序章『僕の選んだ道』
“第6話 孤児院”
肌寒い風のすさぶ、灰色の空の下。
時刻はちょうど真昼、人通りの波が少し引いたズネアータの大通りをシエルたちは歩いてゆく。
結社を出る際に、ファクターは「私は急ぎの依頼があるんでな」と手を振って、逆側の道に去っていった。まるで春の風のような人だ、と、シエルは思う。
薄紅色の花びらが舞う路傍で、〈結社〉のボスの率いる一行は、ほんの少し人目を浴びていた。人の視線が気まずくて、向かう先の建物を見ると、青の立て看板が見えた。
「──ブルー・バード?」
「そうさ!」
隣の建物は、これと言って目立ったところのない、一般家屋のような見た目だった。ただ、真っ青な立て看板に黒いペンキで、『ブルー・バード』とだけ書かれていて、それが妙に印象的だった。
ボスが入り口の扉を力強く押し開ける。
「やあ、こんにちは」
すると、ピンク色の蛍光色が視界に飛び込んできた。
「わぁっ、ぼす! こんにちはー!」
「うおわ!」
入った途端に、桃色髪の小さな女の子がボスに向かって飛び込んできたのだ。
外から見た時はそう大きな施設には見えなかったのだが、意外と広さのあるリビングの光景が広がっていた。
少女のまん丸い目が、眼鏡の少年を見つめていた。
「……あなたたち、だれー?」
「し、シエルです……。えと、この人はメアリ」
斜め後ろから、メアリが「こんにちは」と会釈をした。
「そっか! あたし、ミサだよ! みんな、どこからきたの?」
「え、ええっと。こないだ、外国からこっちに来たばかりなんだ」
桃髪少女は小首を傾げた。
「それで、みんなここにきたの?」
「え!? あぁー、そうなるのかな……?」
話が見えない。
シエルがオドオドと対応していると、奥から幼い少年の声が聞こえた。
「こら! ミサ、その人が困ってるだろ!」
「ホムラ! だって、孤児院のあたらしい人だよ!」
(……孤児院?)
その単語がシエルの頭に引っかかった。
「サナリ。少しだけここを紹介するから、二階を借りるね」
結社のボスが、施設の大人に声を掛けている。
「ええ、ええ! ご自由にどうぞ」
椅子に座っていた黒髪の男性は立ち上がって、ひとつ大きくお辞儀をした。
彼女らに連れられるまま、施設の二階へと上がると、開けた階段の踊り場があって、リビングや奥の庭先が見渡せるようになっていた。
見れば外の庭にも子どもが何人か遊んでいて、広々とした遊び場のような印象を受けた。
「こんな場所も、あるんだ……」
今見ている光景と、孤児、という言葉がうまく結びつかない。彼らはなんとなく、どこの家庭にもいるような、普通の子どもに見えたから。
シエルのつぶやきにボスが答えた。
「〈ブルー・バード〉は私が運営している孤児院だ」
「!」
少年は静かに目を見開いた。
ギルドのボス業と孤児院の運営って、両立できるものなのか?
