夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


「──失礼!」
 
 客室に現れたのは、上背の高い、漆黒の髪の人だった。
 紺のロングコートが視界に入ったとたん、シエルは反射的に椅子を引いて立ち上がっていた。
 先ほど壇上にいたあの人だ。
 
「け、結社のボス!?」
「いかにも」
 
 ボスは赤い目を細めて、優美に笑んだ。
 彼女の黒を基調にしたシックなその立ち姿は、質素な客室で異様な存在感を放っている。
 シエルに続いて、メアリが立ち上がって、頭を下げた。
 
「ボスさん……、この度は、うちの弟が……」
「いい、いい。座ってくれ。ひとまず、茶でも淹れようではないか」
 
 言いながら、彼女はドカッと椅子に腰掛けた。
 彼女の後ろに、もうひとり。
 いつ入ってきたのか分からないほど静かな足取りで、小柄な女性が控えていた。
 金髪の侍女は、慣れた所作でシエルの前にティーカップを差し出した。
 
「よければ、こちら。あたたかいハーブディーをお淹れしますわ」
「あ……どうも」
 
 なかば気圧されるかたちで着席する。
 白磁の茶器に、淡い色の液体がとぷとぷと注がれていく。
 立ちのぼる湯気から、花の香りがほのかに広がった。緊張で強張っていた喉が、思わずそれを欲するのを感じる。
 
「いや。待たせてすまって、すまない。我々がここまで呼び立てたというのに……」
「まったくだぞ。人に案内役なぞ任せおってからに」
 
 低い声の主を見れば、変わらぬ白衣姿のファクターが腰に大きな茶色のポーチを下げて立っていた。
 結社のボスが声をかける。
 
「ファクターは? お前も話さないか」
「急ぎの依頼が入った。一服してから、すぐ出る」
「え!」
 
 シエルは焦ってしまって、背を向ける彼に手を伸ばした。
 
「あ……ちょ、ファクターさん……!」
 
 シエルの呼びかけを遮って、扉が閉まる。
 革靴の音が遠ざかり、室内に残ったのは女三人と少年ひとりだった。
 ボスがちいさく肩をすくめた。
 
「相変わらずだなぁ、あいつは」
「ごめんなさいね、坊や。何か言いたいことでもあったかしら?」
「あ、あはは……な、な、なんでもないです……」
 
 シエルは後頭部をかいて、苦笑いする。
 ……年上の女性に囲まれてしまった。変な汗が止まらない。助けてほしい。
 シエルは内心半泣きになった。
 
「わたくしも、お向かいに失礼いたしますわね」
 隣の金髪の女性が、長身の彼女を手のひらで示した。
 
「改めて、こちらがボス。わたくしはこの方の秘書、レイミール・フォン・サラリアと申します」
 ボスは軽く会釈をして、秘書に視線を送った。
 秘書・レイミールが胸に手を添えると、肩口で切り揃えられた金髪が揺れた。細いゴールドのネックレスがよく似合っている。
 
「レイミール……、さん?」
 少年は首を傾げた。ガルニア帝国では聞き慣れない響きだったからだ。
「よければ、レイ、と呼んでちょうだい」
 名前、ちょっと長いでしょ? と微笑みかける彼女。
 愛称のようなものかと、納得したシエルは何度か頷いた。
 
「レイさんですね!」
「よろしく。ふたりとも」
「はい。こちらこそ」
 
 両者の間で軽い挨拶が交わされた。
 ボスが長い脚を組む。
 
「さて。そろそろ……君たちの話を聞こう」
 そう言って、彼女は妖艶に微笑んだ。
「たとえば──五年前のこととか」
 瞬間、シエルの背筋が凍りついた。
 
「な、なんでそれを……!?」
「いや。意図的に聞くつもりはなかったが。声が……どうしても、聞こえてしまったのでね」
 結社のボスは肩をすくめる。悪びれた様子はない。
 テーブルの上には、先ほど出された紅茶がふたつ。淡い湯気を立てて鎮座している。
 
「盗み聞きじゃないの!」
 メアリが鋭く言い放つ。
 彼女の視線は、まっすぐボスを射抜いていた。
「ふふ。見ようによっては、そうなるのかな?」
 ボスは楽しそうに、くすりと笑った。
 
「あーもう無理っ……! そんな人に、こっちから話すことなんてありません!」
 シエルの胸がひやりとした。
 メアリの言葉には、明らかにシエルを庇うようなニュアンスが含まれている。……それでも。
 言い過ぎだ、と口を開きかけた、そのとき。
 
「お嬢様?」
 静かな声が割り入る。
 レイミールだった。柔らかい物腰のまま、しかし、人をはかるような眼差しで、メアリを見る。
「寧ろ、逆ですわ。〈結社〉のことは、ある程度わかってくださったでしょう?」
 秘書は穏やかな声音で続けた。
「けれど、わたくしどもは……おふたりのことを、まだ何ひとつ。知らないんですもの」
 
 秘書の言葉を受けて、シエルは眼鏡の奥で視線を落とした。
 ……本当にそうだ。
 帝国から船で連れ出してもらって、それきり。自分たちのことは、何も話せていない。
 
「レイさんの言うとおりだよ。メアリ」
「シエルまで……」
 
 小さく息を吸い、覚悟を決める。
 
「ちゃんと……話そう」
 シエルの言葉を聞き入れ、ボスは片膝のうえで手を組んだ。
 
「ひとまず、名前を。フルネームを教えてもらおうか」
「えと……。シエル・フィニエルです」
 ちら、と隣の姉の様子をうかがう。
 
「メアリ。メアリ・カラーンよ」
 短く、きっぱりとした答えだった、
「では、年齢、出身も聞いてもいいかな?」
「ねぇ。あんまり、答えたくないんだけど……」
「そうか、なら、それでもいいが。私は、シエル少年にも訊いているんだよ」
「いま十七歳です。出身は…………」
 
 ふっと、脳裏に声がよぎった。
 
 ──故郷のこと、ここでは絶対話しちゃだめだからね?
 
