夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


 肌寒い風のすさぶ、灰色の空の下。
 時刻はちょうど真昼、人通りの波が少し引いたズネアータの大通りをシエルたちは歩いてゆく。
 結社を出る際に、ファクターは「私は急ぎの依頼があるんでな」と手を振って、逆側の道に去っていった。まるで春の風のような人だ、と、シエルは思う。
 薄紅色の花びらが舞う路傍で、〈結社〉のボスの率いる一行は、ほんの少し人目を浴びていた。人の視線が気まずくて、向かう先の建物を見ると、青の立て看板が見えた。
 
「──ブルー・バード?」
「そうさ!」
 隣の建物は、これと言って目立ったところのない、一般家屋のような見た目だった。ただ、真っ青な立て看板に黒いペンキで、『ブルー・バード』とだけ書かれていて、それが妙に印象的だった。
 ボスが入り口の扉を力強く押し開ける。
 
「やあ、こんにちは」
 すると、ピンク色の蛍光色が視界に飛び込んできた。
「わぁっ、ぼす! こんにちはー!」
「うおわ!」
 入った途端に、桃色髪の小さな女の子がボスに向かって飛び込んできたのだ。
 外から見た時はそう大きな施設には見えなかったのだが、意外と広さのあるリビングの光景が広がっていた。
 少女のまん丸い目が、眼鏡の少年を見つめていた。
 
「……あなたたち、だれー?」
「し、シエルです……。えと、この人はメアリ」
 斜め後ろから、メアリが「こんにちは」と会釈をした。
 
「そっか! あたし、ミサだよ! みんな、どこからきたの?」
「え、ええっと。こないだ、外国からこっちに来たばかりなんだ」
 桃髪少女は小首を傾げた。
「それで、みんなここにきたの?」
「え!? あぁー、そうなるのかな……?」
 話が見えない。
 シエルがオドオドと対応していると、奥から幼い少年の声が聞こえた。
 
「こら! ミサ、その人が困ってるだろ!」
「ホムラ! だって、孤児院のあたらしい人だよ!」
 
(……孤児院?)
 シエルは頭に引っかかりを覚えた。
 
「サナリ。少しだけここを紹介するから、二階を借りるね」
 結社のボスが、施設の大人に声を掛けている。
「ええ、ええ! ご自由にどうぞ」
 椅子に座っていた黒髪の男性は立ち上がって、ひとつ大きくお辞儀をした。
 
 彼女らに連れられるまま、施設の二階へと上がる。
 開けた階段の踊り場があって、リビングや奥の庭先が見渡せるようになっていた。
 見れば外の庭にも子どもが何人か遊んでいて、広々とした遊び場のような印象を受ける。
 
「こんな場所もあるんだ」
 
 今見ている光景と、孤児、という言葉がうまく結びつかない。彼らはなんとなく、どこの家庭にもいるような、普通の子どもに見えたから。
 シエルのつぶやきにボスが答えた。
 
「ああ。〈結社〉設立初期からの取り組みだ。ブルー・バードは、私が運営している孤児院だからね」
「!」
 
 少年は静かに目を見開いた。演説でそんなことを言っていた気がする。
 
「まあ、慈善活動だね。身寄りをなくした子を、守る場所さ。──君たちも、ここで過ごしてもいいんだよ」
「……え?」
 
 瞬間、時が止まったような気がした。
 
「まずは、住処を決めようじゃないか。この孤児院で暮らしてもいいし、空き家に住むのもいい。どちらでも私が手配しよう」
 
 ある意味究極の二択である。
 孤児院だったら、生活で困るようなことは少ないだろう。いやでも、僕は人見知りだから空き家がいいかもしれない。その場合、一部の家事が壊滅的になるかもしれないけど……。しかし。
 
「そんなこと、急に……」
 言いかけて、シエルは理解した。
 ボスはおそらく、〈結社〉の活動を見せると同時に住まいの提案をしたくて、ここに連れてきたのだ。
 
「……うーん」
 最初からどちらかひとつを提示してくれればよかったのに。そうしたらきっと、僕にこんなに悩む余地はなかった。
 
「人生は選択の連続だ。その都度うんと頭を悩ませるのも、今を生きる人間の大切な仕事だと思うよ」
 少年は彼女の顔を見た。
 驚いた。ボスから返ってきたのが、自身の考えを反転させたような言葉だったからだ。
 
