DR+20


序章『僕らの選んだ道』


 

 
     ◆
 
「お邪魔しまーす……」
 地図を懐に仕舞いながら、施設に足を踏み入れる。
 〈結社〉の玄関口は、ホールのような形式になっていた。
 真正面に受付があり、両隣に円状の階段が備え付けられている。ちょっとしたパーティーでも開けそうなくらい、華美な造りの正面玄関である。
「わー! あっちの方は吹き抜けなのね。綺麗……!」
 メアリにつられて見れば、広々としたホールの片隅に併設された休憩スペースの窓は、一面ガラス張りでできている。裏口は開けっぱなしだが、外に柵が立っているので、あちらは庭のようだ。
 広間の大きな窓の外には、背の高い塔がよく見えた。
 山も空も突き抜けてそびえたつ、ガタガタした形の不可思議な塔。なのに、悪目立ちするでもなく背景になじんでいる。
「……〈ラスタリア古代遺跡〉」
「ほー。よう知っとったな」
 男性が感心したように唸った。
 いつの間にか、声に出ていたようだ。
「あ、はい。昔から本、好きで……」
「……そうか」
 子供の頃、教会での勉学は皆が受けるものだが、シエルは一方的に教わった分だけでは納得できないことが多々あった。シスターに字を習うたびに、それは増えていった。父親が元官僚であるのをよいことに、親の目を盗んで書斎の本を読みふけるのが、シエルの幼い頃の唯一の楽しみであったのだ。
 〈ラスタリア古代遺跡〉は……、神話に書かれた、旧い都市の未踏遺跡だ。帝国からだと細っこく見えた塔が、共和国からだとよりはっきり見えた。
 
 広間に明るい声が響く。
「こんなカフェもあるの? アンティークでステキ〜! あそこでドリップもできるのかしら──……」
 再び視線を戻すと、室内の装飾品やカフェの装置にきらきらと目を輝かせているメアリの姿が見える。物を置くための棚までお洒落で、なんだか彼女の持ってるような小物にそっくりだと思った。
「ああ、すごいね! メアリの好きな物ばっかりじゃん」
 それがあんまり面白いので失笑すると、
「──あら、ごめんなさい! 私こんなつもりじゃ……」
 目の前で彼女がわたわたと慌て始めた。
 メアリ、僕よりよっぽどはしゃいでるじゃないか。
 でもまあ、気持ちは痛いほどわかる。おしゃれなカフェ、ふわふわのパン──それらは全て故郷では高級品で、帝都まで出ないと手に入らないような、貴重なものばかりなのだから。
「おおい。後で好きなだけ寛ぐといい。今は急ぐから、着いてこい」
「あっ、はいっ!」
 やれやれと首を振り、歩き出した男性の後ろを追いかける。
 受付や、警備と思しきお兄さん方の横を会釈で通り過ぎつつ、階段を上がっていく。メアリが間を繋ぐように問いかけた。
「ねぇ! これからどこへ行くんですか?」
「講堂だ。今朝は、ウチの『顔』のスピーチがあるんでな」
「『顔』? スピーチって……、どんな?」
「見りゃわかる」
 彼は横顔でニヒルな笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 どんどん上へ参ること、五階。
 シエルの足がピリピリしてきた頃に階段が終わり、今度は長い廊下を歩いた。
 通路の行き止まりに立ち塞がった大きな扉。プレートに筆記体で〈講堂〉と表記された両開きのドアが開け放たれ、薄暗な室内のオレンジの照明が視界に入り込んだ。
「ひっろ……」
 安直な感想が口をついて出た。
 シエルの実家の敷地が丸々入ってしまうのでは、と感じるほど広い講堂内に、既に大勢の人々がひしめいている。老若男女、黒、緑、紺、赤とカラフルな正装衣装にそれぞれ身を包む人々を、少年は口をあんぐり開けて眺め渡す。
 もしかして僕、とんでもないとこに来てしまったのでは?
 シエルは内心半泣きになった。
「では。とりあえず、そのへんに固まっておけ」
 男性は無精髭を撫ぜて首を捻ると、場を離れようとした。
「ちょっとっ! 私まだ、あなたの名前聞いてないわ」
 メアリが手を伸ばす。
「ファクター・ニーディア! 結社の幹部だ。覚えとれ」
 白衣の彼は軽く応えると、足早に広間の奥へと立ち去っていった。
 呆気に取られたシエルが呟く。
「幹部って……もしかして、偉い人だったってこと?」
「そうなるわね。彼には気をつけないと」
「メアリは人を警戒しすぎだよ〜……」
「そんなことないでしょ。こんなとこまで来ちゃっておいて」
 シエルが広間を見渡す。集った人々がさんざめいている。
「ううんまあ、確かに僕も、ココまで大きなギルドだとは、思ってなかったなぁ」
 ぼんやりしながら講堂を眺めていると、ぐらついた肩に人がぶつかった。
「わっ」
 背の高い男性。ガタイの良い灰色髪の青年は、無言でギロリとシエルを睨んだ。
「す、す、すみません……」
「……チッ」
 青年は舌打ちをひとつ落として、部屋の前の人集りの中に消えていった。
「何あれ!? 感じワル!」
 ロクな人がいないわね! と小声でぷんぷん憤慨している姉を嗜めようと、シエルが肩をすくめてみせる。
「ううん、ぼーっとしてた僕も悪いよ」
 直後、メアリはバッと振り向いた。
「ワルくないっ!」
「ええ……」
 彼女が、少年の鼻先をツンと指差す。
「あと、シエル。ここでは故郷でのことなんか、絶対喋っちゃダメだからね?」
「え、急になんで?」
 近くでこそこそ耳打ちする。
「もし、ここの誰かに“逃亡者”だなんて知られたら……!」
「……でも、出自を隠すなんて、現実的じゃないよ。そっちの方が怪しいし」
「ダメなものはダメ! 正直なのはいいことだけど、嘘が必要な時だってあるの」
「……うん……」
 ため息が出る。シエルとて、わかっているつもりだった。
 ──〈ガルニア帝国出身者〉の肩書きなど、異端児でしかないことだけは。
 
