかに遊んでいる子どもたちを見て、彼女は手を握りしめた。
 
 悔しいけれど、結社のボスの、言うとおりだ。
 もしも環境が違えば。歳が違えば、なにかひとつが違えば。
 シエルも、こういう場所の一員になっていたのかも知れない。
 
「そんなに珍しい?」
 声をかけたのは、レイミールだった。
「え……」
「ずいぶん、見入ってる様子だったから」
「そう、ね。珍しい、のかもしれないわ。向こうにも〈教会〉の日曜学級はあったけれど、こんな施設はなかったから……」
 
「そちらでは、孤児は、どうしていたの?」
「近所の家庭に入ったりとか、人によっては、軍に従事する子もいたわ」
 シエルは前者だ。
 お互いの父親同士がいとこだったからと、ある日からひょっこりと家にやってきた。
 小さな村では、顔馴染みの友だちにも近かったけれど、一対一で言葉を交わしたのは初めてで。当時のシエルは、まるで寒空の下から生まれてきた、みたいな儚げな印象だった。
 暫くは申し訳なさそうに、縮こまっていたのをよく覚えている。
 
「孤児がこんなに大勢いるなんて……、考えたこともなかった」
 
 
 メアリの言葉に、シエルも思わず無言で頷いた。
 ここだけで何人もいるのだから、世界中にはもっともっと大勢の、身寄りのない子どもたちが居るのだろう。それこそ、自分たちのような、行き場のない人間だって、大勢いるのだろう。
 ひどい世の中だ、と思う。
 だけど──〈結社〉の人は彼らを助けられるという。
 
「ボス」
 少年の唇が呟いた。
「僕、〈結社〉に入ります」
「それは。ありがたい言葉だね」
 結社のボスはただひとつ、首肯する。
 
 メアリは、そのやりとりを、驚いたように見つめていた。彼女は咄嗟に口を開き、何かを言おうとしたのだ。けれど、彼女はその口元を引き結んで、ふっと微笑んだ。
「……シエルらしいわね」
「では、早速試験を……ん?」
 ボスが小さな女の子に手を引かれている。先ほどのミサだ。
「おや。ミサ、みんなとの遊びはどうしたんだい?」
「ぼす! ぼすも一緒に遊ぼうよ! 今日は、お洋服やさんごっこがいいな!」
 ボスは参った、というように後頭部に片手をやった。
 
「いやあ、実は今日はこのあと、大切な用事があってね」
「ヤダヤダ、まえもそう言ってたじゃない!」
「あー、……そうだったかな? なら、少しだけ参加しようか」
「やったぁ! じゃあ。ぼすは、お洋服をなでる人ね!」
「な……撫でる人がいるんだね」
 
 そんなのいないだろ、とか、いるもん、ちゃんとお店やさんで見たんだもの! などと目の前で喧嘩を始めた子ども二人を、まあまあと嗜めるボスの後ろ姿が見える。
 
「捕まっちゃったわね」
「あはは……」
 秘書の苦笑に、釣られてシエルも苦笑した。結社のボスすらも、ちびっこの圧力の前には形無しのようである。
 レイミールはボスに向かって声をかけた。
 
「ねえ、わたくし、例の試験・・・・を担当してもいいのかしら?」
「あぁ、うん。頼む! 先行っててくれ! すぐに追いつく」
「イエス・ボス。了解しました」
 
 金髪秘書は、シエルたちを振り返って言った。
「さ。歓迎代わりと言ってはなんだけど……ふたりには、楽しい訓練をつけてさしあげるわ。ついていらっしゃい!」