DR+20


序章『僕らの選んだ道』


「──入れ!」
 後方のドアが開いた。
 ヒール靴の音を鳴らして入ってきたのは、小柄な女性だった。半身を振り返り、後ろ手に丁寧にドアを閉じている。
 
「アラ。もう来ていたのね」
 
 振り向きざま、肩口で切りそろえられた金髪が揺れる。鮮やかな碧眼が、こちらを見た。
「レイミールよ。丁度いいところに」
 来てくれて助かったぞ、とボスが言う。その隣で、話を遮られたメアリが、むむむと解せない顔をしている。
 ファクターが気だるげに首を捻りながら言った。
「レイ。私は依頼があるのだ。あとは、頼んでいいな?」
「はいはい、お役交代ね。行ってらっしゃい」
 小柄な女性が手を振ると、ファクターは風のようにさっさと出て行った。
 女性がボスへと目配せをする。
「じゃ、始めるわね」
 ボスがひとつ、首肯した。
 金髪女性の、美しい碧眼がこちらを見る。
「ボスの秘書です。今から、わたくしが面談を担当させていただくわ」
「面談?」
「どうぞ。お掛けになって」
 女性の真っ白い手が指し示す先は、部屋の長椅子であった。
「あ、はい。失礼します……」
 ソファの奥のほうへ入って座る。姉も会釈して、僕の隣に腰掛けた。
 向かいのソファへ腰掛けた女性は、タイトスカートのすそを沿わせ、上着の襟を正してから、向き直る。
「余り緊張せず、リラックスね」
 ニコリと笑う彼女は、もの凄く佇まいが良かった。緊張するな、という方が無理な話である。そんなことを思いつつも、シエルは頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
 長椅子に手を添えて座ってみる。
 気紛れに前を見遣れば、向かいの飾り棚に写真が幾つも飾ってあるのが見えた。
「…………」
 小さな子どもの写真が沢山と、他は仲間なんだろうか、老若男女入り乱れた集合写真がある。皆んなそれぞれ、眩しいくらいの笑顔で写っていた。
 長机の横に立ったボスが、一言。
「レイミール。私も隣に居ていいかな」
「勿論」
 ボスは同意を受けて彼女の隣に座ると、手帳を片手に、その長い脚を組んだ。
「改めまして、わたくしはレイミール・フォン・サラリアよ。よければレイ、と呼んで頂戴」
 名前、長いでしょ? と秘書が穏やかに笑っている。愛称のようなものか、と納得したシエルは二度頷いた。
「レイさん、ですね。よろしくお願いします」
 彼女はにっこりと微笑んだ。
 
「ええ。まずは……お二人のフルネームと、年齢をお伺いしてもいいかしら?」
 
 秘書に名を尋ねられ、少年はぎこちなく答えた。「はい。えと、僕は、シエル・フィニエルと言います。十七歳です」
 右隣から姉の声が聞こえた。
「メアリ・カラーン。先日、二十歳になりました」
「シエルさんと、メアリさんね。二人とも若いわね」
 姉が努めて明るい表情で、身を乗り出す。
「レイさんもお若く見えるわ!」
「アラ、嬉しいことを言ってくれるのね。そうしておいて♡」
 彼女の表情が崩れる。ちょっと嬉しそうにしてから、レイミールは真剣な眼差しで見つめて、問うた。
 
「では、早速。単刀直入に訊かせて頂くわ。二人は何故、わたくしどもと一緒に・・・来てくださったの?」

 一緒に。
 それは、帝国からこちら側に、という意味だろう。
 シエルは息を吸った。
「僕……、僕は──自分を変えたいんです!」
 そう、一番に告げる。
 なにゆえにここまで来たのか、と訊かれれば、シエルにはそれしかなかった。
「それは何故?」
「聞いたこと、ありませんか? 僕らはもう〈逃亡者〉です」
「シエル!?」
 淡々と話す少年に対し、姉が語気を強めた。
 秘書は緩く首を振った。
「悪いけれど、存じ上げないわ」
「…………」
 シエルには、それが意外で、次にどう言うべきかを思慮して言葉に詰まった。
 二人の様子を見ながら、レイミールは続けた。
「こちらでは耳慣れしないもの。良ければ、詳しく聞かせてくださる?」
 ボスも彼女と同じ感想だったのか、膝に両手を置いて、じっとこちらを見つめている。
 少年は、意を決して前を向いた。
 
