夕刻の手紙


序章『僕の選んだ道』


「お邪魔しまーす……」
 
 シエルは地図をにぎりしめたまま、そろりと足を踏み入れた。
 玄関は、大きめのロビーとなっていた。正面には受付、左右には円状のおしゃれな造りの階段。
 床に天井の灯りが反射し、整然とした雰囲気が漂っている。
 
「……ちょっと変わった教会みたいなところね」
 
 メアリはそんなことを言っていた。
 ふたりが見慣れないところで浮き足立っていると、男性はやれやれと首を振った。
 
「おおい。後で好きなだけ寛ぐといい。着いてこい」
「あ……っ、すみません……!!」
 
 歩き出した男性の後ろを追いかける。
 受付や、警備と思しきお兄さん方の横を会釈で通り過ぎつつ、階段を上がっていく。
 メアリが問いかける。
 
「ねぇ! ドコへ連れてくつもり?」
「講堂だ。今朝は、ウチの『顔』のスピーチがあるんでな……」
「『顔』? スピーチって、どんな?」
「見りゃわかる」
 
 彼は横顔でニヒルな笑みを浮かべた。
 
 どんどん上へ参ること、五階。
 シエルの足がピリピリしてきた頃に階段が終わり、今度は長い廊下を歩いた。
 通路の行き止まりに立ち塞がった大きな扉。プレートに筆記体で〈講堂〉と表記された両開きのドアが開け放たれ、薄暗な室内のオレンジの照明が視界に入り込んだ。
 
「ひっろ……」
 
 シエルの実家の敷地が丸々入ってしまうのでは、と感じるほど広い講堂内に、既に大勢の老若男女がひしめいている。黒、緑、紺、赤とカラフルな正装衣装にそれぞれ身を包む人々を、少年は口を開けて眺めた。
 
「では。お前さんらは、そのへんに固まっておけよ」
 
 男性は無精髭を撫ぜて首を捻ると、場を離れようとした。
 
「ちょ、ちょっとあなた!」
 
 姉が呼び止めても、白衣の彼は振り返らなかった。
 軽く手を挙げて応えると、足早に広間の奥へと立ち去っていった。
 
「行っちゃった……」
 メアリの空に泳いだ手が、ぎゅっと拳に変わった。
 
「説明とか、全っ然なかったわね……。怪しすぎない? ココ」
「うーん。まあ、聞けばわかるって話だったし、今から〈結社〉について教えてくれるんじゃないかな?」
「こんな人数集めてスピーチなんて、フツーじゃないわよ」
 
 シエルは、あぁ……、と相槌を返して、広間を見渡した。集った人々がさんざめいている。
 
「僕も、ココまで大きな組織だとは思ってなかったなぁ」
 
 ぼんやりしながら講堂を眺めていると、メアリが、少年の鼻先をツンと指差した。それは、いかにもお姉さんっぽい仕草で。
 
「あと、シエル。故郷のこと、ここでは絶対話しちゃだめだからね?」
「……なんで?」
「さっき、玄関で結社の人に言い掛けてたでしょ」
 
 彼女が近くで耳打ちする。
 
「もし、誰かに〈逃亡者〉だなんて知られたら……!」
「でも、隠すなんて、現実的じゃないよ。第一、そっちのほうが怪しまれそうだし……」
「ダメなものはダメ! 正直なのはいいことだけど、嘘が必要なときだってあるの!」
「……うん……」
 
 ため息が出る。
 シエルとて、わかっているつもりだった。帝国人が異端な存在でしかないことだけは。
 
『灯せ──〈篝火フラム〉!』
 
 言下に、壇場の向こう側から焔が飛び火した。宙を舞った赤い炎が、壇上の燭台へと灯りをもたらす。
 煌々と輝く灯火。
 カーテンで閉め切られた広い室内が、密やかにざわめいた。
 
「皆様、静粛に! ボスのご挨拶です──よろしくお願いします」
 
 壇下の女性幹部の声が響く。人々は息をひそめた。
 
 やがて、一定のリズムを刻む靴音が床を打つ。
 薄闇の奥から現れたのは、上背が高く、頭髪からブーツに至るまで暗色を纏った人物だった。
 サイドで縛り上げられた黒髪は、宵闇を溶かしたかのような漆黒。強い意志を宿した瞳は深紅──不敵な笑みを浮かべた彼女は、片腕で滑らかに弧を描いたのち、恭しく礼をした。
 
