序章『僕の選んだ道』
“第3話 首都・ズネアータ”
港町に出て、適当な馬車を拾う。
朝一番の馬車は、風を切って平野を駆け抜けていく。平坦に舗装された道は、船よりも揺れが少なく、シエルでも酔わずに乗っていられた。
「まいど、着きましたよ! お客さん」
馭者の声に、姉がリルを払い、二人は馬車を降りた。
白い日差しが風上から照りつけた。
「わぁ……!」
視界いっぱいに広がる、色とりどりの町並み。同時に、わっと溢れかえる人々のざわめきが、シエルの耳まで一気に届いてきた。
ザルツェネガ共和国の首都・〈ズネアータ〉の大通りは、長く、長く続いており、街の終着点など全く見えそうもない。
「すごい賑わいね」
人並のある雑踏の中を、ふたりは流されるように歩き出す。灰色の硬材で出来た街並みを彩る、薄紅色の並木道――花びらが舞い散る路傍には、多くの露店が立ち並んでいた。
石畳の街角に、木箱を積んだ小さなパン屋の露店があった。朝の大通りを満たす、香ばしい匂い。シエルはその甘い匂いに惹かれて、思わず足を止めた。
焼きたての丸いパンをひとつ、手に入れ、通りを歩きながらかじりつく。
「うま~!」
少年は目を輝かせた。
表面はカリッとして、中は柔らかい。
こんなパンは生まれてこのかた、食べたことがなかった。帝国のパンはいつも硬く、塩辛いのだ。これなら毎日でも食べたい──。
食べ始めたら止まらなくて、気づけば食べ終わっていた。
隣でメアリはゆっくりパンを頬張っている。
「パンって、こんなに美味しいものだったのね」
「びっくりだよね! ふわふわで、幸せの味だったよ〜……」
かわいい姉は、白いシャツとキュロットの裾を靡かせながら、軽い足取りで街を歩く。パンを半分ほど食べたところで、彼女は周囲をくるりと見渡した。
「うんと……確か、この大通りを右手だったかしら?」
「どうだっけ。すごい、分かりやすい場所だったはずなんだけど……」
本日、目指す場所はひとつ。
帝国で受け取った地図を姉に見せようと、シエルはリュックから便箋を取り出した。
手書きの地図を周りの建物と見比べ、少年は「あ」と声を漏らした。
「もしかして……」
灰色の建物の前で、二人の男性が話し込んでいる。
片や、金髪姿。シャツの首元にスカーフを巻いた青年。
片や、白髪に青のツートンカラーの奇抜な髪、白衣を着た壮年の男性。
「しかし、こないだはありがとうな! 用意するのも大変だったろ?」
「ったく……。お前さんのことだ。どうせまた、急ぎの依頼でも寄越すつもりなんだろう?」
「へへッ、さっすが〈結社〉のファクターさん! アタリだ。春先の仕入れで、手が離せなくってな、コレ頼むよ!」
青年の背後には、荷車がひとつ。
白衣の男――ファクターと呼ばれた人は、手渡された書類をざっと確認し、ふたつほど頷いた。
「ほいよ。承った」
「いつも早くてマジ助かるぜぇ! じゃっまた来週なぁ!」
嵐のように去って行った商人を、男性がため息をつきながら見送った。
手に持ったパンの最後の一口を食べ終えたメアリが、シエルの横顔を見る。
「どうやら、ココみたいね?」
「うん。間違いない……」
首肯して見上げた先には、巨大な灰色の建物がそびえ立っている。灰色の旗に真っ赤な鳥のマーク。
結社〈恒久の不死鳥〉。シエルたちが今日、呼ばれた場所だ。
「まぁ……ずいぶん大きい場所ねぇ」
目をまんまるにして口元を覆う姉の隣で、少年は青ざめて、足を震わせていた。
「どうしよう、メアリ。まるで〈軍〉みたいな雰囲気だよ! こんなの、どこから入ったら……」
「どこって。玄関しかないでしょ」
メアリのツッコミが響く横で、不意に白衣の男性が振り向く。
こちらの話し声が聞こえたのだろう。二人の姉弟を見る隻眼が細まった。
「おい、お前さんら」
「ぅわ!」「……!」
二人は相手の男性を見た。
伸ばしっぱなしの白髪から覗く、気だるげな藍色の目。顎には無精髭。青色のカラーメッシュが、もう片方の目を覆い隠している。
その長身に着込んだぼろぼろの白衣……と、そこまで視認して、彼の顔がしかめられていることにようやく気がついた。
「なんなんださっきから、人の顔をジロジロと……。見世物ではないのだぞ、私は」
「ご、ごめんなさい! 僕ら、ここら辺のこと、詳しくなくて……」
シエルは弾かれたように頭を下げて、真っ直ぐに彼を見た。
「あ、あの……〈結社〉の方、ですよね?」
「そうだが」
声をかけたはいいものの、次に何を言えばいいのか、頭が追いつかない。
うまく言葉にできず、シエルは握りしめた地図を、胸元に引き寄せた。
「僕ら、共和国の港で……その……」
少年の手にある、しわしわの手描きの地図。
伸ばしっぱなしの硬質な白髪から覗く目が、僅かに見開かれた。
「……お前さんら、もしや、外国から来たのか?」
「えっ、はい……」
「ちょっとシエル!」
メアリが脇腹を突く。
彼の隻眼は暫し、ふたりを交互に見ていた。
「そうか」
瞳を閉じた彼は踵を返して、結社に帰ろうとする。
「まっ、待ってください!!」
少年の声が響く。
男性は振り向きざまに、ひとつ、ため息をついた。
「一通り、話は聞いとる。入れ。なんでも、ウチの人間に用アリなんだろう?」
彼は藍色の瞳でシエルを見ながら、玄関口のドアノブを持ったままでいてくれている。
「は、はいっ!」
少年たちは元気に返事をして、巨大な結社内に入った。