「まあ、慈善活動だね。身寄りをなくした子を、守る場所さ。──きみたちも、ここで過ごしていいんだよ」
「……え?」
瞬間、時が止まったような気がした。
「もちろん、ここじゃなくてもいい。近くの空き家を紹介してもいいし……もし帰りたくなったのなら、帝国に戻るのもまた、きみたちの自由だ」
メアリが腰に手を当てながら言った。
「住む場所の話? ……いえ、ごめんなさい。ちょっと、聞き捨てならないわ。今『向こうに戻ってもいい』って言ったかしら?」
シエルは語気を強める姉を引き留めた。
「メアリ、待って。……言わなきゃ」
「シエル……!」
少年は息を吸って、言葉を紡ぐ。
「ボス。お言葉ですが……」
しばし迷ったあと、ボスの目をまっすぐ見て、シエルは告げた。
「僕たちは、〈逃亡者〉なんです」
「──〈逃亡者〉?」
ボスが僅かに目を見開いた。結社のボスのアルトの声に、驚きの色が浮かんでいるのを感じて、少年は秘書にも問いかけた。
「あの。聞いたことありますか?」
「わるいけれど、聞き慣れない言葉ですわね。よければ、詳しく聞かせてくださる?」
「…………」
彼女らの返答に少年は俯いたが、ややあって、意を決して前を向いた。
「〈逃亡者〉――ガルニア帝国の法なんです。帝国民は君主の許可なく、国外に出てはならない」
大戦の開戦当初。
徴兵制のある帝国を抜け出そうとする者が後を絶たなかったことから、ガルニア帝国は、逃げ出した者を〈逃亡者〉として指名手配した。軍に捕まった者は、現在も牢獄の中に囚われているのだという。
シエルとメアリも同様に、紛争のやまない本国を抜け出して、ここまで来た。
帝国に帰れば、逃亡者と、ふたりは罵られ、捕まってしまうことだろう。
「帝国じゃ、国から逃げた人間は捕まる。もし帰ったら牢獄行きです。……僕らに帰る場所なんて、ないんですよ」
メアリは鋭い視線で結社のボスを刺した。
対して、ボス本人はというと、静かにこちらを一瞥しただけだった。彼女は懐から取り出した手帳を片手に取り、羽ペンで何やら書き留め始める。
「そう……ごめんなさいね。ふたりとも。考えなしだったのかもしれないわね」
秘書が長いまつげを伏せて、俯く。
「あ……違うんです! そもそも、僕がお願いしたことです。むしろ外に出たかったんですから」
「一大事だわね。そそのかした誰かさんのおかげで」
レイミールがチラリとボスの横顔を見遣る。
困惑の表情を浮かべる秘書を尻目に、組織の長たる彼女はボソリと呟いた。
「……なるほど。なら、君たちが追われる理由を消せばいいんだな」
ボスは、手帳をパシッと畳んで言った。
「私がなんとかしよう」
「なんとかって、どうやって?」
言ってしまえば、帝国側の追手に見つかった瞬間、お終いなのだ。向こうで騒ぎになっていれば、素性はある程度割れているだろう。見つかるのすらも時間の問題に思える。
シエルの考えを知ってか知らずか、ボスはしたり顔で続けた。
「なに、要は『君たちの出自が全くわからなければいい』ワケだ。このあと手配しておくよ」
「あっ、ハイ……」
一体どうする気なんだろう?
怖いので、シエルはひとまず訊かないでおくことにした。
「心配はいらない。その上で……君たちには、選ぶ権利がある」
「選ぶ?」
「まずは、ここでの生き方を。君たちは、孤児院で暮らしてもいいし、空き家に住むのもいい。君自身が居たいと思うホームを選ぶんだ」
ある意味究極の二択である。
孤児院だったら、生活で困るようなことは少ないだろう。いやでも、僕は人見知りだから空き家がいいかもしれない。その場合、一部の家事が壊滅的になるかもしれないけど……。しかし。
「そんなこと、こんな急には……」
最初からどちらかひとつを提示してくれればよかったのに。そうしたらきっと、僕にこんなに悩む余地はなかった。
「人生は選択の連続だ。その都度うんと頭を悩ませるのも、今を生きる人間の大切な仕事だと思うよ」
少年は驚いて、彼女の顔を見た。
ボスから返ってきたのが、自身の考えを反転させたような言葉だったからだ。
「きみは、戦争孤児だ。しかし、きみはもう幼くない。そうだろう?」
少年の隣。メアリは前を見つめていた。
