序章『僕の選んだ道』
“第4話 世界大戦”
『灯せ──〈篝火〉!』
言下に、壇場の向こう側から焔が飛び火した。宙を舞った赤い炎が、壇上の燭台へと灯りをもたらす。
煌々と輝く灯火。
カーテンで閉め切られた広い室内が、密やかにざわめいた。
「皆様、静粛に! ボスのご挨拶です──よろしくお願いします」
壇下の女性幹部の声が響く。人々は息をひそめた。
やがて、一定のリズムを刻む靴音が床を打つ。
薄闇の奥から現れたのは、上背が高く、頭髪からブーツに至るまで暗色を纏った人物だった。
サイドで縛り上げられた黒髪は、宵闇を溶かしたかのような漆黒。強い意志を宿した瞳は深紅──不敵な笑みを浮かべた彼女は、片腕で滑らかに弧を描いたのち、恭しく礼をした。
「お早う。〈結社〉傘下の諸君! この春も皆の壮健な顔が見られて、安心したぞ」
低く、艶のある声が空間を満たした瞬間、シエルは彼女に釘付けになった。
彼女の黒衣、長身の美貌の中に――何か、得体の知れないモノを感じて。
女性がシエルの目を見るなり、フッと笑った気がした。揺らめく炎のように輝く瞳を向けられたシエルは、ぞわぞわ、全身の毛という毛が逆立つのを感じていた。
彼女が〈結社〉の“顔”か……。
広い講堂の面々をひと通り見渡したボスは、言の葉を紡いでゆく。
「今朝は久々の快晴であったな。今年も〈ケウの花〉が満面に咲き誇っている。美しい薄紅の花は、他国では見られぬ、ザルツェネガ共和国、独自の宝だ」
よく通るアルトの声は五感を刺激して、一枚の絵面を浮かばせる。今朝の大通りで目にした、薄紅色の鮮やかな色彩。
ケウの花――枝葉に花を咲かせる風変わりな木々は、まるで花びらのカーテンのようだった。
燭台の炎がゆらり、また揺らぐ。
「しかし現在……共和国は、混乱の最中にある。今も続く〈大戦〉により――国同士が争い、誰も彼もが奪い合い――弱き民は傷付けられるばかり」
神歴三九八〇年頃、約七年前から続く戦争。俗に〈大戦〉と呼ばれるこの戦いは、シエルの出身国から始まった。
〈ガルニア帝国〉の一般兵が、ある王族の暗殺を計った。相手は南西にある〈テスフェニア公国〉。しかし帝国はそれを認めず、激昂した公国の手で火蓋が切られた。
以来、戦火は世界へと広がり、止められぬ業火と成ったのだ。
「諸君は許容できるか。この残酷な世界を」
高台から語りかけるボスはほんの一瞬だけ、憂いた表情を確かにした。
長きに感じられる静寂。
彼女の声は空気を切り裂いた。
「――真に強き者よ! すべからく身を削れ!!」
シエルは息をのむ。
つよきもの、と口の中だけで繰り返す。初めて耳にする力強い言葉は、心臓に直に突き刺さるかのようだ。
「これが我らの理念だ。〈結社〉は──いずれこの大戦を終わらせるためのギルドだ!」
――そうだろう! 諸君!
武術の号令なみに激しく発せられたひとことを境に、講堂の中の空気は、一変した。
「おおー!」「ボス最高~!」「任せろぉ!」
数十、数百もの歓声と拍手とが入り乱れる。シエルはただ、その光景を見つめていた。
七年ものあいだ続く世界大戦……。いつ終わるかなど、誰も知らないこの戦いを、彼女は『終わらせる』と言ってのけたのだ。
「今年度、我々が力を注ぐべきは、ふたつ! 首都〈ズネアータ〉周辺の警備――そして資源の確保だ。孤児院の運営も継続してゆく!」
〈結社〉の輪郭が見えてくる。誰かを護ろうとする意志が、確かにそこにあるように思えた。
「どうか、忘れないでいてくれ。大戦の長期化に伴い、弱きを護ることができるのは我々だけだ。いま、諸君の強き力が必要だ!!」
ふたたび起こる拍手と喝采の中、シエルは独り、つよきちから――という単語を吟味していた。
彼らの求める力とは、どんなものか。
ある意味、己は『救われた側』に該当している。結社の人に船を出してもらわなかったら、大戦下の帝国を逃げ出すことなど到底できなかった。
〈結社〉の人は――なにを思い、自分を助けてくれたんだろう?
