DR+20


序章『僕の選んだ道』


 
「ほーい」
 律儀なノックの音にファクターが答えた。
「失礼!」
 紺色のロングコートの立ち姿。
 開いたドアの向こうに立っていたのは、上背の高い人だった。先程壇上に立っていた黒髪の女性だ。
 少年は思わず席を立った。
 
「け、結社のボス!?」
「いかにも」
 ボスは赤い目を細めて、優美に笑んだ。
 斜め後ろに小柄な女性が控えていて、ぺこりと会釈していた。小綺麗なジャケットとタイトスカート姿。肩口で切り揃えられた金髪が揺れる。
 
 彼女らの圧倒的“偉い人”感に、少年は、
「えっと、あ、あわわわ……」
 ただ、ぺこぺこ頭を下げてテンパっていた。
 前の席の姉が、椅子の背もたれを引きながら、弟を宥めるような口調で言う。
「シエル、落ち着いて」
 姉は自身の手を重ねると、相手へ深々とお辞儀をした。
 
「初めまして。メアリ・カラーンと申します。うちの義弟おとうとがお世話になっております」
「し、シエル! シエル・フィニエルですっ!」
 続けて弟もまた頭を下げる。
 
「よせ。いい、顔を上げてくれ」
 ボスは少年たちを見て、手で軽く断るジェスチャーをした。
「堅苦しいのは得意じゃないんだ」
「そ、そうなんですね」
 そうは見えなかったけどなあ。
 シエルはそんな感想を抱いた。
 
 隣の金髪の女性が、長身の彼女を手のひらで示す。
「改めて、こちらがボス。わたくしはこの人の秘書、レイミール・フォン・サラリアと申しますわ」
「レイミール……、さん?」
 少年は首を傾げた。ガルニア帝国では聞き慣れない響きだったからだ。
「よければ、レイ、と読んで頂戴な」
 名前、ちょっと長いでしょ? とにこりと微笑みかける彼女。愛称のようなものかと、納得したシエルは何度か頷いた。
 
「じゃあ、レイさんですね!」
「ええ、よろしく。シエルくん、メアリちゃん」
「よろしくお願いします」
 秘書に会釈をした少年が、ボスの方に視線をやった。
 
「あっ。あのー……」
「うん?」
 シエルにはひとつ、気になって仕方ないことがあった。
 眼鏡越し、エメラルドグリーンの瞳がギルドの長を見つめる。
 
「失礼でなければ、ボスのお名前も伺っていいでしょうか?」
 ここに来る前から、ずっと、考えていたことだった。
 僕らをあの軍事主義の帝国から、船で救い出してくれた恩人の所属するギルドなのだから、それだけで抱えきれないほどの恩がある。ならば、まずは彼らのことをよく知らねばならないと。
 
「そういえば、まだだったね」
 黒髪の女性は自身の手を打った。
 一歩前に出て、ふたりの前に立つと、
 
「私はボス。“結社のボス”だ、よろしく」
 
 そう言って、彼女から握手を求めてきた。
「ボス?」
「名前、無いんだ」
 クスッとはにかんだ彼女に対して、それ以上は聞くことが出来なかった。
 
 ──ギルドの長が、名無し?
 そんなことがあるのか。
 
「わ、わかりました。よろしくお願いします」
 シエルが握手に応じると、彼女も両手でギュッと一度握り返してくれる。
「君も」
「……ええ」
 促され、メアリはそろりと細い右手を出したが、ボスに掴まれた手をぶんぶん上下に振られて、驚いていた。
 
「ひゃっ!」
「改めて、よろしくね!」
 
 ニッコリと笑うボス。
 クールな見た目に反して、意外とフランクな感じのする人だ。
 その様子を見て、シエルはようやっと思い出した。
 
「もしかして、貴女。『向こう』でフードを被っていた人じゃないですか?」
 帝国の船の前で僕と握手をしてくれた、あの人の仕草と、完全に一致している。
 
「おや。ばれていたか」
 言われて、彼女はニヤリと口角を上げた。
「ばれていたかって……」
 シエルはうっすら冷や汗をかいた。
 
 ──僕らを助けたのは、組織のボス、張本人だったのか!
 
「……なら、会ったときに、そう言いなさいよ!」
 メアリが思わず突っ込むも、ボスはくつくつと笑っていた。
 
「いやあ。こういうのはサプライズのほうが楽しいだろう? だから、つい……」
「つい、って問題じゃないわ!」
「こういう人なのよ、ボスは」
 ごめんなさいね、と秘書・レイミールが微笑む。
 その向かいで、ファクターはお盆を片手によっこらしょと席を立った。
 
「……感動の対面はいいが、遅かったな、お前さんら。やれ歓迎がなんだ、と息巻いておったわりに……」
 ボスが机にちらりと視線をやる。
「だがしかし。茶を振る舞うには、ちょうどよい時間だったみたいだね?」
「あーあー。お陰様でな」
 笑顔のボスと対象的に、無愛想な彼は自身の首を揉みながら息を吐いた。
 レイミールが肩をすくめながらシエルたちに言う。
 
「ふたりとも。よかったらゆっくりお飲みになって。折角のお茶が冷めてしまうわ」
「あ、はい! すみません!」
「そう、ね」
 シエルがひと息に茶をあおる。
 メアリは少し迷ってから席に腰掛け、ふーっと冷ましながら、お茶に少しずつ口を付け始めた。猫舌である彼女が飲むのは何口か掛かったが、結社の面々はそっと待っていてくれた。
 
「レイミール、いいよね?」
「……止めないわ。アナタがそうしたいのなら」
 ボスが秘書へ耳打ちする。小柄な秘書は確かに頷いて。
 首肯したボスは少し屈んで、ふたりに語りかけた。
 
「ところで、きみたちに見せたいものがあるんだ。付いてきてくれないか?」
「見せたいもの、とは?」
 メアリが不安げに問いを返すと、結社のボスはんー、と思案声を漏らして返答した。
 
「もの、というより……場所と、いうべきかな?」
 なんとも遠回しな返答である。
 ワケがあるのだろう、と感じたシエルは彼女に向かって控えめに言った。
 
「僕は全然、大丈夫ですけど……」
「シエルが行くなら、私も」
「では、行こうか!」
 少年たちの同意を受けた声の主が踵を返す。
 イエス・ボス、と了承を返した金髪の女性が客室の出口を示した。
 
「すぐそこなのよ。の建物なの」