「きみは、戦争孤児だ。しかし、きみはもう幼くない。そうだろう?」
 
 
 少年の隣。メアリは前を見つめていた。
 孤児院一階のリビングルームで賑やかに遊んでいる子どもたちを見て、彼女は手を握りしめた。
 
 ──悔しいけれど、結社のボスの、言うとおりだ。
 シエルを守るためにとここまで付いてきたけれど、私だって、まだ満足に自立できていないのだ。金銭的にも、精神的にも。何より大切な弟を守るには、何もかもが足りていない。
 それに比べて、ボスは自身の力で〈結社〉と〈孤児院〉を運営し、現に多くの人を助けている。彼女のやっていることは本当に立派なことだと、メアリは思う。
 
「そんなに珍しい?」
 隣から、秘書レイミールの声が聞こえた。
「え……」
「ずいぶん、見入ってる様子だったから」
 言われて、改めてリビングを見遣る。
 室内のアスレチックに登る子もいれば、積み木をしている子たちもいる。本を読んでいる子も。みんなのびのびと遊んでいるのが、遠目にも見てとれた。
 
「そう、ね。珍しい、のかもしれないわ。向こうにも〈教会〉の日曜学級はあったけれど、こんな施設はなかったから……」
 今は自分でも意外なほど、正直に答えることができた。
「そちらでは、孤児は、どうしていたの?」
「近所の家庭に入ったりとか、人によっては、軍に従事する子もいたわ」
 
 シエルは、前者だった。
 お互いの父親同士がいとこだったからと、ある日からひょっこりと家にやってきた。
 小さな村では、顔馴染みの友だちにも近かったけれど、一対一で言葉を交わしたのは初めてで。当時のシエルは、まるで寒空の下から生まれてきた、みたいな儚げな印象だった。
 暫くは申し訳なさそうに、縮こまっていたのをよく覚えている。
 
「孤児がこんなに大勢いるなんて……、考えたこともなかった」
 
 
 メアリの言葉に、シエルも思わず無言で頷いた。
 
 ここだけで何人もいるのだから、世界中にはもっともっと大勢の、身寄りのない子どもたちが居るのだろう。それこそ、自分たちのような、行き場のない人間だって、大勢いるのだろう。
 ひどい世の中だ、と思う。
 だけど──〈結社〉の人は、彼らをこんな風に助けられるのだという。
 
「ボス。──よければ、僕に借り家をください。一人暮らしします!」
 少年・シエルはまじめな瞳で言った。
「それから。僕を、〈結社〉に置いてほしいんです」
 
「〈結社〉に? ……本気で言っているのか?」
「メアリも、僕も戦えます。いつか、兵になる日が来るかもしれないと、護身術程度は鍛えてきました。必ず、あなたがたの、役に立ちますから、ですから……」
 
 メアリは、弟の様子を、驚いたように見つめていた。彼女は咄嗟に口を開き、何かを言おうとしたのだ。けれど、彼女はその口元を引き結んで、ふっと微笑んだ。
 
「……私もそうする。弟ひとりに頑張らせるわけにはいかないもの」
 
 結社のボスも首肯する。
 
「それはそれは……大丈夫。断る理由もないよ」
「じゃあ……!」
「ありがたい言葉だ。ぜひ歓迎しよう。では早速試験を……ん?」
 
 ボスが小さな女の子に手を引かれている。先ほどのミサだ。
 
「おや。ミサ、みんなとの遊びはどうしたんだい?」
「ぼす! ぼすも一緒に遊ぼうよ! 今日は、お洋服やさんごっこがいいな!」
 ボスは参った、というように後頭部に片手をやった。
 
「いやあ、実は今日はこのあと、大切な用事があってね」
「ヤダヤダ、まえもそう言ってたじゃない!」
「あー、……そうだったかな? なら、少しだけ参加しようか」
「やったぁ! じゃあ。ぼすは、お洋服をなでる人ね!」
「な……撫でる人がいるんだね」
 
 そんなのいないだろ、とか、いるもん、ちゃんとお店やさんで見たんだもの! などと目の前で喧嘩を始めた子ども二人を、まあまあと嗜めるボスの後ろ姿が見える。
 
「捕まっちゃったわね」
「あはは……」
 秘書の苦笑に、釣られてシエルも苦笑した。結社のボスすらも、ちびっこの圧力の前には形無しのようである。
 レイミールはボスに向かって声をかけた。
 
「ねえ、わたくし、例の試験・・・・を担当してもいいのかしら?」
「あぁ、うん。頼む! 先行っててくれ! すぐに追いつく」
「イエス・ボス。了解しました」
 
 金髪秘書は、シエルたちを振り返って言った。
 
「さ。歓迎代わりと言ってはなんだけど……ふたりには、楽しい訓練をつけてさしあげるわ。ついていらっしゃい!」
「はい!」
「よろしく、レイさん!」

 





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