序章『僕らの選んだ道』
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「お疲れー!」「やー気合い入るわ」「今日もやってくかぁ」
結社の人たちが談笑している。
「ほいお疲れさん」
演説が終わって、皆、各々の日常に戻ろうとしていた。はけていく人の流れに乗って、合流したファクターと共に講堂を出る。
「すごかったなぁ……」
活気、知性、熱量。
そんなものに満ち溢れたスピーチだった。
ファクターがシエルの横顔を見遣る。
「凄いって、ウチのボスがか?」
「はい。もう、完全に異世界の人って感じでしたね……」
メアリが顔を背ける。
「私は少し怖かったわね」
「確かに……、雰囲気は」
彼女の赤い瞳には、シエルも鳥肌が立ったことを思い出した。
少年の同意を聞きながら、前を歩く白髪の男性がやや早足になる。
「そうか。今から、あれと話すことになるぞ」
「えええッ!?」
「……なんとなく、そんな気がしたわ」
あの黒髪の女性と直接会う。
そう考えただけでシエルは更に緊張が増してきた。
ふたつ下の階、廊下の突き当たりの部屋の前で止まる。行き止まりの扉——プレートに筆記体で〈ギルド長室〉と記されている。
ファクターは、何度かドアを鳴らした。
「入れ!」
声が聞こえて扉を開く。
「失礼する!」
──だだっ広い部屋だった。
天井にはシンプルなシャンデリア。暖色の照明に照らされてアンティークな本棚たちが並ぶ中、中央の机を挟んで、ふたつの長いソファがあった。こんなに広くても執務用の部屋なのだろうか。一番奥にある執務机の上には、資料らしきものが渦高く積み上げられている。
ボスの姿が見えない、と思ったら、彼女はすぐに立ち上がった。
艶やかな黒髪が揺らめく。「来たな」と低い声が落ちて、まるで人形のように整った顔立ちの女性の、真っ赤な双眼が妖しく光る。
実際に前に立つと、壇上に居たときより、更に背が高く見えて。同時に、シエルは奇妙な既視感を覚えて。
彼女、どこかで会ったことがあるような……でも、僕の知り合いは村にしかいない。ならば何処で……。
「聞こえとるか?」
ハッ、と弾かれたように思考から意識を浮上させると、ファクターが背中を丸めてこちらを見ていた。
いつのまにか、メアリは隣で深々と頭を下げていて。慌ててシエルも同じようにする。
「顔を上げてくれ」
少年たちを交互に見て、女性は微笑んだ。
「二人とも。長旅、ご苦労であったな」
「いえっ……!! トンデモナイデス」
「申し訳ありません。今日は、うちの子が、突然押し掛けるような形になってしまって……」
子が悪さをした母親のような、畏まった台詞を言ったメアリの声を聞いて、長身の女性は手をひらひらとさせていた。
「構わないさ! ここへ呼んだのは私のほうだ」
さあ、入って! と女性に促され、少年が一歩踏み出した。
「あのっ!」
「うん?」
眼鏡越し、シエルのエメラルドグリーンの瞳が、彼女を見る。
「失礼ですが、お名前を伺ってもいいでしょうか?」
ここに来る前から、ずっと考えていたことだった。
僕らをあの帝国から、船で救い出してくれた恩人の所属するギルドなのだから、それだけで抱えきれないほどの恩がある。ならば、まずは彼らのことをよく知らねばならないと。
ギルドの『顔』と呼ばれる方のことなら、尚更だ。
「そういえば、まだだったね」
黒髪の女性は自身の手を打った。
執務机の脇からコツコツと歩いてきて、三人の前に立つと、
「私はボス。“結社のボス”だ、よろしく」
そう言って、握手を求めてきた。
「ボス?」
「名前、無いんだ」
クスッとはにかんだ彼女に対して、それ以上は聞くことが出来なかった。
……ギルドの長が、名無し?
そんなことがあるのか。
「わ、わかりました。よろしくお願いします」
シエルが握手に応じると、彼女も両手でギュッと一度握り返してくれる。
「君も」
「……ええ」
促され、メアリはそろりと細い右手を出したが、ボスに掴まれた手をぶんぶん上下に振られて、驚いていた。
「ひゃっ!」
「改めて、よろしくね!」
ニッコリと笑うボス。
クールな見た目に反して、意外とフランクな感じのする人だ。
その様子を見てシエルはようやっと思い出した。
「もしかして、貴女。『向こう』でフードを被っていた人じゃないですか?」
帝国の船の前で僕と握手をしてくれた、あの人の仕草と、完全に一致している。
「おや。ばれていたか」
言われて、彼女はニヤリと口角を上げた。
「ばれていたかって……」
シエルはうっすら冷や汗をかいた。
──僕らを助けたのは、組織のボス、張本人だったのか!
「うそー!?」
隣のメアリが、素っ頓狂な声を上げる。
「あ、気づいてなかったんだ」
彼女も今、気が付いたようだ。僕だけ気づくのが遅かったらどうしようかと思った。
彼女はわなわなと震えながら、こう訴えた。
「信じられない……。なんでトップの人間が、あんな密航みたいな真似してたんですか!?」
「うん?」
悪びれず首を傾げるボスに対し、姉は拳を握りしめて続ける。
「覚えてますよ? わざわざ、港でもない崖から上陸してたの!」
「……いや……えっと……」
隣のシエルは青ざめた。
なんとなく、聞いてはいけないことのような気がしていたからだ。紛争の最中、助けてくれた恩人の良心を疑うなんて出来ない。寧ろ礼を言いたいくらいなのに。
しかし、困った。今は礼を言える雰囲気ではない。
結社のボスは、顎に手を当てると、飄々とした表情のまま答えた。
「ああ。どうにも、近ごろ公国の動きが不穏だったのでね。我々は、それを追っていたんだ」
「公国の動きを?」
メアリの目が細まる。
公国といえば、祖国の帝国の戦争相手である。
「そうだ。あちらの大公が──」
ボスがそう言い掛けたとき、広い執務室にくぐもったノックの音が落ちた。
コンコンコン、と三回。