 
 
『灯せ・フラム!』
 言下に、壇場の向こう側から焔が飛び火した。宙を舞った赤い炎が台上にある燭台へ灯火をもたらす。
 カーテンで閉め切られた薄暗な室内が密やかに騒めき、煌々と灯る明かりへと視線が注がれる。
「皆様、静粛に! ボスのご挨拶です――よろしくお願いします」
 幹部と思しき女性の叱声を受け、室内は静寂に包まれた。
 お祈りを終えたばかりの聖堂にも似た講堂内に、甲高い靴音が響く。
 満を持して壇場を上がってきたのは、上背が高く、頭髪からブーツに至るまで暗色を纏った人物だった。
 サイドで縛り上げられた黒髪は、宵闇を溶かしたかのような漆黒。強い意志を宿した瞳は深紅。不敵な笑みを浮かべた彼女は、片腕で滑らかに弧を描いたのち、恭しく礼をした。
 
「お早う。〈結社〉傘下の諸君! この春も皆の壮健な顔が見られて、安心したぞ」
 
 全身の肌が粟立つ。ハスキーな低音は、耳を抜けて脳の奥深くを揺らす。
「あっ……」
 シエルは彼女に釘付けになった。
 彼女の黒衣、長身の美貌の中に——何か、得体の知れないモノを感じて。
 女性がシエルの目を見るなり、フッと笑った気がした。揺らめく炎のように輝く瞳を向けられたシエルは、ぞわぞわと背筋が凍り付くのを感じていた。
 講堂の面々をひと通り見渡したボスは、言の葉を紡いでゆく。
「今朝は久々の快晴であったな。今年もケウの花が満面に咲き誇り、路傍に花びらを散らしている。あれほど美しい薄紅の花は、他国では見られぬ〈ザルツェネガ〉独自の宝だ」
 よく通る声は五感を刺激して、一枚の絵面を浮かばせる。今朝目にした、春の青空・薄紅色の鮮やかな色彩。
 ケウの花――枝葉に花を咲かせる風変わりな木々は、まるで首都のストリートを仕切る花びらのカーテンのようだった――結社への道すがらの景色を思い出させる。なにせ、花に疎い僕が見上げて息を漏らすほどには、心打つものだったから。
 燭台の炎がゆらり、また揺らぐ。
「しかし現在……我らがザルツェネガ共和国は、混乱のさなかにある。今もなお続く〈世界大戦〉により──国同士が争い、誰も彼もが奪い合い――弱き民は傷付けられるばかり」
 高台から語りかけるボスはほんの一瞬だけ、憂いた表情を確かにした。
「諸君は許容できるか。こんな世界を」
 思わず息をのむ。
 結社のボスから求められる事柄、それはこの先、僕が乗り越えるべき課題でもある。
 彼女の声は、長きに感じられる静寂を切り裂いた。

「――真に強き者よ! すべからく身を削れ!!」
 悲鳴をあげる大気。
 ――しんにつよきもの、と口の中だけで繰り返す。初めて耳にする力強い言葉は、どうしようもなく心中を沸き立たせた。
「これが我が結社の理念だ。私は大戦の戦場において、皆の旗印となって戦い抜くことを誓おう! 民を守るべく結社一丸となって援護を行え。
 ――諸君、戦えるかぁあ!!」
 
 武術の号令なみに激しく発せられたひとことを境に、講堂の空気は一変した。
「おおー!」「ボス最高~!」「任せろぉ!」「当たり前だアァ!」
 多数の雄叫びとともに、拍手や口笛が巻き起こる。
 シエルはぎょっとしてしまう。
 あたふたして背後や左右を見たが、口頭で騒いでいるのはこちらに向き直る幹部を除いたほとんどの人──ざっと百人くらいは居そうだ。好意的な野次を飛ばす面々は、皆、一連のやり取りを楽しんでいるように見える。
「よし。そして今年度、我々が注力すべきは、ふたつ! 首都〈ズネアータ〉周辺の警備! そして、政府が独占している資源の採取だ。なお、孤児院の経営も変わらず継続していく」
 一息に重要なことを言われた気がする。
 要するに、ただ戦うだけのギルドではないってことか。
「どうか、忘れないでいてくれ。大戦の長期化に伴い、民衆を護ることができるのは我々のみであることを! いま、諸君の強き力が必要だ!!」
 
 再び拍手喝采に包まれた講堂の中、シエルは独り、つよきちから――という単語を吟味していた。
 彼女の求める力とは、どんなものだろう。
 こんな戦時中に、人を守れるほどの力なんて、少なくとも己は持っていない。故郷の軍や紛争が怖くて、逃げ出してきたくらいの弱虫なのだ。
 結社は──結社のボスは、それを恐れないまでに、強いのだろうか。
 騒音で遠く聞こえる締めの挨拶に、鳴り止まない拍手。
 手を振るボスの姿が、眩しかった。