騒音で遠く聞こえる締めの挨拶に、鳴り止まない拍手。
笑顔で手を振る黒髪の人物の姿が、眩しかった。
――……
――――……
演説が終わったあと、シエルたちはファクターに連れられ、〈結社〉拠点の軽い説明を受けた。
大きな講堂がある階から降りていくと、四階には沢山の本が取り揃えられた図書室や、備品をまとめてある部屋があった。
結社のボスが仕事をするのであろう〈ギルド長室〉のある三階を通り過ぎれば、二階には日々事務仕事をするのであろう事務室と、これまた大きな食堂がある。
そして、さっき見た受付ロビーが一階。
受付広場の窓際におしゃれなカフェテラスが完備されていて、あまりの豪華さにロビー全体が輝いて見えるほどだ。
ファクターの教えてくれたことをまとめてみると、
五階……講堂
四階……図書室、備品室
三階……ギルド長室
二階……事務室、食堂
一階……ロビー、カフェテラス
これが〈結社〉拠点の全貌らしい。
白い椅子に座ったとたんに、隣からため息が聞こえた。
「〈結社〉って、なんだか怖いとこね……」
メアリの憂いの言葉。
ふたりは現在、結社一階、ロビー片隅の小さな客室の中にいる。
幹部の彼が『待ってろ』と言って、またどこかへ行ってしまったから、こうして取り残されてしまった。
シエルが聞き返した。
「怖い?」
「軍事的っていうの? 戦闘第一! って感じがしたわ」
「メアリもそんなこと言うんだ。珍しいね」
「そりゃあ、この戦争の時代に戦闘スキルは大事よ。護身用も、攻撃用も必要。少なくとも、帝国ではそうだった訳だし。だけど」
彼女は机の上で軽く腕を組みながら、きゅっと眉根を寄せた。
「もし〈結社〉に関わって、シエルが怪我でもしたら……。それこそ私、絶対後悔するから」
「……あぁ……」
……その言葉だけで、嫌でも解ってしまう。彼女は僕を、守る対象だと思って見ている。
シエルは異議をとなえた。
「メアリ。僕、もう子どもじゃないよ? わかってるくせに……」
彼女のアンバーの瞳が少年を見た。誰から見てもベビーフェイスである、その少年の顔を。
「私から見たら、じゅうぶん子どもだわ。第一、まだ未成年じゃない!」
「えー! 今年成人なんだよ!?」
「なによ。私って、シエルのお姉ちゃん兼おかあさんでしょ?」
シエルは彼女の言葉に椅子をガタっと鳴らした。
「いや思ってないって!」
お姉ちゃん、と言うのは間違ってはいない。
メアリは、シエルから見れば義姉だ。
故郷の小さな村の中では、子どもたちはみんな顔見知りで、小さい頃から面倒を見てもらっていた。
だけど、『お母さん』は違う。少年はそう思っている。
「でも――」
メアリは長いまつ毛を伏せて、つぶやいた。
「シエルは早くに親御さんと離れちゃったから。せめて、そう居たいのよ」
少年は無言で頷く。
戦争で両親を失い、彼女の家に身を寄せて三年。
十四で一人になった彼を迎え入れてくれたのが、メアリとその父・ディオルだった。
その恩を忘れたことはない。
「わかってる。でも、それを言うなら、メアリだって同じだ。他にも……戦いで家族を失った人なんて、いくらでも居る」
メアリもまた、戦争で家族の一人を喪っている。その人こそが、彼女の『お母さん』なのだ。
大人は子どもを守ろうとする。そして、先に死んでしまう。ありふれた話だ。
「そうね……」
ふーっと深く息を吐いて、メアリは椅子に背を預けた。
「正直ね、私、ギリギリまで共和国来ようか、悩んでたの」
「メアリもか」
「やっぱり、シエルも? だって、帝国を出たら──」
そのとき、扉が開いた。
ピタリ、と会話が止む。
ノックもなしで客室に入ってきたのは、先程のファクターだった。相変わらず目立つ、薄汚れた白衣姿。手にはおぼんを持って来ている。
「……あら」
メアリの声がわずかに低くなる。
男は向かいの椅子に腰を下ろし、ふたりを見比べた。
「聞こえたら、悪いような内容か?」
お茶を出しながら、ファクターが彼女に問いかけるも、返事はない。
「心配するな。口は堅い」
そして彼女は、一言。
「どうかしらね?」
「こりゃ……、手ごわいな」
ファクターの苦笑に、シエルは彼の茶を受け取り答えた。
「すみません。メアリは、心配性なんです」
「無理もない」
「……怒らないんですね」
ファクターは一度目を伏せ、静かにふたりに語りかけた。
「お前さんらも、難儀なことだな。あの遠い国から、こんな得体の知れん場所へと。それも戦時下だ、疑いたくもなるもんだ……」
シエルは俯いた。
まるっこいマグカップ越しに伝わってくるお茶の温度が、冷たくなった指先をじんわりと温めた。ひと口含むと、緊張が少しほどける。
「なんていうか……。僕らの場合、軍も、国も、当然だけど敵も……すべてが嘘だらけに見えていました。普通に暮らしてた頃は、そんなコトはなかったのに」
「その様子は、七年前からか?」
ええ、と頷く少年の幼げな顔に、暗い影色が滲んだ。
「〈大戦〉は僕らの毎日を、あっという間に、別のモノに変えてしまった」