夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


 ――……
 ――――……
 
 演説が終わったあと、シエルたちはファクターに連れられ、〈結社〉拠点の軽い説明を受けた。
 大きな講堂がある階から降りていくと、四階には沢山の本が取り揃えられた図書室や、備品をまとめてある部屋があった。
 結社のボスが仕事をするのであろう〈ギルド長室〉のある三階を通り過ぎれば、二階には日々事務仕事をするのであろう事務室と、これまた大きな食堂がある。
 そして、さっき見た受付ロビーが一階。
 受付広場の窓際におしゃれなカフェテラスが完備されていて、あまりの豪華さにロビー全体が輝いて見えるほどだ。
 ファクターの教えてくれたことをまとめてみると、
 
 五階……講堂
 四階……図書室、備品室
 三階……ギルド長室
 二階……事務室、食堂
 一階……ロビー、カフェテラス
 
 これが〈結社〉拠点の全貌らしい。
 白い椅子に座ったとたんに、隣からため息が聞こえた。
 
「〈結社〉って、なんだか怖いとこね……」
 
 メアリの憂いの言葉。
 ふたりは現在、結社一階、ロビー片隅の小さな客室の中にいる。
 幹部の彼が『待ってろ』と言って、またどこかへ行ってしまったから、こうして取り残されてしまった。
 シエルが聞き返した。
 
怖い・・?」
「軍事的っていうの? 戦闘第一! って感じがしたわ」
「メアリもそんなこと言うんだ。珍しいね」
「そりゃあ、この戦争の時代に戦闘スキルは大事よ。護身用も、攻撃用も必要。少なくとも、帝国むこうではそうだった訳だし。だけど」
 
 彼女は机の上で軽く腕を組みながら、きゅっと眉根を寄せた。
 
「もし〈結社〉に関わって、シエルが怪我でもしたら……。それこそ私、絶対後悔するから」
「……あぁ……」
 
 ……その言葉だけで、嫌でも解ってしまう。彼女は僕を、守る対象だと思って見ている。
 シエルは異議をとなえた。
 
「メアリ。僕、もう子どもじゃないよ? わかってるくせに……」
 
 彼女のアンバーの瞳が少年を見た。誰から見てもベビーフェイスである、その少年の顔を。
 
「私から見たら、じゅうぶん子どもだわ。第一、まだ未成年じゃない!」
「えー! 今年成人なんだよ!?」
「なによ。私って、シエルのお姉ちゃん兼おかあさんでしょ?」
 
 シエルは彼女の言葉に椅子をガタっと鳴らした。
 
「いや思ってないって!」
 
 お姉ちゃん、と言うのは間違ってはいない。
 メアリは、シエルから見れば義姉だ。
 故郷の小さな村の中では、子どもたちはみんな顔見知りで、小さい頃から面倒を見てもらっていた。
 だけど、『お母さん』は違う。少年はそう思っている。
 
「でも――」
 メアリは長いまつ毛を伏せて、つぶやいた。
「シエルは早くに親御さんと離れちゃったから。せめて、そう居たいのよ」
 
 少年は無言で頷く。
 戦争で両親を失い、彼女の家に身を寄せて三年。
 十四で一人になった彼を迎え入れてくれたのが、メアリとその父・ディオルだった。
 その恩を忘れたことはない。
 
「わかってる。でも、それを言うなら、メアリだって同じだ。他にも……戦いで家族を失った人なんて、いくらでも居る」
 
 メアリもまた、戦争で家族の一人を喪っている。その人こそが、彼女の『お母さん』なのだ。
 大人は子どもを守ろうとする。そして、先に死んでしまう。ありふれた話だ。
 
「そうね……」
 
 ふーっと深く息を吐いて、メアリは椅子に背を預けた。
 
「正直ね、私、ギリギリまで共和国こっち来ようか、悩んでたの」
「メアリもか」
「やっぱり、シエルも? だって、帝国を出たら──」
 
 そのとき、扉が開いた。
 ピタリ、と会話が止む。
 
 ノックもなしで客室に入ってきたのは、先程のファクターだった。相変わらず目立つ、薄汚れた白衣姿。手にはおぼんを持って来ている。
 
「……あら」
 
 メアリの声がわずかに低くなる。
 男は向かいの椅子に腰を下ろし、ふたりを見比べた。
 
「聞こえたら、悪いような内容か?」
 
 お茶を出しながら、ファクターが彼女に問いかけるも、返事はない。
 
「心配するな。口は堅い」
 
 そして彼女は、一言。
 
「どうかしらね?」
「こりゃ……、手ごわいな」
 
 ファクターの苦笑に、シエルは彼の茶を受け取り答えた。
 
「すみません。メアリは、心配性なんです」
「無理もない」
「……怒らないんですね」
 
 ファクターは一度目を伏せ、静かにふたりに語りかけた。
 
「お前さんらも、難儀なことだな。あの遠い国から、こんな得体の知れん場所へと。それも戦時下だ、疑いたくもなるもんだ……」
 
 シエルは俯いた。
 まるっこいマグカップ越しに伝わってくるお茶の温度が、冷たくなった指先をじんわりと温めた。ひと口含むと、緊張が少しほどける。
 
「なんていうか……。僕らの場合、軍も、国も、当然だけど敵も……すべてが嘘だらけに見えていました。普通に暮らしてた頃は、そんなコトはなかったのに」
「その様子は、七年前からか?」
 
 ええ、と頷く少年の幼げな顔に、暗い影色が滲んだ。
 
「〈大戦〉は僕らの毎日を、あっという間に、別のモノに変えてしまった」
 
 静寂に包まれた部屋に、ノックの音が跳ねた。コンコンコン、と、三回。
「ほーい」
 律儀なノックの音にファクターが答えた。
 
「失礼!」
 紺色のロングコートの立ち姿。
 開いたドアの向こうに立っていたのは、上背の高い人だった。先程壇上に立っていた黒髪の女性だ。
 少年は思わず席を立った。
 
「け、結社のボス!?」
「いかにも」
 ボスは赤い目を細めて、優美に笑んだ。
 斜め後ろに小柄な女性が控えていて、ぺこりと会釈していた。小綺麗なジャケットとタイトスカート姿。肩口で切り揃えられた金髪が揺れる。
 
 彼女らの圧倒的“偉い人”感に、少年は、
「えっと、あ、あわわわ……」
 ただ、ぺこぺこ頭を下げてテンパっていた。
 前の席の姉が、椅子の背もたれを引きながら、弟を宥めるような口調で言う。
「シエル、落ち着いて」
 姉は自身の手を重ねると、相手へ深々とお辞儀をした。
 
「初めまして。メアリ・カラーンと申します。うちの義弟おとうとがお世話になっております」
「し、シエル! シエル・フィニエルですっ!」
 続けて弟もまた頭を下げる。
 
「よせ。いい、顔を上げてくれ」
 ボスは少年たちを見て、手で軽く断るジェスチャーをした。
「堅苦しいのは得意じゃないんだ」
「そ、そうなんですね」
 そうは見えなかったけどなあ。
 シエルはそんな感想を抱いた。
 
 隣の金髪の女性が、長身の彼女を手のひらで示す。
「改めて、こちらがボス。わたくしはこの人の秘書、レイミール・フォン・サラリアと申しますわ」
「レイミール……、さん?」
 少年は首を傾げた。ガルニア帝国では聞き慣れない響きだったからだ。
「よければ、レイ、と呼んでちょうだい」
 名前、ちょっと長いでしょ? とにこりと微笑みかける彼女。愛称のようなものかと、納得したシエルは何度か頷いた。
 
「じゃあ、レイさんですね!」
「ええ、よろしく。シエルくん、メアリちゃん」
「よろしくお願いします」
 秘書に会釈をした少年が、ボスの方に視線をやった。
 
「あっ。あのー……」
「うん?」
 シエルにはひとつ、気になって仕方ないことがあった。
 眼鏡越し、エメラルドグリーンの瞳がギルドの長を見つめる。
 
「失礼でなければ、ボスのお名前も伺っていいでしょうか?」
 ここに来る前から、ずっと、考えていたことだった。
 僕らをあの軍事主義の帝国から、船で救い出してくれた恩人の所属するギルドなのだから、それだけで抱えきれないほどの恩がある。ならば、まずは彼らのことをよく知らねばならないと。
 
「そういえば、まだだったね」
 黒髪の女性は自身の手を打った。
 一歩前に出て、ふたりの前に立つと、
 
「私はボス。“結社のボス”だ、よろしく」
 
 そう言って、彼女から握手を求めてきた。
「ボス?」
「名前、無いんだ」
 クスッとはにかんだ彼女に対して、それ以上は聞くことが出来なかった。
 
 ──ギルドの長が、名無し?
 そんなことがあるのか。
 
「わ、わかりました。よろしくお願いします」
 シエルが握手に応じると、彼女も両手でギュッと一度握り返してくれる。
「君も」
「……ええ」
 促され、メアリはそろりと細い右手を出したが、ボスに掴まれた手をぶんぶん上下に振られて、驚いていた。
 
「ひゃっ!」
「改めて、よろしくね!」
 
 ニッコリと笑うボス。
 クールな見た目に反して、意外とフランクな感じのする人だ。
 その様子を見て、シエルはようやっと思い出した。
 
「もしかして、あなた。『向こう』でフードを被っていた人じゃないですか?」
 帝国の船の前で僕と握手をしてくれた、あの人の仕草と、完全に一致している。
 
「おや。ばれていたか」
 言われて、彼女はニヤリと口角を上げた。
「ばれていたかって……」
 シエルはうっすら冷や汗をかいた。
 
 ──僕らを助けたのは、組織のボス、張本人だったのか!
 
「……なら、会ったときに、そう言いなさいよ!」
 メアリが思わず突っ込むも、ボスはくつくつと笑っていた。
 
「いやあ。こういうのはサプライズのほうが楽しいだろう? だから、つい……」
「つい、って問題じゃないわ!」
「こういう人なのよ、ボスは」
 ごめんなさいね、と秘書・レイミールが微笑む。
 その向かいで、ファクターはお盆を片手によっこらしょと席を立った。
「……感動の対面はいいが、遅かったな、お前さんら。やれ歓迎がなんだ、と息巻いておったわりに……」
 ボスが机にちらりと視線をやる。
「だがしかし。茶を振る舞うには、ちょうどよい時間だったみたいだね?」
「あーあー。お陰様でな」
 笑顔のボスと対象的に、無愛想な彼は自身の首を揉みながら息を吐いた。
 レイミールが肩をすくめながらシエルたちに言う。
 
「ふたりとも。よかったらゆっくりお飲みになって。折角のお茶が冷めてしまうわ」
「あ、はい! すみません!」
「そう、ね」
 シエルがひと息に茶をあおる。
 メアリは少し迷ってから席に腰掛け、ふーっと冷ましながら、お茶に少しずつ口を付け始めた。猫舌である彼女が飲むのは何口か掛かったが、結社の面々はそっと待っていてくれた。
 
「レイミール、いいよね?」
「……とめませんわよ」
 ボスが秘書へ耳打ちする。小柄な秘書は確かに頷いて。
 首肯したボスは少し屈んで、ふたりに語りかけた。
 
「ところで、きみたちに見せたいものがあるんだ。付いてきてくれないか?」
「見せたいもの、とは?」
 メアリが不安げに問いを返すと、結社のボスはんー、と思案声を漏らして返答した。
 
「もの、というより……場所と、いうべきかな?」
 なんとも遠回しな返答である。
 ワケがあるのだろう、と感じたシエルは彼女に向かって控えめに言った。
 
「僕は全然、大丈夫ですけど……」
「シエルが行くなら、私も!」
「では、行こうか」
 少年たちの同意を受けた声の主が踵を返す。
 イエス・ボス、と了承を返した金髪の女性が客室の出口を示した。
 
「すぐそこなのよ。の建物なの」
 
 

 





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