「〈逃亡者〉──ガルニア帝国の法なんです。帝国民は君主の許可なく、国外に出てはならない」
 
 この世界では今、大戦が起こっている。およそ、七年も。
 開戦当初、帝国を抜け出そうとする者が後を絶たなかったことから、帝国側は、逃げ出した者を〈逃亡者〉として指名手配した。軍に捕まった者は、現在も牢獄の中に囚われているのだという。
 シエルとメアリも同様に、紛争のやまない本国を抜け出して、ここまで来た。
 帝国に帰れば、逃亡者と、シエルたちはそう罵られることだろう。
 
「だから、国の外に出られる日が来るなんて、夢にも思いませんでしたよ……」
「そうだったの。大変だったでしょう?」
 レイミールが感心したように呟く。
 万が一にも捕まったら二度と外へ出られない。それを察したような様子だった。
 しかし、シエルは今にも泣き出しそうな顔で、何度か首を振った。上手く話せなくて申し訳ない。本題は、そこではなかった。
「僕はあのまま、ガルニア帝国で死んでいく方が、嫌だった」
 秘書の女性をまっすぐに見つめて、少年は持てる限りの低い声で告げた。
 自ら国の外に出ることは許されていない。それなのに、公国兵はいつも急に攻めて来るし、帝国の軍隊は横暴で、まともに僕らを守ってくれたことなんてなかった。
 そんな生活の中で、船に乗れと言ってくれた彼女らの存在が、どれほど眩く見えたか。
「だから、僕はここに居るんです」
 少年の言葉に、メアリが小さく頷き、口を挟んだ。
「私は、彼の付き添いです。うちのシエルはまだ未成年なので」
「大丈夫ですよそんなのは……、気にしなくても」
「良くないのっ!」
 僕も今年成人なのに、メアリは心配しすぎである。シエルは内心でそう苦笑した。
「そう……」
 レイミールが長いまつげを伏せて、頷く。
 対してボスはというと、こちらを一瞥しただけだ。彼女は手帳を片手に、テーブルに設置されていた羽ペンを手にして何やら書き留め始める。
 秘書が問い掛けた。
「逃亡者のお二方は、向こうには帰れない。それは、事実なのね?」
「本当です」
「そして、それを望んだことも?」
「はい」
 シエルはどちらも即答した。
「アナタは、どう思ってるの?」
 レイミールは、隣のメアリにも話を振った。
「私は……このことは極力話さない方がいい、と思っていました。私たちは外のこと、まだ何も知らない。ボスさんたちとも、会ったばかりだし」
 姉は深刻な顔で眉根を寄せ、相手を睨みつけた。
「あなたたちが、もし悪人だったのなら……。見抜ける自信、ないもの」
「め、メアリ!」
 今度はシエルが焦る番だった。いくらなんでも、例えが直球すぎる。
 しかし、レイミールは意にも留めないようにこう言った。
「それは、わたくしどもも、同じよね?」
「同じ? なにが?」
「あの〈ガルニア帝国〉からの民間人だなんて、スパイを疑われても仕方なくってよ」
 堂々と言い放たれた言葉を前に、メアリは顔を背けた。
「それは……」
 彼女の言うとおりだ、とシエルも思った。
 帝国側に外の情報が殆ど伝わってこないのと同じように、外では、ガルニア帝国は最も謎の多い軍事国家として知られているらしい。
 言い淀むメアリに、レイミールが微笑んだ。
「わたくしたちは、同じなのよ。お互いの情報が足りない。それゆえに話し合うの」
 沈黙が落ちる。
 重苦しい空気の中、『結社の顔』である人が口を挟んだ。
 
「うん、決めたっ!」
「何ですの? ボス」
 困惑の表情を浮かべる秘書を尻目に、ボスは、手帳をパシッと畳んで言った。
 
「〈逃亡者〉諸君! こちらが無知だったとはいえ、君たちを命の危険に晒すことを、我々は『よし』としない。今後はこの私が、君たちの身の安全を保障しようではないか!」
 
「……うそ……?」
 突然の大胆発言に、メアリが口をぽかんと開けている。
 黒髪赤目の女性は、少し身を傾けて自身の左胸に手を添えた。
「日々の生活、依頼中、万が一の場合もすべて。私が責任を負おう」
「……そんなこと、出来るんです?」
 言ってしまえば、帝国側の追手に見つかった瞬間、お終いなのだ。向こうで騒ぎになっていれば、素性はある程度割れているだろう。誰か付きっきり、というわけにはいかないだろうし、保証するのは相当難しい問題に思える。
 だが、シエルの考えを知ってか知らずか、ボスはしたり顔で続けた。
「なに、要は、君たちの出自がわからなければいい。このあと手配しておくよ」

「あ、はい……?」
 一体どうする気なんだろう?
 怖いので、シエルはひとまず訊かないでおくことにした。
 
 
 
 ボスがまたメモを取り始めたのを尻目に、レイミールが少年と目線を合わせた。
「改めて、二人の出自をお伺いしてもいいかしら」
「はい。僕はガルニア帝国の村・マルスで育ちました」
「例の村は、港区に当たるの?」
「すみっこの漁村なんです。帝都とは距離がありますが、街道もあるので、丸二日もあれば向かうことはできますね」
 話し終えると、チラリと隣を見る。少年と交代で姉が話し始めた。
「左に同じく。私の朱髪あかがみと耳の長さは母譲りでして、生まれも育ちも、正真正銘、マルスです」
 レイミールが目配せをする。
「お母様がエルフ系なのね。綺麗な髪と耳ね」
「ハイ! 気に入ってます!」
 親譲りの容姿を褒められたメアリが、ふわっと笑う。その笑顔は、美しく咲く一輪の花のような愛らしさに溢れていた。
「それにアナタ、笑うととっても可愛いわ」
「あっ……」
 手で口を覆い、顔を赤くするメアリ。シエルは嬉しくなってつい、笑いが漏れていた。
「良かった。このまま仲悪かったら、どうしようかと思いましたよ」
「いいえ! 私まだ、あなたたちを信じ切った訳じゃないですからねっ!」
「ふふっ、一向に構わないわ。強情なコも好きよ? わたくし」
「うー……」
 強気な姉が震えている。レイさんには、いろんな意味で勝てないな、とシエルは思った。
「じゃ、大体のお話は聞けたかしらね。他に質問はある?」
 シエルが手を挙げた。
「あのっ! レイさん!」
「はい、どうぞ」
「僕らは村で修行をしてたのですが、実はまだまだ半人前でして……。ここでも戦闘指導って、して頂けたりしますかね?」
 それを聞いたレイミールは、少しおかしそうに笑った。
「勘のいいコね。丁度、今からその話をしたかったのよ」
「ほんとうですか!? ぜひお願いします!」
 少年が素直にお願いした、そのとき。
 
 
 
「待って!」
 ガタンと長机が音を立てる。見れば、メアリが両手をついて、立ち上がっていた。
「最後に、ひとついい?」
 メアリの目は、秘書ではなく、この執務室の長を見ていた。正義感を秘めた、きれいなレモンイエローの瞳で。
 向かいの真っ赤な瞳が、ゆらりと揺れる。
「いいぞ」
「〈結社〉って、なんなの?」
 姉の問いが落ちた。
「結社は──」
 ボスは組んだ右膝に両手を乗せた姿勢のまま、まぶたを閉じる。もう一度開かれた鋭い目は、窓の外を見ていた。彼女の唇が紡いだ言葉。
 
「この大戦を、終わらせる為のギルドだ」
 
 逃亡者たちは、絶句した。
 約七年もの間続く世界大戦──いつ終わるかなど、誰も知らないこの戦いを、彼女は『終わらせる』などと言っているのだ。
 当の本人がフッと笑った。
「ちょっとカッコつけすぎたかな?」
「そうよ」
 秘書が笑う。小柄な彼女が肩を揺らしながらこちらを見遣った。
「ただの街の自衛団だと思っておいて」
 メアリが力なくソファに腰を下ろす。
「は、はあ……」
 シエルたちはなんとか頷いた。
 僕らはもしかしたら、とても変わった人たちの手に掴まれたのかもしれない。
 立ち上がったボスが言った。
「では案内を。レイミール、任せたよ」
 イエス・ボス、と了承を返したレイミールが部屋の出口を示す。
 
「じゃあ、歓迎代わりと言ってはなんだけど……ふたりには、楽しい訓練をつけてさしあげるわ。ついていらっしゃい!」