「お早う。〈結社〉傘下の諸君! この春も皆の壮健な顔が見られて、安心したぞ」
 
 低く、艶のある声が空間を満たした瞬間、シエルは彼女に釘付けになった。
 彼女の黒衣、長身の美貌の中に――何か、得体の知れないモノを感じて。
 
 女性がシエルの目を見るなり、フッと笑った気がした。揺らめく炎のように輝く瞳を向けられたシエルは、ぞわぞわ、全身の毛という毛が逆立つのを感じていた。
 
 彼女が〈結社〉の“顔”か……。
 
 広い講堂の面々をひと通り見渡したボスは、言の葉を紡いでゆく。
 
「今朝は久々の快晴であったな。今年も〈ケウの花〉が満面に咲き誇っている。美しい薄紅の花は、他国では見られぬ、ザルツェネガ共和国、独自の宝だ」
 
 よく通るアルトの声は五感を刺激して、一枚の絵面を浮かばせる。今朝の大通りで目にした、薄紅色の鮮やかな色彩。
 ケウの花――枝葉に花を咲かせる風変わりな木々は、まるで花びらのカーテンのようだった。
 燭台の炎がゆらり、また揺らぐ。
 
「しかし現在……共和国は、混乱の最中にある。今も続く〈大戦〉により――国同士が争い、誰も彼もが奪い合い――弱き民は傷付けられるばかり」
 
 神歴三九八〇年頃、約七年前から続く戦争。俗に〈大戦〉と呼ばれるこの戦いは、シエルの出身国から仕掛けられ、始まった……ことになっている。
 開戦以来、戦火は世界へと広がり業火となった。
 
「諸君は許せるか? こんな世界を」
 
 高台から語りかけるボスはほんの一瞬だけ、憂いた表情をした。
 彼女の声は、長きに感じられる静寂を切り裂いた。
 
「真に強き者よ。身を削れ!」
 
 つよきもの、と口の中だけで繰り返す。
 初めて耳にする力強い言葉は、己の心臓に直に突き刺さるかのようだった。
 
「これが我らの理念だ。〈結社〉はいずれ、この大戦を終わらせるためのギルドだ!」
 
 ――そうだろう! 諸君!
 
 武術の号令なみに激しく発せられたひとことを境に、講堂の中の空気は、一変した。
 
「おおー!」「ボス最高~!」「任せろぉ!」
 
 歓声が波のように押し寄せ、講堂を満たす。姉すらも拍手している。
 その中でただひとり、シエルだけが動けずにいた。
 七年続く〈大戦〉を、終わらせる。彼女のその言葉の重みを、どう受け取ればよいのか分からない。
 
「今年、我々が注力すべきは、二つ。首都周辺の警備と、資源の確保だ」
 
 すこしして、熱が落ちた会場に爛々とした声音がおちる。
 
「孤児院の運営も長く続けていくつもりだ」
 
 近くから安堵の声が聞こえてきた。
 〈結社〉の輪郭が見えてくる。
 七年続く〈大戦〉を、終わらせる。警備。資源。孤児院……それらの言葉からは、誰かを護ろうとする強い意志が感じられる。
 
「忘れるな! 大戦の長期化に伴い、弱きを護ることができるのは我々だけだということを。いま、諸君の強き力が必要だ!」
 
 再び、大きな喝采が巻き起こった。遠く聞こえる締めの挨拶。
 拍手の向こうで、黒髪の長が微笑み、聴衆に手を振っている。
 その姿が、ひどく眩しく見えた。
 
 
 
 ――……
 ――――……
 
 演説が終わったあと、シエルたちはファクターに連れられ、〈結社〉拠点の軽い説明を受けた。
 〈講堂〉がある階から降りていくと、四階には沢山の本が取り揃えられた〈図書室〉や、物をまとめてある〈備品室〉があった。
 結社のボスが仕事をするのであろう〈ギルド長室〉のある三階を通り過ぎれば、二階には日々事務仕事をするのであろう〈事務室〉と、備え付けのきれいな〈食堂〉がある。
 そして、さっき見た〈受付ロビー〉が一階。
 受付広場の窓際におしゃれなカフェテラスが完備されていて、あまりの豪華さにロビー全体が輝いて見えるほどだった。
 
