夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


『灯せ・フラム!』
 その言下に、壇場の向こう側から焔が飛び火した。宙を舞った赤い炎が台上にある燭台へ灯火をもたらす。
 カーテンで閉め切られた薄暗な室内が密やかに騒めき、煌々と灯る明かりへと視線が注がれる。
 
「皆様、静粛に! ボスのご挨拶です――よろしくお願いします」
 
 幹部と思しき女性の叱声を受け、室内は静寂に包まれた。
 お祈りを終えたばかりの聖堂にも似た講堂内に、甲高い靴音が響く。
 満を持して壇場を上がってきたのは、上背が高く、頭髪からブーツに至るまで暗色を纏った人物だった。
 サイドで縛り上げられた黒髪は、宵闇を溶かしたかのような漆黒。強い意志を宿した瞳は深紅。不敵な笑みを浮かべた彼女は、片腕で滑らかに弧を描いたのち、恭しく礼をした。
 
「お早う。〈結社〉傘下の諸君! この春も皆の壮健な顔が見られて、安心したぞ」
 
 全身の肌が粟立つ。ハスキーな低音は、耳を抜けて脳の奥深くを揺らす。
 
「あっ……」
 シエルは彼女に釘付けになった。
 彼女の黒衣、長身の美貌の中に――何か、得体の知れないモノを感じて。
 女性がシエルの目を見るなり、フッと笑った気がした。揺らめく炎のように輝く瞳を向けられたシエルは、ぞわぞわ、全身の毛という毛が逆立つのを感じていた。
 彼女が、ギルドの『顔』。結社〈恒久の不死鳥エタネル・フェニックス〉のボスか。
 
 広い講堂の面々をひと通り見渡したボスは、言の葉を紡いでゆく。
 
「今朝は久々の快晴であったな。今年も〈ケウの花〉が満面に咲き誇っている。美しい薄紅の花は、他国では見られぬ、ザルツェネガ共和国、独自の宝だ」
 
 よく通る声は五感を刺激して、一枚の絵面を浮かばせる。今朝目にした、薄紅色の鮮やかな色彩。
 ケウの花――枝葉に花を咲かせる風変わりな木々は、まるで首都のストリートを仕切る花びらのカーテンのようだった――結社への道すがらの景色を思い出させる。
 燭台の炎がゆらり、また揺らぐ。
 
「しかし現在……共和国は、混乱の最中にある。今も続く〈世界大戦〉により――国同士が争い、誰も彼もが奪い合い――民は傷付けられるばかり」
 
 神歴三九八〇年頃、約七年前から続く世界大戦。俗に大戦と呼ばれるこの戦いは、シエルの出身国から始まった、ことになっている。
 〈ガルニア帝国〉の一般兵が、外国の王族貴族に対して暗殺を計ったというのだ。相手は南西にある〈テスフェニア公国〉。しかし帝国側はそれを認めず、公国が激昂して戦いが始まった。
 大戦の育てた火種は今や業火となり、世界中に火の粉を振り撒いている。
 
「諸君は許容できるか。残酷な世界を」
 
 高台から語りかけるボスはほんの一瞬だけ、憂いた表情を確かにした。
 思わず息をのむ。
 彼女の声は、長きに感じられる静寂を切り裂いた。
 
「――真に強き者よ! すべからく身を削れ!!」
 
 悲鳴をあげる大気。
 ――しんにつよきもの、と口の中だけで繰り返す。初めて耳にする力強い言葉は、どうしようもなく心中を沸き立たせた。
 
「これが我がギルドの理念だ。〈結社〉は、いずれこの大戦を終わらせるギルドだ!」
 
 ──そうだろう、諸君!!
 武術の号令なみに激しく発せられたひとことを境に、講堂の空気は一変した。
「おおー!」「ボス最高~!」「任せろぉ!」
 百人近い構成員たちの雄叫びと、拍手、口笛。講堂が揺れるほどの喝采。
 その光景に、少年・シエルは絶句した。
 
 ――七年ものあいだ続く世界大戦。いつ終わるかなど、誰も知らないこの戦いを、彼女は『終わらせる』と言ってのけたのだ。
 
「今年度、我々が力を注ぐべきは、ふたつ。首都〈ズネアータ〉周辺の警備――そして、政府が独占する資源の採取だ。孤児院の管理も、継続していきたい!」
 
 発せられる一言一言に、ただの戦闘集団ではないギルドの姿が垣間見える。
 
「どうか、忘れないでいてくれ。大戦の長期化に伴い、弱きを護ることができるのは我々だけだ。いま、諸君の強き力が必要だ!!」
 
 ふたたび起こる拍手と喝采の中、シエルは独り、つよきちから――という単語を吟味していた。
 彼らの求める力とは、どんなものか。
 ある意味、己は『救われた側』に該当している。結社の人に船を出してもらわなかったら、大戦下の帝国を逃げ出すことなど、僕には到底できなかった。
 
 〈結社〉は――彼女らは何を思い、僕を助け手くれたんだろう?
 