 姉のあの言葉は、明らかに自分を守るためのものだ。
 けれど、嘘をつくという選択肢は、シエルには最初から浮かばなかった。
 
「あの、マルスという村です。漁村でして……。少し寒いだけの、小さな村です」
 
 返事は最低限にした。村の名前だけなら露見することはないだろう。
 そう踏んだのだが、
「あら、そう。〈ガルニア帝国〉からきたという話は、本当のようね」
 あっさり、ボスの秘書に見抜かれてしまった。
 
「そんな小さな村を、君はどうして出ようと思ったのかな?」
「ええと……〈大戦〉が起こってから。それで、とつぜん〈軍〉が、攻めてきて。母が亡くなって……家が……──」
 ──キン──、と頭が痛くなる。
「──ゔ……っ」
 思い出したいのに、やはりその部分だけ、うまく思い出せない。
 
「シエル」
 メアリがそっと背中に手をやる。そして彼の代わりに言葉を紡いだ。
「坊や、大丈夫? よければお茶飲んで落ち着いて……」
 そう言われて初めて、カップに口をつけた。中身を一息に煽る。
 
「ねえ……もうわかったでしょ? 聞かない方がいいこともあるのよ」
「メアリ。大、丈夫。大丈夫だから……」
 浅い呼吸を繰り返すシエルの声は、自分に言い聞かせるようだった。
 
「あのね。とにかく、村を出たかったそうよ。この子……シエルにとって、〈帝国〉は辛い思い出しかないの。だから、あの二度目の紛争の日。村に滞在していた〈結社〉あなたたちに、声をかけた」
 沈黙。
 彼女らの隙間を埋めるように、シエルは言葉を紡いだ。
 
「どうしても、あなたがたに伝えておきたいことがあります」
 少年は短く息を吸う。
 
「僕たちは、〈逃亡者〉です」
「〈逃亡者〉?」
「はい。帝国を、許可なく出た人間のことです。国に戻れば……捕まります」
 
 それだけ言って、シエルは俯いた。
 ……幼い頃から、聞いていたことだった。帝国民は国に命を捧げる臣民なのだと。
 国を出るなど許されず、出れば〈大罪〉。極刑という噂だ。
 
「そうよ。港でも、大変だったんだから! 共和国の身分の証明がどうとかって……」
「たしかに。身分証なしなのがバレたら……こっちでも危ないですよね?」
 
 港町での経験はそのほんの一端だろう。今後ずっと軍人にごまかしが通用するとは思えない。
 紙をめくる音がした。
 ボスは手帳を開き、しばらく何かを書き留めていた。
 
「……ああ。〈ジルド〉で遅れていたのはそういうことか」
 
 声には驚きも同情もなかった。メアリが問う。
 
「待って。聞き捨てならないわ。どうして港のことを、あなたが知っているの?」
 ボスはしれっとした表情で言った。
 
「おや。言ってなかったっけ? フードを被っていただろう? 私が」
「……え」「嘘ーっ!?」
 シエルとメアリはぞっと冷や汗をかいた。
 
 ──僕らを助けたのは、組織のボス、張本人だったのか!
 
「どうしてその場で名乗ってくれなかったの?」
 姉の真っ当な批判に、ボスはくつくつと笑っていた。
 
名前がない・ ・ ・ ・ ・ からだ。だからわかるよ……、そのような半端者の苦労はね」
 
 彼女は、ニィ、と不敵に笑みを浮かべた。
 
「君たちの大きな問題は、ひとつだけ。帝国の〈逃亡者〉なのだと、誰にも分からなければいいわけだ」
「……それって」
「簡単な話だよ。身分と履歴を、こちらで用意する」
「なっ!? それこそ違法じゃない? そんなことまでする義理、ないはずでしょ」
「利点も、ある」
 
 細い指が手帳をぱたんと閉じる。
 
「君たちはまだ若い。事情は少々特殊だが、困っているのは明白だ。我々が守る理由も、使う理由もあるよ」
「……使う、ですか?」
「取引、と言ったほうがいいかな?」
 
 薄く笑みを浮かべ、彼女は続けた。
 
「恵まれない君たちに居場所を作る。そして、君たちは働く。それだけの話なんだよ、これは」
「……は、はぁ……」
 
 ──いや。納得できない。ボスを疑っているメアリの言い分の方がまだ分かる。
 
「納得できない、って表情だね?」
 
 どきりとした。
 逸る胸を抑え、シエルは小さく頷く。
 返すように首肯したボスは足を下ろして、ふたりに語りかけた。
 
「君たちに、見せたいものがあるんだ。外についてきてくれないか?」
「見せたいもの、って?」
 メアリが怪訝そうに問いを返すと、結社のボスは、んー、と思案声を漏らした。
 
「もの、というより……場所と、いうべきかな?」
 なんとも遠回しな返答。
 ワケがあるのだろう、と感じたシエルは彼女に向かって控えめに言った。
 
「僕は構いませんけど……」
「シエルが行くなら、私も行くわ」
「では、決まりだな」
 
 席を立つ背中を見ながら、共に席を立つ。
 シエルは、ふと、机の上に視線を落とした。
 空のティーカップと、もうひとつまだ手をつけていない紅茶。メアリのものだった紅茶だ。
 秘書は気に留めない様子で言った。
 
「すぐそこなのよ。の建物なの。ついていらっしゃい」

 

 


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