序章『僕の選んだ道』
“第5話 結社のボス”
「──失礼!」
客室に現れたのは、上背の高い、漆黒の髪の人だった。
紺のロングコートが視界に入ったとたん、シエルは反射的に椅子を引いて立ち上がっていた。
先ほど壇上にいたあの人だ。
「け、結社のボス!?」
「いかにも」
ボスは赤い目を細めて、優美に笑んだ。
彼女の黒を基調にしたシックなその立ち姿は、質素な客室で異様な存在感を放っている。
シエルに続いて、メアリが立ち上がって、頭を下げた。
「ボスさん……、この度は、うちの弟が……」
「いい、いい。座ってくれ。ひとまず、茶でも淹れようではないか」
言いながら、彼女はドカッと椅子に腰掛けた。
彼女の後ろに、もうひとり。
いつ入ってきたのか分からないほど静かな足取りで、小柄な女性が控えていた。
金髪の侍女は、慣れた所作でシエルの前にティーカップを差し出した。
「よければ、こちら。あたたかいハーブディーをお淹れしますわ」
「あ……どうも」
なかば気圧されるかたちで着席する。
白磁の茶器に、淡い色の液体がとぷとぷと注がれていく。
立ちのぼる湯気から、花の香りがほのかに広がった。緊張で強張っていた喉が、思わずそれを欲するのを感じる。
「いや。待たせてすまって、すまない。我々がここまで呼び立てたというのに……」
「まったくだぞ。人に案内役なぞ任せおってからに」
低い声の主を見れば、変わらぬ白衣姿のファクターが腰に大きな茶色のポーチを下げて立っていた。
結社のボスが声をかける。
「ファクターは? お前も話さないか」
「急ぎの依頼が入った。一服してから、すぐ出る」
「え!」
シエルは焦ってしまって、背を向ける彼に手を伸ばした。
「あ……ちょ、ファクターさん……!」
シエルの呼びかけを遮って、扉が閉まる。
革靴の音が遠ざかり、室内に残ったのは女三人と少年ひとりだった。
ボスがちいさく肩をすくめた。
「相変わらずだなぁ、あいつは」
「ごめんなさいね、坊や。何か言いたいことでもあったかしら?」
「あ、あはは……な、な、なんでもないです……」
シエルは後頭部をかいて、苦笑いする。
……年上の女性に囲まれてしまった。変な汗が止まらない。助けてほしい。
シエルは内心半泣きになった。
「わたくしも、お向かいに失礼いたしますわね」
隣の金髪の女性が、長身の彼女を手のひらで示した。
「改めて、こちらがボス。わたくしはこの方の秘書、レイミール・フォン・サラリアと申します」
ボスは軽く会釈をして、秘書に視線を送った。
秘書・レイミールが胸に手を添えると、肩口で切り揃えられた金髪が揺れた。細いゴールドのネックレスがよく似合っている。
「レイミール……、さん?」
少年は首を傾げた。ガルニア帝国では聞き慣れない響きだったからだ。
「よければ、レイ、と呼んでちょうだい」
名前、ちょっと長いでしょ? と微笑みかける彼女。
愛称のようなものかと、納得したシエルは何度か頷いた。
「レイさんですね!」
「よろしく。ふたりとも」
「はい。こちらこそ」
両者の間で軽い挨拶が交わされた。
ボスが長い脚を組む。
「さて。そろそろ……君たちの話を聞こう」
そう言って、彼女は妖艶に微笑んだ。
「たとえば──五年前のこととか」
瞬間、シエルの背筋が凍りついた。
「な、なんでそれを……!?」
「いや。意図的に聞くつもりはなかったが。声が……どうしても、聞こえてしまったのでね」
結社のボスは肩をすくめる。悪びれた様子はない。
テーブルの上には、先ほど出された紅茶がふたつ。淡い湯気を立てて鎮座している。
「盗み聞きじゃないの!」
メアリが鋭く言い放つ。
彼女の視線は、まっすぐボスを射抜いていた。
「ふふ。見ようによっては、そうなるのかな?」
ボスは楽しそうに、くすりと笑った。
「あーもう無理っ……! そんな人に、こっちから話すことなんてありません!」
シエルの胸がひやりとした。
メアリの言葉には、明らかにシエルを庇うようなニュアンスが含まれている。……それでも。
言い過ぎだ、と口を開きかけた、そのとき。
「お嬢様?」
静かな声が割り入る。
レイミールだった。柔らかい物腰のまま、しかし、人をはかるような眼差しで、メアリを見る。
「寧ろ、逆ですわ。〈結社〉のことは、ある程度わかってくださったでしょう?」
秘書は穏やかな声音で続けた。
「けれど、わたくしどもは……おふたりのことを、まだ何ひとつ。知らないんですもの」
秘書の言葉を受けて、シエルは眼鏡の奥で視線を落とした。
……本当にそうだ。
帝国から船で連れ出してもらって、それきり。自分たちのことは、何も話せていない。
「レイさんの言うとおりだよ。メアリ」
「シエルまで……」
小さく息を吸い、覚悟を決める。
「ちゃんと……話そう」
シエルの言葉を聞き入れ、ボスは片膝のうえで手を組んだ。
「ひとまず、名前を。フルネームを教えてもらおうか」
「えと……。シエル・フィニエルです」
ちら、と隣の姉の様子をうかがう。
「メアリ。メアリ・カラーンよ」
短く、きっぱりとした答えだった、
「では、年齢、出身も聞いてもいいかな?」
「ねぇ。あんまり、答えたくないんだけど……」
「そうか、なら、それでもいいが。私は、シエル少年にも訊いているんだよ」
「いま十七歳です。出身は…………」
ふっと、脳裏に声がよぎった。
──故郷のこと、ここでは絶対話しちゃだめだからね?
姉のあの言葉は、明らかに自分を守るためのものだ。
けれど、嘘をつくという選択肢は、シエルには最初から浮かばなかった。
「あの、マルスという村です。漁村でして……。少し寒いだけの、小さな村です」
返事は最低限にした。村の名前だけなら露見することはないだろう。
そう踏んだのだが、
「あら、そう。〈ガルニア帝国〉からきたという話は、本当のようね」
あっさり、ボスの秘書に見抜かれてしまった。
「そんな小さな村を、君はどうして出ようと思ったのかな?」
「ええと……〈大戦〉が起こってから。それで、とつぜん〈軍〉が、攻めてきて。母が亡くなって……家が……──」
──キン──、と頭が痛くなる。
「──ゔ……っ」
思い出したいのに、やはりその部分だけ、うまく思い出せない。
「シエル」
メアリがそっと背中に手をやる。そして彼の代わりに言葉を紡いだ。
「坊や、大丈夫? よければお茶飲んで落ち着いて……」
そう言われて初めて、カップに口をつけた。中身を一息に煽る。
「ねえ……もうわかったでしょ? 聞かない方がいいこともあるのよ」
「メアリ。大、丈夫。大丈夫だから……」
浅い呼吸を繰り返すシエルの声は、自分に言い聞かせるようだった。
「あのね。とにかく、村を出たかったそうよ。この子……シエルにとって、〈帝国〉は辛い思い出しかないの。だから、あの二度目の紛争の日。村に滞在していた〈結社〉に、声をかけた」
沈黙。
彼女らの隙間を埋めるように、シエルは言葉を紡いだ。
「どうしても、あなたがたに伝えておきたいことがあります」
少年は短く息を吸う。
「僕たちは、〈逃亡者〉です」
「〈逃亡者〉?」
「はい。帝国を、許可なく出た人間のことです。国に戻れば……捕まります」
それだけ言って、シエルは俯いた。
……幼い頃から、聞いていたことだった。帝国民は国に命を捧げる臣民なのだと。
国を出るなど許されず、出れば〈大罪〉。極刑という噂だ。
「そうよ。港でも、大変だったんだから! 共和国の身分の証明がどうとかって……」
「たしかに。身分証なしなのがバレたら……こっちでも危ないですよね?」
港町での経験はそのほんの一端だろう。今後ずっと軍人にごまかしが通用するとは思えない。
紙をめくる音がした。
ボスは手帳を開き、しばらく何かを書き留めていた。
「……ああ。〈港〉で遅れていたのはそういうことか」
声には驚きも同情もなかった。メアリが問う。
「待って。聞き捨てならないわ。どうして港のことを、あなたが知っているの?」
ボスはしれっとした表情で言った。
「おや。言ってなかったっけ? フードを被っていただろう? 私が」
「……え」「嘘ーっ!?」
シエルとメアリはぞっと冷や汗をかいた。
──僕らを助けたのは、組織のボス、張本人だったのか!
「どうしてその場で名乗ってくれなかったの?」
姉の真っ当な批判に、ボスはくつくつと笑っていた。
「名前がないからだ。だからわかるよ……、そのような半端者の苦労はね」
彼女は、ニィ、と不敵に笑みを浮かべた。
「君たちの大きな問題は、ひとつだけ。帝国の〈逃亡者〉なのだと、誰にも分からなければいいわけだ」
「……それって」
「簡単な話だよ。身分と履歴を、こちらで用意する」
「なっ!? それこそ違法じゃない? そんなことまでする義理、ないはずでしょ」
「利点も、ある」
細い指が手帳をぱたんと閉じる。
「君たちはまだ若い。事情は少々特殊だが、困っているのは明白だ。我々が守る理由も、使う理由もあるよ」
「……使う、ですか?」
「取引、と言ったほうがいいかな?」
薄く笑みを浮かべ、彼女は続けた。
「恵まれない君たちに居場所を作る。そして、君たちは働く。それだけの話なんだよ、これは」
「……は、はぁ……」
──いや。納得できない。ボスを疑っているメアリの言い分の方がまだ分かる。
「納得できない、って表情だね?」
どきりとした。
逸る胸を抑え、シエルは小さく頷く。
返すように首肯したボスは足を下ろして、ふたりに語りかけた。
「君たちに、見せたいものがあるんだ。外についてきてくれないか?」
「見せたいもの、って?」
メアリが怪訝そうに問いを返すと、結社のボスは、んー、と思案声を漏らした。
「もの、というより……場所と、いうべきかな?」
なんとも遠回しな返答。
ワケがあるのだろう、と感じたシエルは彼女に向かって控えめに言った。
「僕は構いませんけど……」
「シエルが行くなら、私も行くわ」
「では、決まりだな」
席を立つ背中を見ながら、共に席を立つ。
シエルは、ふと、机の上に視線を落とした。
空のティーカップと、もうひとつまだ手をつけていない紅茶。メアリのものだった紅茶だ。
秘書は気に留めない様子で言った。
「すぐそこなのよ。隣の建物なの。ついていらっしゃい」