孤児院一階のリビングルームで賑やかに遊んでいる子どもたちを見て、彼女は手を握りしめた。
──悔しいけれど、結社のボスの、言うとおりだ。
シエルを守るためにとここまで付いてきたけれど、私だって、まだ満足に自立できていないのだ。金銭的にも、精神的にも。何より大切な弟を守るには、何もかもが足りていない。
それに比べて、ボスは自身の力で〈結社〉と〈孤児院〉を運営し、現に多くの人を助けている。彼女のやっていることは本当に立派なことだと、メアリは思う。
「そんなに珍しい?」
隣から、秘書レイミールの声が聞こえた。
「え……」
「ずいぶん、見入ってる様子だったから」
言われて、改めてリビングを見遣る。
室内のアスレチックに登る子もいれば、積み木をしている子たちもいる。本を読んでいる子も。みんなのびのびと遊んでいるのが、遠目にも見てとれた。
「そう、ね。珍しい、のかもしれないわ。向こうにも〈教会〉の日曜学級はあったけれど、こんな施設はなかったから……」
今は自分でも意外なほど、正直に答えることができた。
「そちらでは、孤児は、どうしていたの?」
「近所の家庭に入ったりとか、人によっては、軍に従事する子もいたわ」
シエルは、前者だった。
お互いの父親同士がいとこだったからと、ある日からひょっこりと家にやってきた。
小さな村では、顔馴染みの友だちにも近かったけれど、一対一で言葉を交わしたのは初めてで。当時のシエルは、まるで寒空の下から生まれてきた、みたいな儚げな印象だった。
暫くは申し訳なさそうに、縮こまっていたのをよく覚えている。
「孤児がこんなに大勢いるなんて……、考えたこともなかった」
メアリの言葉に、シエルも思わず無言で頷いた。
ここだけで何人もいるのだから、世界中にはもっともっと大勢の、身寄りのない子どもたちが居るのだろう。それこそ、自分たちのような、行き場のない人間だって、大勢いるのだろう。
ひどい世の中だ、と思う。
だけど──〈結社〉の人は彼らをこんな風に助けられるのだという。
「ボス。──よければ、僕に借り家をください。一人暮らしします!」
少年・シエルはまじめな瞳で言った。
「それと。もし可能なら、僕は〈孤児院〉じゃなく、〈結社〉に入りたいです!!」
「〈結社〉に? ……本気で言っているのか?」
「はい! 僕は、少しですが……戦えます!! ……す、すごく……頑張ります! なのでぜひ、あなたのもとで働かせてください!」
「それは。ありがたい言葉だね」
結社のボスはただひとつ、首肯する。
メアリは、そのやりとりを、驚いたように見つめていた。彼女は咄嗟に口を開き、何かを言おうとしたのだ。けれど、彼女はその口元を引き結んで、ふっと微笑んだ。
「……私もそうするわ。弟ひとりに頑張らせるわけにはいかないもの」
「では、早速試験を……ん?」
ボスが小さな女の子に手を引かれている。先ほどのミサだ。
「おや。ミサ、みんなとの遊びはどうしたんだい?」
「ぼす! ぼすも一緒に遊ぼうよ! 今日は、お洋服やさんごっこがいいな!」
ボスは参った、というように後頭部に片手をやった。
「いやあ、実は今日はこのあと、大切な用事があってね」
「ヤダヤダ、まえもそう言ってたじゃない!」
「あー、……そうだったかな? なら、少しだけ参加しようか」
「やったぁ! じゃあ。ぼすは、お洋服をなでる人ね!」
「な……撫でる人がいるんだね」
そんなのいないだろ、とか、いるもん、ちゃんとお店やさんで見たんだもの! などと目の前で喧嘩を始めた子ども二人を、まあまあと嗜めるボスの後ろ姿が見える。
「捕まっちゃったわね」
「あはは……」
秘書の苦笑に、釣られてシエルも苦笑した。結社のボスすらも、ちびっこの圧力の前には形無しのようである。
レイミールはボスに向かって声をかけた。
「ねえ、わたくし、例の試験を担当してもいいのかしら?」
「あぁ、うん。頼む! 先行っててくれ! すぐに追いつく」
「イエス・ボス。了解しました」
金髪秘書は、シエルたちを振り返って言った。
「さ。歓迎代わりと言ってはなんだけど……ふたりには、楽しい訓練をつけてさしあげるわ。ついていらっしゃい!」