 ファクターの案内によると、
 
 五階……講堂
 四階……図書室、備品室
 三階……ギルド長室
 二階……事務室、食堂
 一階……ロビー、カフェテラス
 
 これが、〈結社〉拠点の全貌らしい。
 白い椅子に座ったとたんに、隣からため息が聞こえた。
 
「〈結社〉って、なんだか怖いとこね……」
 
 メアリの憂いの言葉。
 ふたりは現在、結社一階、ロビー片隅の小さな客室の中にいる。
 結社の彼が『待ってろ』と言って、またどこかへ行ってしまったから、こうして取り残されてしまった。
 ちょっとぐったりしながら、シエルが聞き返した。
 
怖い・・?」
 
 客室は静寂に満ちている。
 アンティーク調の棚とサイドデスク。花瓶に生けられたちいさくて可憐な花から、持ち主のセンスを感じる。ちいさなシャンデリアの乳白色の光が、それらを明るく照らしている。
 演説の喧騒での疲れを一時的に預けるにはちょうどよい。シエルは座って机に両肘を乗っけながら、隣のメアリを見た。彼女もまた困り顔だ。
 
「軍事的っていうの? 戦闘第一! って感じがしたわ」
「そっちか……。メアリもそんなこと言うんだ」
「そりゃあ、この時代に戦闘スキルは大事よ。護身用も、攻撃用も必要。少なくとも、帝国むこうではそうだった訳だし。……だけど……」
 
 彼女は机の上で軽く指を組み、きゅっと眉根を寄せた。
 
「もし〈結社〉に関わって、シエルが怪我でもしたら……。それこそ私、絶対後悔するから」
「……あぁ……」
 
 ……その言葉だけで、嫌でも解ってしまう。彼女は僕を、守る対象だと思って見ている。
 シエルは異議をとなえた。
 
「メアリ。僕、もう子どもじゃないよ? わかってるくせに……」
 
 彼女のアンバーの瞳が少年を見た。
 誰から見てもベビーフェイスである、その少年の顔。くるくるの茶髪、その前髪から覗く翡翠色の大きな瞳が、眼鏡の奥でぱちぱちと瞬いている。
 
「私から見たら、じゅうぶん子どもだわ。第一、まだ未成年じゃない!」
「えー! 今年成人なんだよ!?」
「なによ。私って、シエルのお姉ちゃん兼おかあさんでしょ?」
 
 シエルは彼女の言葉に椅子をガタっと鳴らした。
 
「いや思ってないって!」
 
 お姉ちゃん、と言うのは間違ってはいない。
 メアリは、シエルから見れば義姉だ。
 あるときから一緒に過ごして、面倒を見てもらっていた。気が弱くて、落ち込みがちな自分に、いつもよくしてくれた。
 だけど、『お母さん』は違う。少年はそう思っている。
 
「でも――」
 メアリは長いまつ毛を伏せて、つぶやいた。
「シエルは早くに親御さんと別れちゃったから。せめて、そう居たいのよ」
 
 少年は無言でうつむく。
 戦争で両親を失い、彼女の家に身を寄せて五年。
 十二で一人になった自分を迎え入れてくれたのが、メアリとその父・ディオルだった。
 その恩を忘れたことはない。ないはずなのだが、なにかひとつ引っ掛かる。頭の真ん中に、ひとつ。
 
「それなんだけど……。僕、なんでメアリたちと一緒に、暮らすことになったんだっけ?」
「……まさか。覚えてないの!?」
「うん」
「──ど、どうして? ほんの五年前よ?」
「うまく言えないんだけど……〈大戦〉が始まったのって七年前だったよね。でも、僕がメアリん家に来たのって五年くらい前だったはずだ。そのあいだ、帝国で──」
 
 コンコンコン、と、控えめなノック音が落ちた。
 瞬時に会話が止まる。
「はあい!」
 メアリの返事と同時に、扉が開いた。

 





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