 騒音で遠く聞こえる締めの挨拶に、鳴り止まない拍手。
 手を振るボスの姿が、眩しかった。
 
 
 
 ──……
 ────……
 
 演説が終わったあと、シエルたちはファクターに連れられ、〈結社〉拠点の軽い説明を受けた。
 大きな講堂がある階から降りていくと、四階には沢山の本が取り揃えられた図書室や、備品をまとめてある部屋があった。
 結社のボスが仕事をするのであろう〈ギルド長室〉のある三階を通り過ぎれば、二階には日々事務仕事をするのであろう事務室と、これまた大きな食堂がある。
 そして、さっき見た受付ロビーが一階。
 受付広場の窓際におしゃれなカフェテラスが完備されていて、あまりの豪華さにロビー全体が輝いて見えるほどだ。
 ファクターの説明事項をまとめてみると、
 
 五階……講堂
 四階……図書室、備品室
 三階……ギルド長室
 二階……事務室、食堂
 一階……ロビー、カフェテラス
 
 これが〈結社〉拠点の全貌らしい。
 白い椅子に座ったとたんに、隣からため息が聞こえた。
 
「〈結社〉って、なんだか怖いとこね……」
 メアリの憂いの言葉。
 ふたりは現在、結社一階、ロビー片隅の小さな客室の中にいる。
 幹部の彼が『待ってろ』と言って、またどこかへ行ってしまったから、こうして取り残されてしまったのだ。
 シエルが姉に聞き返した。
 
怖い・・?」
「軍事的っていうの? 戦闘第一! って感じがしたわ」
「メアリもそんなこと言うんだ。珍しいね」
「そりゃあ、この戦争の時代に戦闘スキルは大事よ。護身用も、攻撃用も必要。少なくとも、帝国むこうではそうだった訳だし。だけど」
 彼女は机の上で軽く腕を組みながら、きゅっと眉根を寄せた。
「もし〈結社〉に関わって、シエルが怪我でもしたら、それこそ私、絶対後悔するから」
 
「……あぁ……」
 その言葉だけで、嫌でも解ってしまう。彼女は僕を、守る対象だと思って見ている。
 シエルは異議をとなえた。
「メアリ。僕、もう子どもじゃないよ? わかってるくせに……」
 彼女のアンバーの瞳が少年を見た。誰から見てもベビーフェイスである、その少年の顔を。
 
「私から見たら、じゅうぶん子どもだわ。第一、まだ未成年じゃない!」
「えー! 今年成人なんだよ!?」
「なによ。私って、シエルのお姉ちゃん兼おかあさんでしょ?」
 シエルは彼女の言葉に椅子をガタっと鳴らした。
「いや思ってないって!」
 
 お姉ちゃん、と言うのは確かに間違ってはいない。メアリは、シエルから見れば義姉だ。故郷の小さな村の中では、子どもたちはみんな顔見知りで、小さい頃から面倒を見てもらっていた。だけど、『お母さん』は違う。少なくとも僕はメアリをそう言う感じで見ていない。
 
「でも──」
 メアリは長いまつ毛を伏せて、つぶやいた。
「シエルは早くに親御さんと離れちゃったから……、せめてそう居たいって思ってるのよ?」
「……うん」
 唇を引き結ぶ。
 紛争で両親が居なくなって、四年。そして、メアリの実家にお世話になって、三年と少し。まだほんの十四歳だった僕を温かく迎えてくれたメアリと、その父・ディオルには感謝している。
 それでも少年は、力強く言葉を返した。
 
「わかってる。でも、それを言うなら、メアリだって同じだ。僕だけの話じゃない……戦いで家族を失った人なんて、いくらでも居る」
 メアリもまた、戦争で家族の一人を喪っている。その人こそが、彼女の『お母さん』なのだ。
 大人は子どもを守ろうとする。そして、僕らより先に、死んでしまう。
 この世界にはありふれた話だ。
 
「そうね」
 彼女は僕の言わんとしていることを、察したみたいだった。
 ふーっと深く息を吐いて、メアリは椅子に背を預けた。
 
「正直ね、私、ギリギリまで共和国こっち来ようか、悩んでたの」
「メアリもか」
「やっぱり、シエルも? だって、帝国を出たら……」
 彼女が話し始めたとき、扉が開いた。
 
「!」
 ピタリ、と会話が止む。
 ノックもなしで客室に入ってきたのは、先程のファクターだった。相変わらず目立つ、薄汚れた白衣姿。手にはおぼんを持って来ている。
「……あら」
 メアリの声のトーンはほんの少し低くなり、目に見えて言葉少なな雰囲気になった。
 男性は向かいの椅子に腰掛けて、ふたりを交互に見た。
 
「聞こえたら、悪いような内容か?」
「…………」
 お茶を出しながら、ファクターが彼女に問いかけるも、返事はない。
「心配するな。口は堅い」
 そして彼女は、一言。
 
「どうかしらね?」
「こりゃ……、手ごわいな」
 ファクターの苦笑に、シエルは彼の茶を受け取り答えた。
 
「すみません。メアリは、心配性なんです」
「無理もない」
「……怒らないんですね」
 ファクターは一瞬、奇妙なものを見るような目をした。
 一度目を瞑って、彼はふたりに静かに語りかけた。
 
「お前さんらも、難儀なことだな。遠方はるばる、得体の知れん国へと、得体の知れんに連れてこられたとなったら……そうもなるだろ。ましてやこの戦時下に、なぁ……」
「ありがとうございます」
 言葉端から察するに、経緯はある程度伝わっているようだ。
 沸かしてくれたのだろう──丸っこいマグカップ越しに伝わってくるお茶の温度が、冷たくなった指先をじんわりと温めた。ひと口含んで、息をつく。
 
「なんていうか……。僕らの場合、軍も、国も、当然だけど敵も……すべてが嘘だらけに見えていました。普通に暮らしてた頃は、そんなコトはなかったのに」
「その様子は、七年前からか?」
 ええ、と頷く少年の幼げな顔に、深い悲しみの影が滲んだ。
 
「〈大戦〉は僕らの毎日を、あっという間に、別のモノに変えてしまった」
 
 

 




✧ Category & Tag: